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平野2018「「明治維新」を内破するヘテログロシア」 [論文時評]

平野 克弥2018「「明治維新」を内破するヘテログロシア -アイヌの経験と言葉-」『現代思想』第46巻 第9号:48-71.

各所で引かれているので読んでみたが、良かった。

「歴史を解釈し叙述することは、パズルのようにバラバラになったピースを組み合わせて既成の認識対象を再現したり描きなおすことではないだろう。それは、目の前に動かしがたく立ちはだかる(あるいはそのように思える)現実の生成の過程を解きほぐす作業であると同時に、その過程で逸脱し、排除され、沈黙させられ、あるいは遺棄されていった人びとの生きざまや言葉から、支配的構造や論理 -国民国家、帝国、植民地主義、資本など- に統合できない生の様式を「メシア的」(ベンヤミン)に探りあてることでもあるだろう。」(50.)

歴史主義あるいは実証主義は、例えば「日本」という国民国家を出発点・前提としながら、かつ終着点・結論とするという解釈学的循環(hermeneutic circle)の中にいる(48-49.)。
「日本考古学」という枠組みを前提とする第1考古学は、正にジグゾーパズルを組み上げる果てしなき「パズル遊び」と化している。

「あらゆる統一や自己同一性が暴力的に生み出されるものであるならば、日本・日本人という主体もまた暴力やその傷痕をみずからの存在の可能性の条件として内在させている。言い換えれば、日本・日本人という主体そのものがトラウマ(外傷)をその構成要因として抱え込んでいるということである。無垢で整合性をもった主体などは歴史上存在しえないファンタジーであることを再確認しておこう。そのファンタジーにしがみ付けばつくほど、主体の名において行使された暴力は想起され、その犠牲となったものたちの怒りと悲しみが記憶として蘇り、彼女ら彼らの身体に深く刻まれた傷が激しく疼き始めるだろう。そして、その記憶と身体は、自己同一性を可能にしているナルシシズムのモノローグ、閉ざされた言説的回路を打ち砕くだろう。主体のパラドックスとは、自己同一性の徹底化が自己破綻そのものであるということだ。主体を生み持続させるために繰り返されてきた「原-暴力」と、それによる無数の裂開と傷痕とが主体を内側から爆破させる。」(51.)

日本の近代期に持ち込まれた異国由来の文化財に記された「裂開と傷痕」が、閉ざされた「日本考古学」を内破させる。
海洋渡航も横穴式石室も埋蔵文化財も高地性集落も植生史も土器研究も「日本考古学」というジグゾーパズルを組み上げるために資するが、決して内破することはない。

「主体の形而上学は人間が絡めとられている無限に複雑な局面を国民や民族の物語に書きかえようとする。生きられた現実の表象不可能性を主体の物語へと記号化し、そのような意識を個人に植えつけようとする行為は、主体の「原-暴力」「原-破綻」の事態を隠蔽するだけでなく、暴力と破綻そのものであることを強調しておこう。「日本は素晴らしい」、「日本人であることに誇りを持て」という愛国的発話は、暴力の隠蔽と隠蔽の暴力 -暴力を隠蔽する暴力という二重の暴力行為- においてその内部からすでに破綻している。言い換えれば、主体の形而上学の論理的前提は、歴史というヘテログロシア(heteroglossia/言葉の多義性や複数の声がぶつかりあい重なりあいながら意味の統合を実現させない状態)の場においていつも、すでに自己破綻している。そのヘテログロシアを確保し、思想化していくことが歴史家に求められている。」(52-53.)

文化財返還は現代政治的問題だから学会として取り扱わないと目をそむけたり、収奪文化財をめぐる研究倫理指針に横やりが入って何年たっても決定できないといった「原-暴力」「原-破綻」を隠蔽するような状況が続いている。

「ここでアイヌの人種化が、二つの排除/包摂の過程を媒介にしていたことを確認しておきたい。一つは開拓事業のためにアイヌをアイヌモシリ(大地、海、川、森)から排除しつつ帝国日本に包摂していく過程。もう一つは、同化によって包摂しながら人種的には日本人ではないとする排除の過程。前者は資本による排除的包摂、つまり本源的蓄積の条件を生み出すために収奪しながら包含する過程をさし、後者は国民化による包摂的排除、つまり臣民という集合体にすでに包含しながらもその集合体に所属させない過程をさしている。アイヌは資本と国民が支配する世界では、主体性を獲得できない憐れむべき存在として受け入れられ=差別されていった。アイヌの生のミュージアム化という社会的死はこの排除的包摂(資本)と包摂的排除(国民)の二重構造によって生み出されたもっとも暴力的な差別の形態であった。」(64.)

土地も言葉も奪いながら(奪うために)、建前上の平等を掲げ、実は同化を押し付け、自らが上に立つ階層秩序を確立することが目的であった。

「一視同仁」

これはアイヌに限らない。琉球に対しても、朝鮮に対しても、同じような二重構造が押し付けられていった。

自らを高めるために隣人を貶め抑圧し収奪していく。
そうした自らの過去を直視できないことが現在の自らをさらに貶めていく。

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