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全ての侵略略奪発掘による出土品を即時各国人民に返還せよ! [総論]

全ての侵略略奪発掘による出土品を即時各国人民に返還せよ!
「日本考古学協会」春の総会へのアピール ー日本学術会議の責任回避を糾弾するー
1973年 8月 15日 発行『地域と文化財』第3号、文化財問題研究会 発行、<地点>編集委員会 編集:28-29.

「日本考古学協会春の総会、研究発表、そして報告書展示即売会の場に集まられた研究者の皆さん、学生諸君!
とりわけ、ここ二、三年にわたる私たち「文化財問題研究会」の呼びかけに耳を借された皆さん!
私たちは「高松塚古墳壁画」を契機としたチョソン考古学者の来日を経験し、そして「中国文物展」を目前にひかえた今日、さらに声を大きくして「全ての侵略略奪発掘による出土品を即時各国人民に返還せよ!」と叫びたく思います。

私たちが1971年11月『地点』第2号において、「沖縄への侵略発掘を許すな!」という提起を行ったとき、多くの研究者は「日本の考古学者が沖縄を侵略するというのはどういうことなんだ!」と私たちにつめよりました。そしてまた、その半年後、「全ての侵略略奪発掘による出土品を即時各国人民に返還せよ!」という私たちのかかげたスローガンについても同様でした。
しかし現在、文化庁も音頭をとる日本人民を離れた学術研究をかかげての「国際文化交流」の気運の中で、状況は変わりつつあり、その中での私たちの提起は、真に人民の立場に立つものとして、そして真の国際主義の立場に立つものとして、ますます重要なものとなりつつあります。
私たちが現在問題としている現象は、「日本地域以外の文化財がその地域人民から日本人民へという経過以外の方法で、日本国内に存在すること」このことです。
想定されるルートとしては、いまとりわけ矛盾の焦点となっている「侵略略奪品」なのか、また、金にまかせて貧しい人々や盗掘屋からの購入品なのか、そしてさらに当該政府あるいは博物館等からの購入品なのか、そしてさらに当該政府あるいは博物館等からの寄贈品なのか、いくつか考えられるわけですが、それがいかなるルートを経たにせよ当該地域人民が、自らの歴史的未来を拓くべく所有せねばならない文化財が日本国内に持ち込まれている、という点では変わりはありません。

私たちは、この問題の中で二つの事を主張してきました。
一つは、歴史主体の問題とそれにかかわる研究者の問題、そしてもう一つは、国際主義の問題です。
この二点を除外しては、いかなる「略奪文化財問題」もありえませんし、またあってはならないのです。
歴史の主体の問題とは、歴史が単なる抽象性、一般性としてではなく、地域に密着した具体性としてあり続ける以上、具体的な地域人民の問題であり、当該地域人民こそが、その担ってきた歴史の体現者であり、それを最も良く継承し発展せしめることができるということです。
そしてそこから、あらゆる文化財は、地域と地域の人民の中に存在せねばならないという文化財独自の属地性の問題が提起されます。
それと共に国際主義の問題とは、自立した諸地域人民の自由で平等な交通関係の確立の承認という問題です。
自らの位置性を踏まえたうえで、他地域人民の歴史から学び自己を豊富化させるという立場に他なりません。
これらの二点を踏まえた上で、私たちは「略奪文化財」の返還に正しく対処することができます。

日本学術会議は、今年(1973年)4月26日の第63回 春の総会で、次のような「政府への勧告」を決議しました。
「戦争中、中国、朝鮮、アジア地域から正当な手続きによらず持ち帰った研究資料を調査し、返還の手続きをとってほしい。」
私たちは、日本学術会議が科学者の戦争責任に目を向け、とりわけ「侵略略奪行為」への一定の見解を示したことについては前進と認めつつも、そのぬぐってもぬぐいきれぬ「学者」意識に裏打ちされたこの高慢な決議については、激しく糾弾せずにいられません。
そしてこのことを通して、わが考古学関係者に問題の重要な本質を理解してもらいたく思うのです。
何よりも私たちが避けられぬ問題は、私たちが侵略民族であり、学術会議の言う「中国、朝鮮、アジア地域」は日本の被侵略地域であったということです。
であるがゆえに、私たちには「正当な手続き」という主張は存在しないのです。
学術会議の言う「正当な手続き」が、帝国主義軍隊に守られての東亜考古学会の中国大陸の調査、朝鮮総督府による朝鮮半島の調査等、数々のわが史学上のぬぐえぬ「汚点」を指すとは、よもや考えられません。
だとしたら、侵略戦争の最中どんな「正当な手続き」が存在しえたでしょうか。
そんな手続きなど存在するはずはありません。
そういった自らの行為に対する曖昧さと自らの責に帰すべき「調査」「返還」を侵略の根幹たる政府に勧告するに至っては、自己の責任回避と権力への身売り以外の何ものでもない。

略奪品の各国人民への返還は、私たち日本人民の手で成さねばなりません!」

1973年 5月 4日 <地点>編集委員会・文化財問題研究会」
(句読点・改行など適宜引用者改変、文末はスペースの関係で一部省略されていたので、ビラの文章にて補った)

*もともとはB4版ビラ1枚に『地点』臨時号として印刷された文章(1973年5月4日)が、夏に発行された刊行物『地域と文化財』第3号に収録されたものである。
最近ある知り合いの方から「私が持っているよりも、あなたが持っている方が活用していただけそうだから」という言葉と共に譲り受けたファイルに含まれていた。
今では殆ど目にしない「人民」といった用語が多用されている他は、その内容・主張そのものに違和感はない。
ということは、本件に関して殆ど半世紀にわたって見るべき進展がないということに他ならない。
何ということだ!
私たちは前の世代からのこうした問題提起を正しく受け継ぎ、次の世代に正しく受け渡していかなければならない。

ネットで検索しても、かすりもしない。
当然、国会図書館にも納本されていない。
私たちが「発掘」しなければならないのは、<遺跡>だけではない。

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