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2018 寒中見舞 [雑]

「チェルノブイリの事故のあと、「放射能を含んだ雨」が日本にも降った。科学者たちは、危険なほどの放射能は出なかったと言ったが、私にもちょっと言わせてほしい。科学者たちは、そんなことは知ってはいないのだ。推測しているに過ぎない。そして科学者たちは、同じような事故は日本では決して起こらないと言うが、それも知った上で言っているわけではない。起こらないことを希望しているに過ぎない。絶対に故障しない機械など、誰にも作れない。うまく行っても、たまにしか故障しない機械を作るのが関の山だろう。」(ダグラス・ラミス1988(1986)「原子力の雨(Atomic Rain)」『最後のタヌキ』晶文社)

 

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「とてつもなくない」という評価について考える [雑]

「…五十嵐が示す根拠である「大形石棒の特殊性」については、長田が当日資料に記したようにあくまでも私達の主観的な考えにすぎず、それを考古学的事象、特に今回の発掘調査によって得られた情報によって証明することは難しい。「廃絶時設置」説の影に、五十嵐が言うとおり「石棒の廃絶時儀礼」という呪縛があるとすれば、五十嵐の側にも「大形石棒を「とてつもない」と感じる」ことが「あたりまえの感覚」(五十嵐2017)という呪縛があるように筆者には感じられた。」(合田 恵美子 2017「公開討論会「緑川東遺跡の大形石棒について考える」」『東京の遺跡』第108号:1.)

言わば「呪縛返し」である。しかしどうも「筋」がずれているようである。
この「呪縛返し」の前提は、以下の文章である。
「あの4本の大形石棒が生み出されるにあたって膨大な時間と労力が費やされた、そこに当時の人びとの壮大な思いが込められていたという想定を否定する人はいないのではないか。」(五十嵐2017a「緑川東・廃棄時設置という隘路」『東京の遺跡』第107号:3.)
「とてつもない代物を「とてつもない」と感じる当たり前の感覚と、それを整合的につなげていく当たり前の論理が求められているのではないか。」(同:4.)

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2016:寒中見舞 [雑]

12月17日にはSV1出土の土器を実測・トレースしたという方をゲストにお招きして、「緑川東問題」に関する想定討論を行なった。ゲストの方にも真摯にご対応いただいた。ありがとうございました。
当初は「廃棄時説」を述べられていたが、最後には「製作時説」について納得して頂けたことと思う。

別の所にも少し書いたが、1年前の「緑川東問題」提出時は大枠での総論的な印象に留まっていたが、この1年間で個々の論点について少しずつ考えも深まり、「緑川東問題」の所在がかなり明確になってきた。
その真意は、第2考古学の核心に関わる重要問題である、というものである。

関わる焦点(focal point)はいくつかあるが、そのうちの一つは「もし廃棄時説に立つのなら、必然的に存在するはずの「浅い掘り込み」はなぜ確認できなかったのか?」という点にある。
これは、「廃棄時論者は、大形石棒の設置場所に存在したという敷石の除去について言及するが、当然存在したはずの炉の除去にはなぜ言及しないのか?」という更なる疑問に結び付いていく。

いずれにせよこうした諸論点についても、2月19日には全て明らかにされることだろう。

「緑川東問題」は、第2考古学の主要な論点である「考古時間論」と「部材論」と「ジェンダー考古学」の重複領域に位置する学史上重要な未解決問題である。

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第11回 宣言記念日 [雑]

10年で一区切りをつけたつもりだったが、まだズルズル続いている。
そもそも本ブログは、10年前に大阪で開催されたWACの中間会議で発表する「遺跡問題」について、広く意見を求めるというのがスタートの大きな動機だった。
そのWACの様子を毎晩、梅田のインターネット・カフェから送信していたのが、文字通り10年ひと昔、今ではスマホで、はい、お仕舞いという時代である。感慨深い。

この時期は、いつも日本考古学協会の総会記録を掲載した『会報』が送られてくるので、どうしてもそれに関連した記事になってしまう。
今回の第188号では、2年振りに「常置委員会・特別委員会・小委員会委員名簿」が掲載されている(21・22頁)。

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2016年(非難と批判の違いについて) [雑]

ある人から、あなたのブログでなされているような非難が今後なされないならば、お付き合いができます、といった趣旨の文章を頂いた。当初は述べられている文意が十分に理解できずに困惑していたのだが、暫く経つうちに、どうやらこの方は「非難」と「批判」の区別がついていないのではと思われてきた。

非難:欠点・過失などを責め、とがめること。非として難ずること。
批判:事物を分析して、その意味・価値を認め、全体の意味との関係を明らかにし、その存在の論理的基礎を明かにすること。(広辞苑)

ヤフー「知恵袋」での回答
非難:「お前が悪い、お前が悪い、絶対悪い」
批判:「君のこの点は良くない。何故ならばこうだからだ」

一般書店でもよく目にする「クリティカル・シンキング」を引き合いに出すまでもなく、批判的思考は私たちの一般的な社会生活で欠かせない精神の在り様で、中でも学問という営みでは必須と言ってもいいのではないか。そして自らへのあるいは自らが属している組織への批判的な言説について須らく「悪口を言われている」といった程度の認識で「非難」として受け取り表現してしまう。
それを建設的な「批判」と、受け取ることができない。

以下は、ウィキペディアより引用。

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パラドックス [雑]

ある宿舎の柱に掛かっていた、あるタペストリーから。 

私たちの時代の矛盾

大きくなった家、小さくなった家族
便利になって、時間がない
高学歴になり、感性は鈍く
知識は増し、判断力は衰え
専門家は増え、問題も増え
医療は進み、健康は損なわれる

月旅行はするが、新しい隣人に会うため道一つ渡ろうとしない
情報を蓄えコピーするためコンピュータを作り、
人とのコミュニケーションは低下する
量を重視し、質を軽視している

ファストフードの時代だが、消化不良
身体は大きくなったが、品性に欠ける
利益ばかり追い求め、人との繋がりは希薄

外から見える窓は多くのもので充ちているが、
部屋の中はスカスカ、これが私たちの時代

ダライ・ラマ14世

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回顧-4(2013-2015) [雑]

2013年は、茜色に染まる雲海上の富士山を眺めながら、様々な思い出に浸ることからスタートした。

一方で日本考古学協会における文化財返還問題は3年の間一向に進展がなく、ということは放置されていた訳で、2013年の春には理事会に総会での審議を求める書簡を改めて送らざるを得ない状況になっていた。
それに対する応答が、新たな妄言すなわち文化財返還問題を直視せず棚上げ・先送りする理由として持ち出された「国政レベルの事案」というものであった。
これは、当該問題が「日本考古学協会」というある組織の性格問題を越えて、「日本考古学」そのものが抱える本質的な病理と関わることを示していた。

2013年4月には提出した書簡の内容を受けて、本問題を担当する理事と個別に話し合うという新たな状況を迎えることになった。
しかしその後も、事態は遅々として進展せず、一進一退を繰り返して現在に至っている。

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回顧-3(2010-2012) [雑]

2010年の年頭には、以下の5つの課題を挙げた。

1.未刊行報告書対策委員会 Unpublished report comittee. 
2.土壌汚染対策委員会 Soil pollution comittee.
3.略奪文化財返還委員会 Plunder cultural property comittee.
4.デジタル化推進委員会 Digitalization comittee.
5.<遺跡>問題検討委員会 Site-problem comittee.

#3については、日本考古学協会にそれらしきものができつつある。#4についても、奈良文化財研究所がようやく重い腰を上げたところである。残りの3つ(#1・#2・#5)については、未だにその兆しすら伺えない。土壌汚染については、2011年3月以降新たな難題を抱えているにも関わらず。

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回顧-2(2007-2009) [雑]

3年目に入って、そろそろ落ち着いてきた頃かなと安心していたところに思わぬ落とし穴が。

事件は、レンフルー&バーン(松本&前田訳)2007『考古学 -理論・方法・実践-』を章ごとに論評している過程で起こった。社会考古学と題する箇所(第5章)で、筆者らがホークスを紹介して「こうした議論を私たちは受け入れない」とした意見に賛意を示したことから、「ホークスはそんなことは言っていない、だからレンフルーらの議論は成立しない」というコメントがブログに寄せられた。そこから最終的には、介入された第三者がレンフルーに直接コンタクトを取るという事態にまで至った。議論の対象となった原書は、2012年に第6版が出版されているが、当該箇所がどのように修正されているのか確認するに至っていない。

レンフルー&バーン2007『考古学』 2007年9月18日~2008年1月7日

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回顧-1(2005-2006) [雑]

「五十嵐2004d「考古記録」『現代考古学用語事典』で、第2考古学を宣言した。
それは、従来の第1考古学に飽き飽きしていたからだ。」【2005-08-24】

10年前、こんな書き出しでブログ「第2考古学」はスタートした。
「よくもまぁこんな大胆なことを」という思いと同時に「10年経っても成長していない」という思いが交錯する。
翌日の初コメントに対しては、「蒔くな、突き刺せ!」「線を作れ、決して点を作るな!」「速くあれ、たとえ場を動かぬときでも!」というドゥルーズの刺激的な言葉をもって応じたのだが、当時の心意気を示して余りある。

<遺跡>問題 2005年8月25日~9月6日 
痕跡研究(トラセオロジー) 2005年9月7日~9月17日
考古二項体制(遺構:遺物)批判 2005年9月19日~9月22日
砂川(母岩識別)批判 2005年10月5日~10月13日
近現代考古学 2005年10月19日~10月24日
捏造問題 2005年10月26日~11月17日

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