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90年前の「緑川東問題」 [学史]

「考古學の研究法に、心理學的方法を避け様としてゐると云ふ事は、一應説明されなければならない。厳密な意味に於ける心理學が、今日如何なるものであるかは私には明かではない、然し従来考古學に許容されてゐた、所謂心理學的方法とは、それは観察者の推理を意味してゐた。この器物はこうして使用されたのであらう、石棒の形は生殖器に似てゐるから、當時男根崇拝が行はれたであらう。動物土偶があるからアニミズムがあつたであらう、等々である。その専門の人からはこれはどう見えるか知らない、然し考古學本来の立場からは、こゝまで行けばたゞ自分はこう思ふと云ふだけの問題に留つてゐる、斯の如き内容が學として存し得るかどうか。何れにしても學は究極に於て主観的な問題となる、然し自分はこう考へるから當時の人もこう考へたであらうでは、そこに何等反省の餘地を残さない問題となる、心理學まで入りたくない。これは私の好みの問題だと考へられるか知れないが、自分には自分だけの理由は存する心算である。」(中谷 治宇二郎1929『日本石器時代提要』岡書院:73-74. 1943『校訂 日本石器時代提要』養徳社:64.)

タグ:緑川東問題
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中西2017「立川陸軍航空廠五日市分廠倉庫の発見」 [近現代考古学]

中西 充 2017 「立川陸軍航空廠五日市分廠倉庫の発見 -あきる野市水草木遺跡の調査成果より-」『多摩地域史研究会会報』第128号:6-15.

「今回発表する戦争遺跡の存在を知ったのは、調査に入ってからのことであり、それ以前は全くその存在について意識していなかった。
調査区周辺は長閑な畑地が広がり、かつてこの場所に多数の倉庫が林立した面影は、今は微塵も感じられない。
今回の調査地点は15年戦争終結前後の数年間に、通称「引田陸軍倉庫」が存在したと言われている場所に当たる。発掘調査開始からしばらくして、付近の住民の方から倉庫が出なかったかとの問い合わせがあった。この存在についての伝承的記憶は、ほとんどの近隣畑地耕作者が共有していた。しかしすでに多くの時が経過していることから、直接その存在を知る人は極限られていた。僅かな聞き取り調査や今回の調査からこの地に存在したことは確実である。」(6.)

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「アイヌ民族の遺骨返還の意義と研究倫理」 [研究集会]

アイヌ民族の遺骨返還の意義と研究倫理 -心のこもった返還のために-
大学と地域の先住民族・マイノリティの対話と連携に基づいたエンパワーメントに関する研究

日時:2016年7月14日
場所:北海道大学
主催:北海道大学メディア・コミュニケーション研究院

第1部 イントロダクション
主催者挨拶(ジェフ・ゲーマン)
趣旨と背景の説明(小田 博志)
アイヌの葬制と死生観(鵜澤 加那子)
第2部 「ストーリーテリング」:祖先とつながり直す
ボブ・サム・結城 幸司
第3部 パネルディスカッション:遺骨返還と研究倫理
天野 哲也・井上 勝生・加藤 博文・蔵田 伸雄

研究集会の報告書がpdfで公開されている。

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『アイヌ民族の遺骨は告発する』 [全方位書評]

遺骨をコタンに返せ!4大学合同全国集会実行委員会 2017 『アイヌ民族の遺骨は告発する -コタンの破壊と植民地支配-』ピリカモシリ社

「4大学」とは、「北大人骨問題の真相を究明する会」・「東大のアイヌ民族遺骨を返還させる会」・「京大・アイヌ民族遺骨問題の真相を究明し責任を追及する会」・「阪大・人骨問題の真相を究明する会」を指す。全国集会は、2017年7月に札幌市で開催された。

「1980年、海馬沢 博さんらアイヌ民族が遺骨・副葬品奪還の歴史的な闘いを開始して以来じつに40年近くをへて、その闘いはいま、あらたな局面にさしかかっています。
アイヌ民族の抗議と要求の高まりのなかで、この間、浦河町・杵臼の遺骨返還訴訟で「和解」が成立し、遺骨がコタン(郷里)に返還され、続いて紋別、浦幌でも返還されることになりました。旭川、平取、静内でもあらたな取組みが開始されています。その背景には、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」(2007年)にもとづく、世界の先住諸民族の民族自決権、遺体・遺骨返還の権利を含む民族的諸権利獲得の闘いの前進があります。
日本政府、北海道大学など全国の大学は、徐々に追い詰められてきています。しかしこの40年近くの経過をみても、アイヌ民族の強い抗議にもかかわらず、ごく一部の遺骨が謝罪も賠償もなく欺瞞的に返還されただけです。日本政府、各大学は、ほとんどの遺骨を、2020年までに北海道白老町に開設する「慰霊・研究施設」に集約し、引き続き「研究材料」にしようとしています。遺骨・副葬品奪還の闘いは、アイヌ民族にとって、民族の主体を確立し民族的諸権利を奪い返すきわめて重要な闘いです。
墓地破壊、遺骨・副葬品略奪は、「明治」天皇制国家以来のアイヌモシリ併合、アイヌ民族同化・抹殺(絶滅)政策が必然的に引き起こした人権蹂躙の侵略行為です。とりわけ1930年代、天皇制ファシズムの時代に、アイヌ民族を「滅びゆく民族」とし、それを疑似科学的に「証明」するために、アイヌモシリ(北海道、サハリン、クリル諸島)から膨大な遺骨を略奪し、語ることさえはばかられる差別思想、差別研究を行ないました。北大など旧帝国大学は、優勝劣敗の社会進化論と優生思想にもとづくアイヌ民族「絶滅」論を流布し、アイヌ民族蔑視と差別を煽りました。しかもこのような「アイヌ研究」は、戦後も1970年代まで続けられました。
この「研究」は、日本民衆のなかにアイヌ民族蔑視と差別をいっそう深く浸透させ、天皇制国家の民衆管理に大きな役割を果たしました。アイヌモシリ侵略を当然視する日本政府、各大学は、墓地破壊、遺骨・副葬品略奪について何のとらえ返しも反省もありません。
日本労働者人民がアイヌ民族の遺骨返還の闘いに連帯することは、天皇制国家のアイヌモシリ侵略の歴史、したがって自らが侵略者、差別者に仕立て上げられた皇民化された歴史をとらえ返し労働者人民自身として自己を確立、解放する闘いです。」(「序にかえて」4.)

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2018 寒中見舞 [雑]

「チェルノブイリの事故のあと、「放射能を含んだ雨」が日本にも降った。科学者たちは、危険なほどの放射能は出なかったと言ったが、私にもちょっと言わせてほしい。科学者たちは、そんなことは知ってはいないのだ。推測しているに過ぎない。そして科学者たちは、同じような事故は日本では決して起こらないと言うが、それも知った上で言っているわけではない。起こらないことを希望しているに過ぎない。絶対に故障しない機械など、誰にも作れない。うまく行っても、たまにしか故障しない機械を作るのが関の山だろう。」(ダグラス・ラミス1988(1986)「原子力の雨(Atomic Rain)」『最後のタヌキ』晶文社)

 

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