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四面楚歌 [総論]


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コロナ禍の最中、自らを取り巻く現状を概観してみた。

きっかけは、懸案の課題について昨年の半ばに相次いで公表したことであった。
旧石器については、2019年6月に大正大学で開催された日本旧石器学会のシンポジウムで「砂川モデルの教訓」と副題して発表した。
縄紋については、『考古学ジャーナル』728号(6月刊行の7月号)において「緑川東を読み解くために」と副題した文章を書いた。
一方は旧石器資料の製作・搬入に関わる問題、一方は縄紋時代の敷石遺構から見出された大形石棒の設置時間の問題と一見すると隔たりのあるテーマのようだが、考古資料の読み取り方という点で第2考古学的には極めて重要な同じ構図の問題群である。

「緑川東問題」の発端は、2014年3月に中央大学で開催された緑川東を主題とした研究集会に参加した時である。考古誌が刊行される直前で、会場内を考古誌のゲラ刷りが回覧されていたのが印象的であった。ただ会場に居合わせた誰も一般的敷石住居の廃棄時設置に疑問を感じていないことに違和感を抱いたのが、事の始まりであった
そもそも「緑川」は、陸軍立川飛行場の排水を目的として戦時期に掘削された人工河川で、当初は「立川排水路」と呼ばれていた。その東側に位置するから「緑川東」、だから「東部戦線」である。ただし現在の緑川東<遺跡>は、緑川の東西に広がっており、大形石棒が出土した「第27地点」は緑川の西側に位置する。

「砂川問題」の発端は、さらに遡る。今から28年前にあるコメントの余談として述べた事柄が「母岩識別問題」という局地戦を引き起こした。以後僅かな賛同者以外に援軍が殆どいない長期戦となった。相手はM大という石器業界の巨大な山脈である。しかし不動と思える山脈も風化と沈降そして隆起を繰り返している。少しずつであるが理解者は増えている(山脈も変容しつつある)というのが、30年近くを経過しての感想である。
砂川<遺跡>を発端とする自らの苦闘を、「砂川闘争」と呼んでいた。1955年から1960年代まで続いた在日アメリカ軍による立川飛行場拡張を巡る住民闘争になぞらえた訳である。何と!今直面している「東部戦線」と「西部戦線」は、「立川飛行場」を結節点として北と南で結び付いた訳である(実際の砂川<遺跡>は、狭山丘陵を越えて5kmほど北に位置する)。「西部戦線」の由来は、西武拝島線の武蔵砂川駅(駅番号:SS34)に由来する。

両戦線ともに当面の対戦相手が「戦友」と思っていた研究者であることが、辛いところである。

それでは、北と南はどうだろうか?

北については、何よりも「<遺跡>問題」である。なぜなら<遺跡>問題は、埋文制度に支えられている考古学の構造的矛盾であり、考古学的トラブルの「極北」とも言い得るからである。<遺跡>問題を考えるにあたっては、ジェンダー論などの社会学に多くを学んだ(例えば加藤1996など)。共に社会の基盤をなす概念トラブルである。
<遺跡>問題については、本ブログがスタートする直接的な契機でもあり、縷々述べてきた(<遺跡>問題で検索)。2006年世界考古学会議中間会議大阪大会(WAC-Osaka)で世界的な討議の場に提出し、2007年に発表内容を公表したが(五十嵐2007a)、それ以後も顕著な展開は見られず膠着状態のままである。さすが、極北問題である。しかしいつの日か、必ずや「山は動く」という確信がある。

南については、「文化財返還問題」である。最初の問題提起は2010年の日本考古学協会総会の場であったが、今まで書き散らかしてきたことをまとめる機会が与えられた(五十嵐2019d)。北方地域ではアイヌの人たち、南方地域では琉球の人たちの闘いが精力的になされており、戦線は全国的に拡大の一途を辿っている。一番ホットでなおかつ考古学の歴史的形成過程の根拠を問う闘いである。そもそも本問題は世界的な動向と軌を一にしており、誰にもこの勢いをとどめることはできないであろう。

こうした自らの問題意識を概観する作業は、今から13年前に一度行なったことがある(曼陀羅図)。双方を比較することで10年余りの認識の変化について伺うことができる。

現況は、膠着している戦線もあれば拡大している戦線もあれど、いずれの場面においても決して後退はしていないことが確認される。もちろん一人では、闘えない。「孤軍奮闘」というのはあくまでも個人的な心象イメージであり、実態は見知らぬ多くの人たちの支持を受けつつ、本日に至っているのである。そうした陰ながらの支援・連帯を励みとしながら、これからも粘り強くそれぞれの闘いを進めていきたい。


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草莽崛起

Священная война
by 草莽崛起 (2020-04-25 10:52) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

Историческое суждение
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2020-04-25 14:32) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

一口に学問上の論戦と言っても、いろいろな出来事があります。例えば「東部戦線」について言えば、4本の大形石棒の並置は常識外の「とてつもない」ことだという私の主張に対して、そんなことはない常識内の「とてつもなくない」ことだという研究者が現れたので、わざわざ職場まで出かけて対話を試みたのですが、散々話し合った末にとうとう「私は4本の大形石棒の並置よりも、敷石遺構の敷石の設置のほうがとてつもないと思う」と言い出したのを聞くに及んで、これは対話不可能と判断して早々に撤退したという「小競り合い」があったり(「とてつもなくない」[2017-06-10])、相手陣営の総大将が出馬するというので身構えていたところ、相手の鎧が穴だらけでがっかりして、申し訳ないですがもう一度出直して来て下さいとお願いせざるを得なかったり(「山本2019」[2019-02-09])、人間模様についても様々に教えられることが多いフィールドです。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2020-04-26 01:59) 

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