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回想(総括-6) [捏造問題]

本ブログ【05-11-03】「回想(1997)」においても、日本考古学の孤立化現象、訳書率の低さなどを述べ、世界の研究潮流に対応する必要性を強調したが、ことはそう単純なものではない。

「35万年前の長尾根遺跡に住んだ人類は、年代的に見て旧人の可能性がより高くなる。この時期(前期旧石器時代末から中期旧石器時代初め)には、人類のより複雑な行動を示す考古学的証拠がアフリカ、ヨーロッパでも増え始める(Rolland1999)。この点で、日本列島での最近の一連の発見は、既存の証拠と決して矛盾するものではなく、従来の証拠の解釈の変更を迫るものと言える。」(山田しょう2000「世界の中の小鹿坂、長尾根遺跡」『秩父市制施工50周年記念 前期旧石器フォーラム -秩父原人 その時代と生活-』p.31)

該当論文で挙げられている7本のイギリス語・イタリア語の諸論文を読み込んで、反論するのは、今現在でも容易ではない。
それは、他の文章においても同様である(佐川正敏1997「日本列島最古の遺跡、最初の人々」『ここまでわかった日本の先史時代』角川書店:50-99、佐川正敏1999「北方ユーラシアの中期旧石器を考える」『北方ユーラシアの中期旧石器を考える -石器からみた現生人類の起源-』(奈良国立文化財研究所助成研究集会報告論集):109-114)

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回想(総括-5) [捏造問題]

どう考えても、検証の検証が必要である。あるいは検証の検証をなすべき前に、検証の中において、検証の検証が必要であったと言うべきか。

具体的には、「青葉山E地点7b層上面出土資料」。

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回想(総括-4) [捏造問題]

世に言う「ブラック・リポート」、またの名を「協会黒書」(日本考古学協会2003『前・中期旧石器問題の検証』)によって、全ての検証が終了したわけではない。

「本書が前・中期旧石器問題の終焉を告げるだけにとどまらず、今後の研究を展望しつつ、新たなる出発点の礎となることを切望するものである。」(小林達雄2003「序」同書)

ここで「終焉を告げ」られたのは、あくまでも真贋の部分に関してのみ、すなわち第1考古学に関してのみであり、その事柄をもとに展開された研究・方法・解釈など、すなわち捏造問題の第2考古学的側面に関してはほとんど手付かずといってよい。ものに止まることなく、ものから組み立てる考え方、それが第2考古学の研究対象であり、それが放置されているのである。

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回想(総括-3) [捏造問題]

単独犯行説と複数犯行説が両立していた。今も両立しているのかも知れない。しかし私にとっては、実際がどちらであっても余り興味がない。むしろ、そうした議論を通して見える日本考古学の在り様の方がより重要だと思える。

単独犯行説とは、一人で全ての犯行を行った、周りは単純に騙されていた、あるいは薄々気がついていたのかも知れないが、あえて積極的に解明しようとはしなかった、というものである。
複数犯行説とは、一人であれだけのことができるはずはない、裏に指示をした人物、すなわち適切な場所に、適切なブツを仕込むことを示唆した人物(黒幕)がいたに違いない、というものである。

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回想(総括-2) [捏造問題]

「プラシーボ(placebo)」という薬学用語をご存知だろうか。
日本語では、「偽薬」という訳が与えられている。
新しく開発された薬剤の効力を計るために、実際には効き目がないものが対照剤として計画的に投与され、その結果が統計的に検討される。「飲んだだけで効いてきた気がする」といった心理的な作用を排除するために行われる。
「プラシーボ効果」(placebo effect)とは、実際には薬理効果のない薬(プラシーボ)を効果ある薬と信じて服用し、その結果、実際に病状が改善してしまうことをいう。

被験者のみが「プラシーボ」と知らされずに投与されるのが、「シングル・ブラインド」である。被験者の先入観(プラシーボ効果)を排除するために行われる。
また被験者はおろか観察者に対しても、どれが「プラシーボ」であるか、どの患者が「プラシーボ」を飲んだかを知らせずになされるのが、「ダブル・ブラインド」である。これは観察者の心理的なバイアスをも排除することが目的とされる。

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回想(総括-1) [捏造問題]

東北地方を主とする前期旧石器資料は、当初は、時代呼称用語・年代測定値の信頼性・出土状況の様相など様々な点で疑念が指摘されながらも、90年代には表立った批判は影を潜め、全体的には静観あるいは様子見といった状況を呈していた。

一方で、宮城県内から関東・北海道へといった空間的拡張、20万から50万・60万更には100万といったインフレーション的年代の遡及、発見物が単なる石器集中部から「埋納遺構・住居状盛土遺構」といった多様なバリエーションに増幅されるなかで、改めて疑惑も増幅していった。

そして周知のように、こうした発見の自己増幅の過程において、2000年11月5日に破綻した。

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回想(2001-2003) [捏造問題]

2001年3月11日に神奈川県横浜で神奈川県考古学会考古学講座として「相模野旧石器編年の到達点」と題したシンポジウムが開かれた。午後の討論の場においてコメントを求められたので、会場から以下のような趣旨の発言をした。
「石器研究には2つの枠組がある。1つは石器の形を重視する形態的、型式的研究、もう1つは石器の形というものはあくまでも当時の社会システムの一部が表出したに過ぎないと考え、石器の形だけでなく、形を作り出した背景にあるもの、どのように獲得され、どのような形で<遺跡>内に持ち込まれ、どのような作業がなされ、どのような石器がどのような割合でどのように廃棄されたか、そのような石器がどのような頻度でどのような活動を伴いながらなされていたかを明らかにする。うんぬん・・・」

すると、いきなり壇上のあるパネラーからコメンテーターに対して怒声が浴びせかけられる、という前代未聞の事態が出来した。これまた、今となっては懐かしい思い出である。
(またまた後日談を記せば、その日の懇親会の席上において、そのパネラーの方から「頬擦り」を強要されて、ほんと往生した。いったい、あれは・・・)

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回想(2002) [捏造問題]

2002年の2月23日に東京都立大学にて「旧石器時代研究の新しい展開を目指して -旧石器研究と第四紀学-」と題した日本第四紀学会・日本学術会議第四紀研究連絡委員会共催のシンポジウムが開催された。
「遺跡形成論からみた堆積物としての遺物」(御堂島正)、「人骨の形態学的判断の信頼性と限界」(馬場悠男)、「遺物包含層の年代と環境」(町田 洋)というお三方とのセッションであった(五十嵐2002「型式と層位の相克 -石器と土器の場合-」『旧石器時代の新しい展開を目指して』:13-24)。私にとっては、本稿が捏造問題に関して発覚後最初の文章となった。

その頃(2000~2002)は、野川源流域から出土した膨大な旧石器資料群をひたすらトレースするという毎日を送っていた。そしてマスコミでは捏造問題に関連して、「層位は型式に優先する」という考え方そのものが間違っていたのだ、いやそうではない、といった言説が盛んに飛び交っていた。そのような発言を目にしながら、何か違うのではないか、という違和感がずっと消えずに残っていた。

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回想(2000・下半期) [捏造問題]

2000年10月13・14日に長野県野辺山高原にて、「八ヶ岳旧石器研究グループ結成10周年記念 人類の適応行動と認知構造 -野辺山シンポジウム2000-」と題した研究集会が開かれた。キャッチ・フレーズは、「21世紀の旧石器考古学を摸索する・・・キーワードは環境、適応、そして心」というもので、従来の第1考古学的な発想に捕われない極めて斬新で意欲的な企画であった。第1考古学にうんざりして、すっかり出不精になっていた私も、久し振りにある種の期待感を抱いて参加したシンポジウムであった。

 発表は、適応行動の分野で5本(「人類進化と適応行動」(佐藤宏之)、「石材資源と遊動生活」(野口淳)、「環境と人類」(小野昭)、「寒冷環境への適応」(加藤博文)、「シェーン・オペラトワールと技術的組織」(西秋良宏))、認知構造の分野で5本(「適応・進化・認知」(松本直子)、「石器研究と認知考古学」(桜井準也)、「石器製作技術と音声言語」(大沼克彦)、「景観と象徴」(安斉正人)、「スタイルとエスニシティー」(田村隆))であった。

このシンポジウムに参加した私の関心は、こうした新しい方法論を掲げる研究者が、上高森の「埋納遺構2」をどのように位置づけるのか、という一点にあった。

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回想(2000・上半期) [捏造問題]

2000年の1月29日に東京都立大学にて「日本列島の旧石器動物群をめぐる諸問題」と題した日本第四紀学会のミニシンポジウムが開催された。
基調報告として「日本の旧石器時代動物群」(河村善也)、「野尻湖動物群をめぐる諸問題」(小野昭)の2本が、コメントとして「日本列島のターミネーションと動物群の渡来時期」(吉川周作)がなされた。

「東京考古談話会」という東京地域を主とするローカルな研究会があり、役員をされている同僚から、「東京の遺跡」という季刊の連絡情報誌に第四紀学会のミニシンポジウムの報告を書いてくれないかという依頼があった(五十嵐2000d「日本第四紀学会ミニシンポジウム2000「日本列島の旧石器動物群をめぐる諸問題」『東京の遺跡』第65号:823-824)。

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