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回顧-3(2010-2012) [雑]

2010年の年頭には、以下の5つの課題を挙げた。

1.未刊行報告書対策委員会 Unpublished report comittee. 
2.土壌汚染対策委員会 Soil pollution comittee.
3.略奪文化財返還委員会 Plunder cultural property comittee.
4.デジタル化推進委員会 Digitalization comittee.
5.<遺跡>問題検討委員会 Site-problem comittee.

#3については、日本考古学協会にそれらしきものができつつある。#4についても、奈良文化財研究所がようやく重い腰を上げたところである。残りの3つ(#1・#2・#5)については、未だにその兆しすら伺えない。土壌汚染については、2011年3月以降新たな難題を抱えているにも関わらず。

2010年の早春にソウルの国立博物館で遭遇した「石製龍頭」からの呼びかけが、5月に国士館大学で開催された日本考古学協会総会での問題提起に繋がっていった。そして一か月後の理事会では、「政治問題に絡むことは取り扱わない」という歴史に残る妄言が発せられることとなった(応答および補足)。

ところが私が専心しようとしていた文化財返還に関する問題提起と同時に、日本考古学協会では予期せぬ事態が進行していた。すなわち「日考協蔵書海外放出問題」である。
2010年の夏から秋にかけては、殆ど本件を巡る遣り取りに費やされた。
志を同じくする人びととまとめた意見の公表、第一次・第二次と2回にわたる署名の取りまとめ、個人的な所感補足、ネット上での意見交換、そこから明らかになってきたこと、その根本的な発想、図書問題の本質の解明など、僅か5年前のことなのに、もう遥か遠い昔のことのようにも思われる。しかし今、読み返してみても、多くのことを学ぶことができる。コップの中の嵐とは言え、充分に「社会学的探究」に値するテーマである。私の拙い文章などよりも、それに対する様々な方々のコメント(民主化抗争および応答)を読み返す方が、よほど勉強になる。

2010年10月に開催された日本考古学協会の臨時総会で、日本考古学協会蔵書の海外寄贈は「白紙撤回」された。今から思えば、5年後に引き起こされる新国立競技場やオリンピック・エンブレム騒動を予告するような騒動であった。
こうした決定を受けて改めて寄贈先を募る特別委員会が立ち上がり、社会的な注視の中で活動を始めたのだが、その活動の過程においても多々不可解な出来事が生じていた(公開質問状第3回特別委員会問題)。
こうしたドタバタも、寄贈先が無事に決定した今となっては些細な瑕疵なのかも知れない。
しかし完成させる(した)とされていた寄贈図書目録のオンライン公開は、いったいどうなったのだろうか?
改めて一連の騒動に関する総括が必要とされる所以である。

文化財返還問題および協会図書問題に関わる中から、こうした問題の解決のためには「日本考古学」の根本的な性格を規定している歴史的な経緯、所謂「学史」というものに踏み込んでいかざるを得ないことが次第に明らかになっていった(学史タグ参照)。

日本古代文化学会と東亜考古学会はいったい戦後のいつまで存続していたのか、現在の日本における東アジア考古学もしくは「日本考古学」はかつての東亞考古学をあるいは東亞考古学を含む「日本考古学」をどのように位置付けているのか。
こうしたことを少しずつ明らかにしていかない限り、世界考古学と断絶した妄言が繰り返されることになるだろう。


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