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回顧-4(2013-2015) [雑]

2013年は、茜色に染まる雲海上の富士山を眺めながら、様々な思い出に浸ることからスタートした。

一方で日本考古学協会における文化財返還問題は3年の間一向に進展がなく、ということは放置されていた訳で、2013年の春には理事会に総会での審議を求める書簡を改めて送らざるを得ない状況になっていた。
それに対する応答が、新たな妄言すなわち文化財返還問題を直視せず棚上げ・先送りする理由として持ち出された「国政レベルの事案」というものであった。
これは、当該問題が「日本考古学協会」というある組織の性格問題を越えて、「日本考古学」そのものが抱える本質的な病理と関わることを示していた。

2013年4月には提出した書簡の内容を受けて、本問題を担当する理事と個別に話し合うという新たな状況を迎えることになった。
しかしその後も、事態は遅々として進展せず、一進一退を繰り返して現在に至っている。

かねてより言及していた「富山問題」について、新たな展開があった。
発端は2014年に出版された書籍の評論に端を発した。
これら一連の議論も本ブログだけでなく、第三者のブログやフェイスブック・掲示板などを横断して様々に展開したので全体像を把握しずらいが、それぞれの箇所で言及されているそれぞれの文章によって、大まかな内容を把握することができる。その内容は、石器の見方、解釈の在り方から年代測定、果ては研究姿勢曲解にまで至る考古学という学問の本質に関わる問題が問われている。富山問題が「第二の捏造問題」と目される所以である。

2014年の春には、別種の問題の種が蒔かれつつあった。
それは縄紋時代の大型石棒が4本並んで検出されたという極めて異例な出土状態について、どのように解釈するのかという点であった。
最初に本件を巡るシンポジウムの参加記で出土状態から埋設に至る過程について報告者の一方的な解釈について疑問を提起し、正式な考古誌が刊行された時点で改めて意見を述べた。再度のシンポジウムでは新たな仮説を述べたが、こちらの疑問に対するしっかりとした応答はなされることなく、対話(ダイアローグ)の成立を見るに至っていない。

実験研究については、考古学研究における「ブラインド・テスト」の位置づけをめぐって、多少の意見の交換をすることができた。
*「実験考古学」ならぬ「体験考古学」には、ブラインド・テストは必要ない
*ミドル・レンジ研究の枠組みに位置づけられる「実験痕跡研究」において、ブラインド・テストは考古資料と実験試料を結びつける不可欠なプロセスである
というのが、私の見解である。
技術学」という考え方の根幹にも関わる問題だと思う。

四海波静
小は石器実測図のリングの描き方から、大は日本考古学の戦後意識に至るまで、その中には論文作法から環状列石の構築方法に至るまで、様々な事柄が含まれるが、その多くは何の反応も示されない。
こうした事柄についていささかの反応もないことについては、多くの解釈が可能であろう。
私の問題提起の拙さに起因するものから、実は私が知らないだけで目に見えない場所ではさんざん行なわれているというケースに至るまで。

そうした事々も含めて、次の10年後ぐらいには、少しは答えが出ている(第2考古学の評価も示される)ような気がしている。


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