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小松ほか2013「痕跡学序説」 [論文時評]

小松 研治・小郷 直言・林 良平2013「痕跡学序説 -痕跡を読み、痕跡に語らせる-」『富山大学 芸術文化学部紀要』第7巻:70-85.

「…今から取り組もうとしている課題は「人を内面(だけ)で判断してはいけない」という論旨を主張する。つまり、「人を「行動の結果」から考察してみようとするアプローチである。もう少し具体的に言えば、人が行動した結果としてしばしば残す痕跡に注目し、その痕跡ができる理由を探ろうとする試みである。」(70.)

研究対象が人の「行動の結果」でしかない考古学は、すなわち痕跡学である。むしろ痕跡学であらざるを得ないのは、当然と言えば当然であろう。
だから「行動考古学」などというジャンルも提唱されてきたのである。
そして外面(行動の結果としての痕跡)から何とか人間の内面にまで至れないかと苦闘している訳である。

「痕跡を見つければ議論を発展させる礎となるし、在るに違いないと思った痕跡がないことが、新たな発見の手がかりとなることもある。痕跡から必要な情報を得る方法論は、犯罪捜査や歴史・考古学などでは卓越した独自の科学的発展を遂げているため、ここで改めて我々が解釈する余地は少ないと思われる。しかし、これらの分野にとって痕跡とは、犯人捜しや考古学的事実を知るためのものであって、痕跡そのものに関心があるわけではない。しかも、その痕跡が「繰り返された人間の行為」や「無意識な行為」を暗示していることを必ずしも必須事項としているわけではない。我々がこれから取り組む痕跡学にとっては、この点は大きな関心の的となろう。」(70.)

3人の著者は、富山大学芸術文化学部、大阪大学大学院経済学研究科の所属である。
考古学における「卓越した独自の科学的発展」についても「改めて解説する余地」はあると思うが、一切省かれている。「序説」とする所以だろうか。私は、「痕跡そのものに関心がある」のだが。

本論で示されている事例は、ガソリン給油所の灰皿清掃用エアーガンのノズルが差し込まれたスチール製アングル棚の柱に等間隔に設けられた穴、美術館前の庭園の芝生の直角の角部分が歩行者の踏みつけによって痛んでいる箇所、デスクに設置されたアームライトに止められたクリップやメモ、部屋のコーナー部分を利用して置かれた紙袋群、車のワイパー劣化に伴うフロントガラス上の線状の水痕、ゲレンデを滑るスキーヤーが描くシュプール、バットに残る打球の凹み、階段フロアに残る偏った摩耗箇所、キーボードの汚れや摩耗の偏り、靴底の摩耗パターン、ペンシルライトの残像、ベトナム戦争時にアメリカ軍兵士が自らの靴底に人間の裸足を模したソールを張り付けた「カモフラージュ・ソール」などなど。
ただし、それぞれの「製作痕跡」と「使用痕跡」といった区別については注意が払われていない。

「西部劇での追跡シーンでよく見かける光景に、馬上の追跡者が逃走者の馬の蹄鉄からどれぐらい前についた跡で、逃げる方向、早さ、人数などを読み取る仕草があったように記憶している。現在から見れば野蛮で科学的ではない経験と勘の世界のようで一笑に付されてしまいそうである。」(74.)

こうした民俗知は体系化されていないだけで、その精神は極めて「科学的」である。

痕跡の読み取り作業は西部劇の中でだけなされていた訳ではなく、それこそ人類がこの世に現れて以来数百万年の期間、狩猟を生業としていた人々は、獲物の足跡や残された糞からどれほど前に通り過ぎたのか、歩いていたのか駆けていたのか、さらに相手の心理状態まで、ゆったりと落ち着いて歩いていたか、それとも警戒しながら緊張しつつ歩いていたかを推し量って、今後の作戦を立てて追い詰めあるいは待ち伏せて仕留めてきた。
ハンターとしての私たちの祖先は、獲物の痕跡を読むという意味で痕跡学の第一人者であった訳である。

本論でも引用されているシートンの言葉をここでも引用しておこう。
「野生動物の足跡を追いつづけるものは、森の知識に精通するだけでなく、同時に次のことをいっそうよく知るようになる。野生動物は、日々の生活について終わりのない原稿を書き続けている。」(82-83.シートン(藤原 英司訳)1980『シートンの自然観察』:191.)

アーネスト・トンプソン・シートン(1860-1946)は、ボーイスカウト運動の創設にも大きな影響を与えたアメリカ連盟の初代代表である。子供の頃『狼王ロボ』などをワクワクしながら読んだ記憶が蘇ってきた。

痕跡研究から痕跡論へ、さらに痕跡学へ。
そのために考古学という学問が果たす役割は、非常に大きい。

「単に過去の痕跡を集めて繋ぎ合わせるだけではない、私たちを取り囲む痕跡に満ちた世界を<場>と<もの>という相互関係から読み解く営み、そこには常に解き明かす私たち自身を考える意識が欠かせない。私たちはどのような痕跡をどのように区分して、どのような名前を与えて、どのように取り扱っているのか。」(五十嵐2018「鉛筆で紙に線を引く -考古学的痕跡-」『現代思想』46-13:112.)

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