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「返還する」とはどういうことなのか?(報告) [研究集会]

「返還する」とはどういうことなのか?
  -特に朝鮮半島由来の文化財をめぐって-

 高麗博物館開館20周年記念講演会

日時:2022年 2月 19日(土)14:00-16:00
場所:高麗博物館(東京都 新宿区 大久保1-12-1 第2韓国広場ビル7階)
主催:同上

以下は、当日会場で配布した資料(一部改変)。

「文化財」と呼ばれている「もの」は、文化の記録であると同時に、野蛮の記録でもある。
文化財自体が野蛮から自由ではないように、文化財が人の手から手へと次々と渡ってきた伝達の過程も、野蛮から自由ではない。(ヴァルター・ベンヤミン1940「歴史哲学テーゼⅦ」)

返還に関わる事例をご紹介します。

・恭慇王陵副葬品:開城郊外 → 不明
・石羊:江原道 以下不明 → 東京国立博物館(東京都台東区)
・石厳里205号墳出土遺物:楽浪古墳群 → 東京大学文学部考古学研究室(東京都文京区)
・朱漆十二角台付膳:慶福宮 長安堂(明成皇后殺害現場)→ 東京国立博物館(東京都台東区)
・龍鳳紋甲冑:慶福宮 → 東京国立博物館(東京都台東区)
・五重石塔:京畿道 利川市 → 大倉集古館(東京都港区)
〇菩薩坐像頭部:山西省 天龍山石窟第21窟北壁 → 根津美術館(東京都港区)
・神道碑:京畿道 漣川郡 青山面 宮坪里 → 佐野美術館(静岡県三島市)
・観月堂:慶福宮 → 高徳院(神奈川県鎌倉市)
・朝鮮鐘:慶尚南道 晋州 蓮池寺 → 常宮神社(福井県敦賀市)
〇金銀錯狩猟文鏡:河南省 洛陽市 金村古墓 → 永青文庫(東京都文京区)

返還に関わる用語について整理します。
従来の「略奪文化財」に代わる、より広い意味の「収奪文化財」を、双方の「不法」(illegal)と「不当」(unfair)について考えます。
さらにこうした<もの>自体の性格を表す用語として「瑕疵文化財」を提案します。
この用語が含み持つ「告知義務」という所有者の責務が重要です。

紹介した事例を念頭に、どのようにしてこれらの<もの>たちが日本の今ある<場>にもたらされたのか、その意味について考えます。

まず日本における文化財保護制度の歴史、特に文化財返還に関わる重要な文化財の搬入・搬出の法的な規制についてまとめます。
キーパーソンは、九鬼 隆一です(臨時全国宝物取調:1888、戦時清国宝物蒐集方法:1894)。
日本に対する重要文化財の移動規制は、搬入・搬出の双方を等しく規制するのではなく、搬出は規制する一方で搬入は奨励するという、出口は塞ぎ入口は広げるという片務的なものでした。

世界における文化財の搬入・搬出に対する規制は、1970年のユネスコ条約が焦点となります。
日本における批准は、遅れて21世紀になってからでした。
国際法の批准に応じて国内法も整備されましたが、関連する重要文化財や国宝の指定基準が見直されることはありませんでした。

提言1:国宝指定基準に倫理規定を加えよう。

世界の文化財に関わる倫理基準(Code of Ethics)は、大きく進展しています。
その標準は、国際博物館会議(ICOM)のICOM倫理規程です。
資料の取得に際しては、その由来と正当性に注意を払うこと、宗教的な文化財については由来地域の社会の心情に配慮すること、返還が要請されている資料について所蔵組織は誠実かつ責任ある対応をとることなど、先住民族運動の成果を基に定められています。
ICOM倫理規程は、国際機関が加盟各国に示した最低限の遵守すべき基準でした。
ICOM倫理規程の制定を受けて日本博物館協会が2012年に「博物館の原則 行動規範」を制定しました。
しかし文化財返還については、殆ど言及されないICOM規程の水準を下回るものでした。

<場>と<もの>を扱う日本の考古学者たちは、文化財返還についてどのような対応を示してきたでしょうか。

【第1世代】(1880年代から90年代生まれ)
・濱田 耕作(1881-1938):島村 孝三郎1939「東亜考古学會の創立に就て青陵博士を追憶す」『濱田先生追悼録』:116.
・原田 淑人(1885-1974):1963「学問の思い出」『東方學』第25輯:134.
・藤田 亮策(1892-1960):1953「朝鮮古蹟調査」『古文化の保存と研究 -黒板博士の業績を中心として-』:357.
・梅原 末治(1893-1983):1969「日韓併合の期間に行われた半島の古蹟調査と保存事業にたずさわった一考古学徒の回想録」『朝鮮学報』第51輯:148.

【第2世代】(1900年代生まれ)
・駒井 和愛(1905-1971):1951「序」『曲阜魯城の遺蹟』東京大学文学部考古学研究室 考古学研究第2冊
・水野 清一(1905-1971):1948「中国考古学四十年」『中国文化』第2輯:23.
・三上 次男(1907-1987):1968「朝鮮の考古学研究」『朝鮮研究』第71号:19.

【第3世代】(1950年代から60年代生まれ)
・早乙女 雅博(1952-):2010「植民地期の朝鮮考古学」『考古学ジャーナル』第596号:3-5.
・宮本 一夫(1958-):2017「日本人研究者による遼東半島先史調査と現在」『中国考古学』第17号:7-19.
・吉井 秀夫(1964-):2013「朝鮮古蹟調査事業と日本考古学」『考古学研究』第60巻 第3号:17-27.

私の文化財返還運動の原点を紹介します。
・旗田 巍1965「日韓条約と朝鮮文化財返還問題」『歴史学研究』第304号:65-69.

あるべき<もの>をあるべき<場>へという原則が確立するには、心の問題すなわち倫理規程の共有が欠かせません。
医学領域における倫理規程がどのような状況にあるのかについて瞥見します。

提言2:文化財研究の倫理規程を策定しよう。

<場>と<もの>の相互関係、特に本来存在していた<場>から持ち去られた文化財という<もの>について、その搬出・搬入の経緯が重要です。
友好の証しとして贈られた記念物なのか、それとも帝国としての威信を誇示するために持ってきた記念物なのかの違いです。
自らの欲望を満たすために持ってきた収奪文化財は、その「伝達の過程」が「野蛮」な「瑕疵文化財」です。
それを再び暴力的に元の<場>に戻したとしても、それは「瑕疵」の上塗りでしかありません(対馬仏像問題)。
<もの>の返還とともに、<場>の返還についても考えます。

私たちは、ともすると文化財の華やかな外面に囚われて、その素晴らしさばかりを賛美しがちです。
<ひと>も<もの>も、そうした点では同じです。
<ひと>を単にその<ひと>の外見や身なりで評価してはならないように、<もの>についても単なる表面的な評価だけではなく、その<もの>が今ある<場>にもたらされた経緯に関する倫理的な評価を加味した真の意味での文化財評価がなされるべきです。


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