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旗田1965「日韓条約と朝鮮文化財返還問題」 [論文時評]

旗田 巍 1965 「日韓条約と朝鮮文化財返還問題」『歴史学研究』第304号:65-69.(1969『日本人の朝鮮観』勁草書房:105-117.所収)

先のシンポジウムの席上でなされた荒井報告においても近藤義郎1965「朝鮮文化財に思う」、西川 宏1965「朝鮮文化財は誰のものか」、同1966「在日朝鮮文化財と日本人の責務」と共に挙げられていた文献である。 

「これは日本人として、とくに歴史研究者、歴史教育者として見のがしえない問題である。われわれの良心にかかわる問題である。朝鮮との友好、文化交流を願うものは、これを素通りすることは許されない。これを見すごして友好や交流を口にするのは、日本人として恥ずべきことであり、また、それでは朝鮮人に相手にされないと思う。われわれ自身がこの問題を究明し、それに対処する態度を表明する責任がある。おそすぎた感がするが、私見をのべて読者の討議の参考に供したい。とくに考古学者や美術史家に対しては、より一層の専門的検討をお願いしたい。」(65.)

今からおよそ半世紀も前に「とくに専門的検討をお願いしたい」と指名さえされた考古学者は、その後どのような対応を示したのか。どのような「専門的検討」がなされたのか。私たち「日本考古学」に関係する者にとって「見のがしえない問題」、「良心にかかわる問題」なのに、「素通り」し、「見すごして」きたのではないか。いまさらながら「おそすぎた感がするが」、今からでも学会として「それに対処する態度を表明する責任がある」のではないか。

「われわれは日本人が朝鮮文化財をもち去った事実を忘れてはならない。また、それが現在にいたるまで何の解決もされていないことを知らねばならない。われわれが鑑賞したり閲覧している美術品や図書のなかに、朝鮮から不法に流出したものがあることを知るべきである。
文化財は、本来はそれを創造した民族が保存すべきだと思う。同類のものが沢山あるときに他へ寄贈するのはよいが、文化財は原則として、それをつくりだした民族のものであるべきだと思う。いまアジア・アフリカの文化財の多くが列強の博物館や美術館に集められていて、私のような考えは現実とあまりにも離れているが、私は現実がそもそも間ちがっていると思う。アジア・アフリカ侵略の産物が、博文館(博物館?)・美術館に堂々と陳列されていることがおかしいのである。また、そういうものにおぶさって行われてきた従来の研究態度もおかしいと思う。」(68.)

「おかしい」と思うことを「おかしい」と指摘すること。
40年経とうと50年経とうと、正しい方向性を提言した言葉というものは、決してぶれたり古びたりしないことを確認する。

「朝鮮との友好を考えるときに知っておかねばならんことがある。他の諸外国と友好を結ぶ場合とは異なる特殊の問題があることを知っておかねばならない。それは日本がかって朝鮮を植民地として支配し、朝鮮は日本の植民地であったという事実である。日本と朝鮮との友好は、旧植民地支配国と植民地とのあいだの友好であり、そこに大きな問題がある。元来、植民地の支配者と被支配者とのあいだに友好はありえない。植民地支配を否定してのみ友好が可能である。われわれが朝鮮と友好するためには、自ら植民地支配を否定せねばならない。それが友好の出発点である。」
「真に朝鮮人との友好をふかめるためには、日本人の側において、朝鮮に対する植民地支配の責任を自ら解決する態度が必要である。植民地支配の否定は、昔の軍国主義を非難するだけではすまない。それは今も解決されないで放置されている問題であり、それをわれわれは自らの責任として解決せねばならない。前述の文化財の問題はその一つである。他に同様のものが沢山残っている。それらを放置しておいて、昔の軍国主義を非難するだけではすまされない。植民地支配の否定は、そこまで立ちいらねばならない。」(69.)

「とくに考古学者にお願いしたい」と明確に問題が提起されてから45年が経過しても、なお「日本考古学」として具体的な対応がなされないとしたら、それはここで的確に指摘されているように私たち「日本考古学」の内部に、自らの植民地支配が未だに否定されていない部分があるからだと考えるしかないだろう。

「それをわれわれは自らの責任として解決せねばならない。」
繰り返す。
「それをわれわれは自らの責任として解決せねばならない。」


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