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木下1928「売りに出た首」 [論文時評]

木下 杢太郎 1928「売りに出た首」『アルト』(1949『売りに出た首』角川書店:39-40.所収)

「ところでその中(山中商会1928『支那古陶金石展観』:引用者)に天龍山の石仏の首が四十五個あるのだとよ。目録の序に「就中学界に宣伝せらるる天龍山の石仏彫刻のコレクションの如きは本展観の出品中最も誇とする處のものにして……宛然彼の天龍山石窟を茲に移したるが如き観ある云々」と書いてあるのは過言ではない。
四十五個といへば、天龍山の彫刻像の殆ど全部と云ってよい。かうも一つの手に全部揃ったことは蒐集者の非常な努力と謂ふべく、せめてそれが散らばらないで、一つの国民的の博物館(なるべくは日本の博物館に欲しいが、とてもそんなわけには行くまい。個人の金持に分配せられるよりもアメリカあたりの金のある美術館に皆買占められた方が好い)に集めとられて欲しいことだ。
然しこの一面には、支那現地に於て計画的な掠奪が行はれたといふ疑をも起すことが出来る。
又更に考へると、大同の石仏も近頃は漸く欠け損じるといふし、あの天然山が、支那の現状に於て、無疵に保たれようなどといふことは、まるで考へられないことだ。せめてもその首の大多数が一人の手に集つたといふことに対して、その蒐集者に感謝して然るべきことだと思ふ。
木村君、僕は極めて平静に以上の記を作つた。然し心の中には怨恨の如き、憤懣の如き、いろいろの感情が回転してゐるといふことは、嘗つて倶にあの山に登った君の無論直ぐ感づいてくれるだらうと思ふ。」(39-40.)

「木村君」でなくても、筆者の内に「いろいろの感情が回転してゐる」ことが感じられる文章である。
「蒐集者に感謝して然るべきこと」と言いつつ、「怨恨の如き、憤懣の如き」と述べる。
文学者特有のレトリック故にすぐさま理解するのが困難であるが、そもそも1928年という時代状況下において、こうした文章がこうした題名をもって記されたということ自体が、ある種の驚きである。
木下 杢太郎(1885-1945):静岡県伊東出身、現在の独協中高で津田 左右吉の授業を受け、東大医学部進学、1916-20奉天の医学校勤務、1921-24フランス・リヨン大学留学、その後東大医学部教授、ハンセン病の世界的な権威とされる。以上、ウィキより。不思議な人である。

「しかし、(山中)定次郎は発見した仏の頭を石窟に戻したわけではなかった。それらは日本に持ち出され、展覧会などで展示され、販売された。たとえば、山中商会は1934(昭和9)年、5月に上野の日本美術協会で「支那朝鮮古美術大展覧会」を開催しているが、当時「展観」と呼ばれたこの展覧会では、天龍山や、やはり山西省にある雲崗石窟の石仏が多数展示され、売られた。山中商会には価格と考えられる数字が手書きされたカタログが残っている。また会場の写真も残されており、これらの石仏頭部がずらりと並んだ様子は壮観である。現在、日本国内にもそして欧米にも、山中、そしてそれ以外の多くの美術商の手を経た天龍山や龍門の石彫が多く存在している。この時代、美術商も美術館も、今の常識では考えられないことを実行した。そして、現地には現金と引き替えにそれをサポートする中国の軍閥や役人がいた。アメリカのある大美術館の学芸員が、龍門石窟の彫刻を購入する権利を入手した時、その彫刻はまだ石窟の壁に付いていた、という有名な話も残っている。直接壁から剥がしたわけでもなく、また当時は持ち出しが法律に違反していたわけでもなかったが、定次郎を含め多くの人が誘惑に勝てなかったという問題がある。」(朽木 ゆり子2011『ハウス・オブ・ヤマナカ -東洋の至宝を欧米に打った美術商-』新潮社:172.)

誘惑に勝てるとか勝てないといった問題ではないようにも思うが、仮に20世紀前半当時の時代状況がそうだとしても、そうしたことによってもたらされた状態が21世紀前半の現在にまで引き続き継続しているということは、現在に生きる私たちもまた「誘惑に勝てていない」ということなのだろうか。

「以下の如来形佛頭二、菩薩形佛頭六、佛手一の計九點は何れも天龍山石窟の佛像である。根津嘉一郎氏はこの種の像片四十六點を蒐集されたが、この九點以外は総て諸外国に寄贈された。」(根津美術館1941『第壹回 展観目録』55.)

1937年に根津嘉一郎氏より「諸外国に寄贈された」「石佛像」で現在の所蔵が確認できるのは、以下の22点である。
・オランダ・ライデン・フォルケンクンデ博物館:4点 [RMV.2334.1]~[RMV.2343.4]
・イギリス・ロンドン・ブリティッシュ博物館:5点 [BMU.1937.1013.1]~[BMU.1937.1013.5]
・イタリア・ローマ・東洋博物館:5点 [MNO.1]~[MNO.5]
・ドイツ・ケルン・東洋博物館:2点 [MOK.BC.40.1]~[MOK.BC.40.2]
・ベルギー・ブリュッセル・王立民族博物館:3点 [RIC.UOC.620]・[630]・[635]
・日本・東京・国立博物館:3点 [TNM.TC90]~[TNM.TC92]

問題は、1937年になぜヨーロッパ諸国および日本の代表的な博物館施設に所蔵文化財を「寄贈」したのかということである。
すなわち、なぜ寄贈先に「寄贈資料」の由来地である中国は含まれていないのかという点である。

こうしたことも含めて、以下の集会において簡単な問題提起をする予定である。

【集会予告】
中国から略奪した文化財の返還を求める緊急集会 -日中国交正常化50周年企画-

日時:2022年 4月 20日(水) 15:00~17:30
場所:衆議院 第一議員会館 大会議室(地下1階)
主催:中国文化財返還運動を進める会

1. 総合司会(藤田 高景)
2. 主催者代表挨拶(纐纈 厚)
3. 来賓・連帯挨拶
4. 特別講演
・「日本の侵略と日中国交正常化50年 -中国に再び戦争をしかけてはならない-」(高野 孟)
・「文化財返還運動から見通せること」(五十嵐 彰)
5. 質疑応答
6. 閉会挨拶(東海林 次男)


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