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回顧-1(2005-2006) [雑]

「五十嵐2004d「考古記録」『現代考古学用語事典』で、第2考古学を宣言した。
それは、従来の第1考古学に飽き飽きしていたからだ。」【2005-08-24】

10年前、こんな書き出しでブログ「第2考古学」はスタートした。
「よくもまぁこんな大胆なことを」という思いと同時に「10年経っても成長していない」という思いが交錯する。
翌日の初コメントに対しては、「蒔くな、突き刺せ!」「線を作れ、決して点を作るな!」「速くあれ、たとえ場を動かぬときでも!」というドゥルーズの刺激的な言葉をもって応じたのだが、当時の心意気を示して余りある。

<遺跡>問題 2005年8月25日~9月6日 
痕跡研究(トラセオロジー) 2005年9月7日~9月17日
考古二項体制(遺構:遺物)批判 2005年9月19日~9月22日
砂川(母岩識別)批判 2005年10月5日~10月13日
近現代考古学 2005年10月19日~10月24日
捏造問題 2005年10月26日~11月17日

振り返ってみると現在に繋がる主要な論点は、殆ど初年度に言い尽くされている。
時々のコメントに対する応答を読むと、冒頭に記したような「よくもまぁ」という気恥ずかしさに覆われて居たたまれない。
しかしそれもこれも、一つの歴史(痕跡・トレース)である。
それぞれの記事に寄せられたコメントについても、その時点では良く理解できなかったことが、10年経って読み返してみると、なるほどと腑に落ちることも多々ある。

目標として掲げた「詩学としての第2考古学」すなわち「考古学性の解明」という課題は、どこまで果たされただろうか?

そして2006年のWACから「春の嵐」事件へ。
本ブログでは、その辺りの顛末はよく分からないが、わずかに「無題」と題する記事にのみ、その片鱗が伺える。
「第2考古学はイナバウアーだ」に対する「トラセオロジー擁護論」が大きな支えとなったことを改めて想起する。
今となっては一つ一つが良き経験だったと思い起こすことができるが、当時は初めての経験でもあり憔悴した。

ARCHAEOLOGIES OF THE CONTEMPORARY PASTの紹介 2006年2月15日~5月30日
考古誌批評 2006年4月17日~4月26日
海南島旅行記 2006年5月9日~5月22日
ジャーナル動向分析 2006年6月8日~6月21日
遺構論 2006年6月22日~7月10日
考古時間論 2006年7月13日~8月17日

『汐留Ⅳ』の批評を契機とした「部材論争」。これまた消耗した。今読み返してみても。

当初は更新頻度の頻繁さと相まって、各方面からの応答にエネルギーを消費する日々であった。
2006年9月からは、「第2考古学セミナー」(第1期)なるオフ会をほぼ毎月開催した。
これも、新たな出会いを求めたものであったが、良い学びの機会となった。
多くの人たちに支えられ鍛えられて、今に至ったことを確認した。


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