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長井編2019『ジョウモン・アート』 [全方位書評]

長井 謙治 編 2019 『ジョウモン・アート -芸術の力で縄文を伝える-』ジョウモン・アートプロジェクト実行委員会

「わが国では、これまで縄文の美を求める試みがあったが、組織的なものではなかった。ジョウモンなる響きにはなにか日本文化の源流を匂わすアイデンティティの源を感じるからだろうか。原宿で縄文祭り等、縄文・縄文…とこのフレーズには魅力を感じる日本人が多いようだ。この数年はブームをなしており、ファジーな縄文観が流布しているのも事実である。
ところがそうした高まりは、考古学研究の本流にはなく、今なお漂っている。その行く先は、きわめて茫漠としており、はっきりとしない。長く歴史学の補助分野とされた日本の考古学は、その間口をいったん広げ、開放すべきであろう。考古学の射程を考え直すチャンスが到来しているのである。」(長井:2.)

「縄文時代の遺跡・遺物が発するメッセージには無限の解釈としての可能性があり、あまねく現代の人々の心を揺さぶる力がある。それにもかかわらず、このリアルに対して偏見じみた色眼鏡で見つめ、心情的な縄文的イメージに合う部分だけを取り上げ、賛美する態度に私は恐れを抱くようになった。
私は、上記のごとく巷に溢れるファジーな”縄文観”をいったんぶち壊してみたいと思うようになった。ゆがんだ心象から生まれた”縄文”から自由になり、”縄文”を見つめ直したいと考えた。」(長井:9.)

大変に意欲的な「作品」である。
私などは、この一点で肯定的になってしまう。

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田中2019『開発と考古学』 [全方位書評]

田中 義昭 2019 『開発と考古学 -市ヶ尾横穴群・三殿台遺跡・稲荷前古墳群の時代-』新泉社

「私は1935年10月30日にこの世に生を受けた。いまは80歳の大台を超え、後期高齢者晩期の真最中にある。「おいくつですか」と聞かれるのがはなはだ鬱陶しいが、ここまで生きてこられた幸運への感謝の気持ちも日増しに強くなっている。この人生が跡形もなく消え失せるのは何とも残念無念に思われて仕方がない。
私の愚にも付かないような足取り、傍から見ればそこらに転がっている一市井人の人生に過ぎないだろう。だが、わが身にとっては掛け替えのない命の歴史である。兼ねてから、印象深い過ぎし日の生き様をきちんと書き残しておきたいと念願していた。ようやく喜寿を過ぎてから発奮し、筆を起こした。」(35.)

私の父親は1930年生まれなので、ほぼ親世代である。
筆者が1953年の大学入学から1981年に転職で離京するまでのほぼ30年、20代から40代の神奈川での疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドランク)の時代である。

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森村2009『笹の墓標』 [全方位書評]

森村 誠一 2009 『笹の墓標』小学館文庫(初出は『小説宝石』光文社、2000年1~5月号)

「深夜、山の方角の中腹に火が見えた。通常、火を焚く場所ではない。
火が見える夜は、工事現場や飯場に死者が出たときである。労働者たちは、あそこで死体が焼かれているのだと噂し合った。だが、噂の真偽を確かめた者はいない。労働者たちは、自分がいつ、あの火の燃料にされるのかとおののいた。
宿舎の格子窓が白むころ、労働者は叩き起こされる。「起きろ。働け」棒頭や取締人と呼ばれる班長が、六角棒を手に容赦なく労働者を叩き起こす。中にはせんべい蒲団をまくられ、六角棒で叩かれても動かない者がいる。ほとんど虫の息になっていて、動きたくとも動けないのである。時には、夜のうちに死んでいる者もいた。
土工夫(労働者)たちからタコ部屋と呼ばれている宿舎は粗末な仮小屋で、逃亡を防ぐために窓には鉄格子がはめられ、夜間出入口には閂がかかる。板張りの床には筵が敷かれただけで、冬は容赦なく吹き込む隙間風が筵を吹き上げた。タコ(強制)労働者と強制連行された朝鮮人労働者の宿舎は分けられているが、実態はほとんど同じである。

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白川2019「セリエーション」 [論文時評]

白川 綾 2019 「セリエーション -時間・空間・系統-」『物質文化』第99号:1-27.

「まず、セリエーションの研究史に触れながら、その概要を説明する。次に、セリエーションの原理原則について、時間・空間・系統の側面から検討する。最後に、考古学的手続きがセリエーションの原理・原則に則る限り課せられる制約と、コンテクストに依存する点を指摘する。」(1.)

セリエーションという考古学的な手法について、初めて正面から本格的に取り組んだ労作である。
セリエーションについては、以前にも思うところを少し記したことがあった【2017-09-23】。
今回の論考を目にして、少しはそうしたモヤモヤ感が晴れるかと期待しながら読んだのだが…
結論は、相変わらずモヤモヤのままである。

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市川2019『アイヌの法的地位と国の不正義』 [全方位書評]

市川 守弘 2019 『アイヌの法的地位と国の不正義 -遺骨返還問題と<アメリカインディアン法>から考える<アイヌ先住権>-』寿郎社

「このような経過を経て私は、アイヌの歴史に沿って、<アメリカインディアン法>の視点から、その権利や権限をまとめてみたいと思うようになった。そしてその後さらに”まとめなければならない”と思うようになった。きっかけはアイヌ遺骨の返還問題であった。序章で述べるように、アイヌ遺骨問題では、誰に遺骨の返還を求める権利・権限があるのかが一番の争点となり、遺骨を保管する大学側は祭祀承継者が唯一の遺骨の権利者であると主張した。大学側のその主張は民法や最高裁の考え方そのものであった。その民法や最高裁の考え方をおそらく法学者や弁護士のほとんどが支持するはずである。
しかし私は、アイヌ遺骨返還問題では、そのような日本の法のあり方を超え、誰でもが納得できるアイヌの法理論・法体系を明らかにしたうえで、<アイヌコタン>という集団の”遺骨管理権”を理論化しなければアイヌ遺骨はアイヌの元に帰ってこないと考えた。そしてこの裁判を契機に、アイヌコタンという集団の権限を中心とした<アイヌの法的地位>をまとめる決意をした。それはアイヌについての法理論と法体系をまとめることを意味するが、本書はいわばその端緒であり、問題提起となるものである。」(3.)

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