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回想(2001-2003) [捏造問題]

2001年3月11日に神奈川県横浜で神奈川県考古学会考古学講座として「相模野旧石器編年の到達点」と題したシンポジウムが開かれた。午後の討論の場においてコメントを求められたので、会場から以下のような趣旨の発言をした。
「石器研究には2つの枠組がある。1つは石器の形を重視する形態的、型式的研究、もう1つは石器の形というものはあくまでも当時の社会システムの一部が表出したに過ぎないと考え、石器の形だけでなく、形を作り出した背景にあるもの、どのように獲得され、どのような形で<遺跡>内に持ち込まれ、どのような作業がなされ、どのような石器がどのような割合でどのように廃棄されたか、そのような石器がどのような頻度でどのような活動を伴いながらなされていたかを明らかにする。うんぬん・・・」

すると、いきなり壇上のあるパネラーからコメンテーターに対して怒声が浴びせかけられる、という前代未聞の事態が出来した。これまた、今となっては懐かしい思い出である。
(またまた後日談を記せば、その日の懇親会の席上において、そのパネラーの方から「頬擦り」を強要されて、ほんと往生した。いったい、あれは・・・)

そんな思い出のあるシンポジウムのコメントが、2年も経って記憶もおぼろげになったころ、求められた(五十嵐2003c「相模野旧石器編年における王子ノ台遺跡出土石器群の不可視性」『考古論叢 神奈河』第11号:191-194)。

「各パネラーの皆さんは、相模野台地における旧石器時代研究はもとより、より広い視野・分野から第一線で全国的に活躍されている方々です。このような蒼々たるパネラーを迎え、21世紀最初の考古学講座を皆さんと共に開催できるのは、大変喜ばしいことと思っております。また、この講座をきっかけとし、より広い視点から、「考古学」が抱えるあらゆる問題について、一人でも多くの方と真剣な議論を交わしていただければ幸いです。」(神奈川考古学会2001「考古学講座「相模野旧石器編年の到達点」の開催にあたって」『相模野旧石器編年の到達点』)

ところが「蒼々たるパネラー」は誰一人として、相模野旧石器編年で最大の問題点となっている(はずの)「平塚市王子ノ台石器群」について一言も言及されることはなかった。シンポジウムの場において、「「考古学」が抱えるあらゆる問題について」「真剣な議論」がなされることはなかった(ように思われた)。

そこで「コメント集」においては、その「不可視性」について言及することとした。
まず「王子ノ台石器群」について、石材産地・石器形態・出土層位という3種類の属性を組み合わせて検討した。
そして何れの場合についても、如何様にも解釈は可能であること、にも関わらず、「王子ノ台石器群」については、明確な根拠が示されること無く、ある結論が導き出されていること、ないしは議論の主題として取り上げることそのものが忌避されていることを指摘した。

そこから導き出された結論は、以下のようなものであった。

「モノを研究対象とした諸学問の一つである「考古学」は、実はその識別能力(「本物」と「偽物」を判断する能力)という点で、重大な欠陥を有しているのではあるまいか? というよりは、むしろ「本物」と「偽物」を判断する手法が学問という営みにおいて「基本的要件である」という言説自体が問われるべきであろうか。これは「恐るべき知らせ」である。しかし前期旧石器遺跡を主とする捏造問題が明るみに出した事柄には、考古学に限定されない学問的営為そのものが内包する本質的問題が含まれている。」(五十嵐2003c:p.193)


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