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金丸2002「曲論の系譜」 [論文時評]

金丸 裕一 2002「曲論の系譜 -南京事件期における図書掠奪問題の検証-」『立命館言語文化研究』第14巻 第2号:123-138. 立命館大学国際言語文化研究所 編

「曲論」とは、「正しくないことを正しいかのように言い曲げる論」である。

「この小論では、近年の「南京大虐殺事件」(以下「南京事件」と略す)時期に頻発した、日本による掠奪問題をめぐる研究に焦点をあわせ、幾つかの新しい「神話」が創作される過程を詳細に検証してみたい。その際、考察の対象は文化財、とりわけ図書・雑誌に対する「掠奪」の問題に限定していく。」(123.)

筆者が1997年12月に台北で開催された「南京大屠殺六十周年国際学術シンポジウム」に出席して趙 建民の発表を聞いたことが、本論形成のきっかけであった。

「帰国した後、徐々にではあるが関連する論文を含め、資料の蒐集と解読に努めていたが、この過程において趙建民による研究は、予測を遥かに超越した、極めて衝撃的な「史実」を提起したものであることに驚いた。」(124.)

筆者が系譜を追うのは、南京事件期における図書略奪に関する見解についてである。
原典は中支建設資料整備委員会1941『業務概況』で「接収員の延人員は330名、兵員延人員は367名、苦力延人員830名、トラック延台数は310台」であったのが、1986年8月17日付『赤旗(日曜版)』では「特務員のべ330人、兵隊のべ367人、苦力のべ830人、トラックのべ310台」となる。
当初の「接収員」が「特務員」となり、「特務機関」との連想から「スパイ(特工)」との歪曲に繋がった可能性がある。
そして趙 燕群1987、農 偉雄・関 建文1994、孟 国祥1995などを経て趙 建民1997ではとうとう「スパイ(特工)が7000人にも達し、労務者200人、トラック810台を用いて、集めた図書が88万冊であった」ということになってしまったのである。

こうした数値のインフレ化だけでなく、幅広い概念として示された「損失」の数値を「略奪」と思い込んだり、根拠を確認することなく確定事項のように記載していくといった「恐らく「伝言ゲーム」と類似した現象」(131.)が中国側・日本側双方で連鎖的になされていったようである。

「誤解を恐れずに批評するならば、この時期における研究は、史料を丹念に発掘・解読し、事実関係を明らかにしようという、歴史家に求められる努力を、大方は放棄していた。そして、話題が肝腎な部分に至ると、推測で誤魔化したり、あるいは『チラッとみたことがあります」などと、いかにも思わせぶりな口調で、読者を煙に巻く。わが国の図書館の図書館たる国立国会図書館に勤務する人が表明する見解でもあり、多くの同業者に対して、多大な影響を与えてしまったのではないだろうか。」(127.)

そして多くの素直な反省の弁が述べられる。
これは図書館学だけの問題ではない。

「研究の系譜をたどった場合、既に相当の成果を有する台湾の研究を、あまり参照することはなかった。語学的な問題もあると思うが、研究対象地域の言語によって書かれた研究に通じないままに作業を進めることは、大きな損失を招く。」(128.)

「時代の雰囲気というものは、恐ろしいものである。思い返せば20年程前、筆者が研究を志した時分に、ムキになって中国で発行されている各地の「文史資料」というシリーズを集めていた時期があった。ここに収録されている史料は、大半が二次史料としての回想録であり、批判的に解読しなければならない性格の文献ではあるが、「内部発行」と記された希少性に吸引され、これを利用することで論文の「格」があがるのではないかといった幻想を抱いていたのであった。」(129.)

考古学の世界でも、必要な外国文献の引用がなかったり、逆に必要なのかと思われる外国文献を引用することで「論文の格」をあげているような論文を目にすることがある。
弁えるべき基本的な研究姿勢である。

「そう遠くない将来、より厳密なる学問的態度を堅持することこそが、日本とアジアの歴史認識を相互に認め合うための、必要条件になっていくだろう。以上、曲論の跋扈とその系譜に対する考察によって、歴史家が保持するべき基本的な姿勢を確認した。これを以て自戒としたい。」(132.)

なお資料として付された「学術資料接収委員会の構成員」という表の考古学関係者の項目には、「松本信広」「高橋寅雄」「赤堀英三」の3人の名前が記されている。

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