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市川2019『アイヌの法的地位と国の不正義』 [全方位書評]

市川 守弘 2019 『アイヌの法的地位と国の不正義 -遺骨返還問題と<アメリカインディアン法>から考える<アイヌ先住権>-』寿郎社

「このような経過を経て私は、アイヌの歴史に沿って、<アメリカインディアン法>の視点から、その権利や権限をまとめてみたいと思うようになった。そしてその後さらに”まとめなければならない”と思うようになった。きっかけはアイヌ遺骨の返還問題であった。序章で述べるように、アイヌ遺骨問題では、誰に遺骨の返還を求める権利・権限があるのかが一番の争点となり、遺骨を保管する大学側は祭祀承継者が唯一の遺骨の権利者であると主張した。大学側のその主張は民法や最高裁の考え方そのものであった。その民法や最高裁の考え方をおそらく法学者や弁護士のほとんどが支持するはずである。
しかし私は、アイヌ遺骨返還問題では、そのような日本の法のあり方を超え、誰でもが納得できるアイヌの法理論・法体系を明らかにしたうえで、<アイヌコタン>という集団の”遺骨管理権”を理論化しなければアイヌ遺骨はアイヌの元に帰ってこないと考えた。そしてこの裁判を契機に、アイヌコタンという集団の権限を中心とした<アイヌの法的地位>をまとめる決意をした。それはアイヌについての法理論と法体系をまとめることを意味するが、本書はいわばその端緒であり、問題提起となるものである。」(3.)

序章 アイヌ遺骨の返還から<アイヌの法的地位>の確立へ
第一章 先住民族の権利に関する国際連合宣言
第二章 歴史から見たアイヌの法的地位
第三章 明治政府によるコタンへの侵略
第四章 <アメリカインディアン法>から学ぶこと
第五章 憲法と先住権、先住権の主体としてのコタン
第六章 北海道旧土人保護法の廃止と日本国の向かう先

「この遺骨返還訴訟は結局、裁判所から遺骨を原告らに返還する方向での和解勧告が出され、北海道大学もその和解勧告にしたがって祭祀承継者にこだわらず裁判所が適当と認める集団に遺骨を返還するということになった。和解といえども裁判所は、通常は、その内容が法律や判例に反するようなことは絶対にしない。しかし、「裁判所が適当と認める集団」に遺骨を返還するとしたこの和解内容は、民法897条や遺骨の所有権は祭祀承継者にあるーとした最高裁の判例に明らかに反する内容となっている。つまり、この和解は遺骨の所有者は祭祀承継者のみが有するとした従来の日本(和人)の法理論をアイヌの人たちには適用しないと宣言したことになる。実はこの点こそ遺骨返還訴訟の和解の重要性・重大性があるのである。」(31.)

アイヌ民族の返還問題において最も困難なのは、国内問題であるにも関わらず、民族間の紛争であり、それもアイヌ民族は先住民族であるということ、すなわち和人に先立ってある空間を占有していたことが前提となっているという特殊な事情である。

「たしかにアイヌゆえに自由な結婚が妨げられる(結婚差別)とか、偏見に基づく侮蔑的言辞にさらされるなどの差別は根絶されなければならない。それは当然のことである。ただ、同時に、アイヌは和人と同じとする「平等権」の主張は、和人とアイヌが異なる法的地位に立つものであることを前提として主張されなければ、同化政策と同じことになってしまうことに注意しなくてはならない。その”異なる法的地位”を制度として確立しなければ真の平等はありえないのである。異なる法的地位、法的制度というのは、和人にはないアイヌの集団としての権限であり、自己決定権(主権)ということである。」(54.)

人間としての普遍的な人権を前提とした上で、アイヌと和人が異なる民族であることに由来するアイヌ独自の諸権利・権限が認められなければならない。これが、2007年9月13日に採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が述べていることである。世界中の先住民族と同様にアイヌ民族に対しても、こうした精神が正しく適用されなければならないのは、日本という国家が果たすべき使命である。

「日本では、江戸時代に日露修交通商条約によってウルップ島とエトロフ島との間に国境線が引かれ、当時の蝦夷地(北海道)が日本の領土になったのだから、その土地はアイヌのものではなく日本国のものとなったのだーという意見がある。しかし、これは国際的にも法的にも全く通用しない勝手な理解なのである。日本がロシアとの条約で蝦夷地を日本の領土としたとしても、それはあくまで日本の政府(幕府や明治政府)が、アイヌコタンとの土地の買い取り権を他国に先んじて得たということにすぎないからだ。千島列島問題も同様である。千島樺太交換条約によって、日本国が千島全島を取得しても、それは千島に先住するアイヌとの間で土地を取得する交渉権を得たに過ぎないのである。勝手に千島列島に和人が入り込んだり、アイヌを強制的に移住させたりすることは当時の国際社会からすれば違法なことであった。」(138.)

大国同士の土地取引によって、人間が勝手に引いた国境線が移動したとしても、そこに先んじて住んでいた人たちの承諾を得ることなく国籍を変更することなどできないはずである。行き詰っている「北方四島」と呼ばれる島々の帰属問題についても、こうした基本的な認識を交渉国同士が共有できないのだから、当然の帰結ともいえる。話し合う相手が、違うのではないか?

「アメリカにおける連邦政府ーインディアンの関係と、日本におけるアイヌー明治政府との関係を比較したとき、明治政府が条約を締結することもなしに、各コタンが有していた主権や先住権を各コタンの意思にかかわらずに奪うことはやはり合法的行為とはいえず、明確に遺法行為、つまり日本国家、ときの明治政府による各アイヌコタンへの侵略行為であったーと評価しなければならないことがわかる。したがって、各アイヌコタンは、依然としてその主権や<先住権>を回復する正当な権利を持っているのである。」(147.)

現在のニューヨーク・マンハッタン島は、そこに住んでいた先住民たちからわずか24ドルほどのビー玉や短剣を交換することで取得されたといった逸話はよく知られているが、いかにこうした詐欺的行為であったとしてもなんにせよ代価は支払われていた訳である。ところが明治政府はそうした取り引きをしようという考えもさらさらなく、全ての土地を国有地として取り上げてから、その中の一部を恩着せがましく給与地として与えてきたのである。

「本書ではこれまで、アイヌの法的地位を考える際に、まずアイヌコタンという集団が主権を有する団体であり、その支配する土地や自然資源に対する権限(先住権)を有しているーということを第一に考えるべきことだと書いてきた。そして、この考えに対する日本政府の考え方は、現在の日本には、かつてのような集団として権限を認められるようなコタンは存在しないーというものであることを述べた。日本政府のこの見解は「日本にアイヌの人たちはいるが、集団としての権限を持つ<先住民族>はいない」ということである。そしてこの見解の下で2019年にアイヌ新法(2019年法)が成立させられようとしている。このアイヌ新法案では、はじめてアイヌを「先住民族」とした。しかしこの法案は、アイヌという個人がいることを認めているだけで、集団としてのindigenous people(先住民族)の存在を認めたものではない。北海道旧土人保護法がアイヌ個人を「旧土人」という差別的表現でその存在を認めていたことと違いはないのである。」(178.)

単なる文化振興、観光資源として祭り上げるのか、それとも自らの過去の不法な取り扱いを反省して、他民族として本当に「誇りが尊重される社会の実現を図」ろうとしているのかが問われている。

「最も問題になるのは、1600を超えるアイヌ遺骨が慰霊施設に集約された場合に、「尊厳ある慰霊」をアイヌの人たちにしてもらう、と国が言っていることである。慰霊という行為は先祖の霊を信じるからこそ行われるものであるから、尊厳ある慰霊行為が先祖の霊に対するアイヌの風習にしたがって行われれば、明らかな宗教行為である。もし、宗教色をなくすとすれば、それは「慰霊行為」ではないことは明らかである。「慰霊行為」ではない「尊厳ある慰霊」とは何か。内閣官房アイヌ総合政策室アイヌ政策推進会議はいまだその内容を明らかにしていない。」(214.)

あと1年を切った現在、優秀な官僚たちが叡智を集約して打開策を検討していることだろう。

筆者は20年前にコロラド大学のロースクールに留学した経験を生かして、アメリカインディアン法をはじめとして様々な判例を解説しながら、アメリカ特有の事情、連邦政府と州政府の関係、連邦政府とインディアン部族の信託関係などがよく理解できる叙述となっている。しかしアメリカにおける先住民族遺骨返還について述べるのであれば、1990年に制定されたNAGPRA(アメリカ先住民族墓地保護返還法 The Native American Graves Protection and Repatriation Act)に触れないというのは如何なものだろうか?
例えば中村 尚弘2017「アイヌ民族の遺骨返還への課題 -アメリカ合衆国との比較を通じて-」『北海道民族学』第13号:31-40.などを参照。

ある人類学者は最近になってアイヌ遺骨からDNAサンプルを採取する際に外見からは分からないように歯根の奥から微量なサンプルを採取するように留意していると得意げに述べていたが、問題はそのような点にあるのではないということをそろそろ身に沁みて覚えるべきであろう。

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