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回想(2000・下半期) [捏造問題]

2000年10月13・14日に長野県野辺山高原にて、「八ヶ岳旧石器研究グループ結成10周年記念 人類の適応行動と認知構造 -野辺山シンポジウム2000-」と題した研究集会が開かれた。キャッチ・フレーズは、「21世紀の旧石器考古学を摸索する・・・キーワードは環境、適応、そして心」というもので、従来の第1考古学的な発想に捕われない極めて斬新で意欲的な企画であった。第1考古学にうんざりして、すっかり出不精になっていた私も、久し振りにある種の期待感を抱いて参加したシンポジウムであった。

 発表は、適応行動の分野で5本(「人類進化と適応行動」(佐藤宏之)、「石材資源と遊動生活」(野口淳)、「環境と人類」(小野昭)、「寒冷環境への適応」(加藤博文)、「シェーン・オペラトワールと技術的組織」(西秋良宏))、認知構造の分野で5本(「適応・進化・認知」(松本直子)、「石器研究と認知考古学」(桜井準也)、「石器製作技術と音声言語」(大沼克彦)、「景観と象徴」(安斉正人)、「スタイルとエスニシティー」(田村隆))であった。

このシンポジウムに参加した私の関心は、こうした新しい方法論を掲げる研究者が、上高森の「埋納遺構2」をどのように位置づけるのか、という一点にあった。

「400万年有余の歴史の中で、人類は変わりゆく環境に対してどのような適応行動をとってきたのでしょうか。また、20世紀の科学が切り崩せなかった大きなテーマのひとつが人の心だといわれていますが、適応理論だけでは解決のつかない人類の心の問題は、どのように考古学的に解明されてゆくのでしょうか。適応と認知は相反する概念にもみえますが、いずれもヒトのなかで共存していることはこの問題が不可分であることを教えれくれます。」(堤 隆2000「開催にあたって」『野辺山シンポジウム2000 人類の適応行動と認知構造』)

「これらの埋納遺構は偶発的なものではなく、原人の狩猟・採集・居住・移動などに計画性をもった行動の一貫として、意図的にある種の精神文化を具現化したものと考えざるをえない。」(鎌田俊昭1997「原人の埋納遺構」『ここまでわかった日本の先史時代』角川書店:p.49)

「ある種の精神文化を具現化したもの」が原人段階の日本列島に存在していた。このことを論じないで、「新しい人類進化論」、「社会的適応行動」、「社会組織・精神文化」、「環境適応論で説明困難な社会的文化的側面」、「認知的モジュール」、「空間認識能力」、「象徴考古学」(以上は、「シンポジウムの論点・キーワードのガイド」として配布された資料からの各発表者が提示したキーワードからの抜粋)は、どんな意味があるのだろうか?

 ところが、各研究発表もそれに応じた質疑応答もそうしたことには一切触れずに淡々と進んでいく。とうとう、最後の全体での質疑応答の時間になってしまった。しびれを切らして、手を挙げた。
「後期旧石器段階ですら、ナイフ形石器が円形に配置して検出された例を知りません。「U字形とT字形」に配置されたという上高森の「埋納遺構2」について、認知考古学的にどのようにお考えになりますか?」

司会者から、「どなたにお聞きになりたいですか?」と聞かれたので、壇上に上がっていた全員に聞きたかったが、終了時刻も迫っていたので、松本さんを指名した。
回答は、・・・
よく判らなかった。「左右対称の概念は、原人段階から・・・」といった趣旨が述べられていたようだが、明確な回答ではなかった。
「あ~、やっぱり。」

散会したあと、近くの野辺山駅まで歩く道すがら、「はぐらかされちゃいましたね」と知人から慰めの言葉を受けて、苦笑いしながら応答したが、失望感と疲労感は覆いようが無かった。

二つの文章(松本2000「適応・進化・認知 -認知考古学の役割-」『人類の適応行動と認知構造』37-49、松本2004「認知・身体・文化 -心の普遍性と多様性についての試論」『文化の多様性と比較考古学』353-360)を読み比べても、私の質問の影響はおろか、捏造問題の痕跡すら読み取ることは困難である。
相手がMithen1995まで引用して根拠づけているのだから、なおさら・・・

「世界初の前期旧石器の埋納遺構
1994年と95年の調査で発見された浅い皿状のピットの中に石器が埋納された遺構は、原人・旧人を通じて世界で類例をみないものであり、既に原人段階で、一般的にヨーロッパでは中期旧石器以降と考えられている洗練された言語能力、美的センスや視覚的な象徴性を形づくる能力、合理的・計画的な思考能力(Mithen1995)などを持っていたことを強く裏付けるものである。上高森の発見は、このような原人の持つ文化の多様性や能力について国際的なレベルで考え直す必要をもたらした。まさにこの点に、日本列島で発見された上高森遺跡の世界的な意義がある。」(藤村新一ほか1996「上高森遺跡第3次調査」『日本考古学協会第62回総会研究発表要旨』p.14)

更に後日になって心底驚いたことは、私の質問とほぼ同趣旨のことが捏造発覚後に、パネリストの一人から立花隆氏に発せられていたことだった(安斎・馬場・立花2001「座談会 ねつ造が意味するもの」『立花隆サイエンスレポートなになにそれは?』p.61)。
それなら、あの時に壇上からサポートのコメントをしてくれればよかったのに。


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