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古谷ほか編2017『「物質性」の人類学』 [全方位書評]

古谷 嘉章・関 雄二・佐々木 重洋(編) 2017 『「物質性」の人類学 -世界は物質の流れの中にある-』同成社

前々回「奥野・石倉2018」【2018-03-17】、前回「インゴルド2017」【2018-03-31】といった世界の人類学の潮流(人類学の静かな革命すなわち存在論の人類学)に対する日本の人類学(考古学を含む)からの応答である。
2011~15年に国立民族学博物館でなされた「物質性の人類学 -物性・感覚性・存在論を焦点として-」と題する共同研究の成果報告である。考古学からは【物性の問題系】と題するセクションにおさめられた関 雄二「アンデスの神殿に刻まれた人間とモノの関係」、 溝口 孝司「モノの考古学的研究」、松本 直子「縄文土器と世界観」の3本である。

まずは主催者から考古学への呼びかけ。
「考古学は、人類学と違って生身の人間を直接に観察することができない。なかでも文献資料を活用することができない先史考古学の対象は、モノと物質以外にない。物質からなるモノを通して、かつて生きていた過去の人間たちの営みを回復することこそが、考古学の目的なのである。それゆえ必然的に、「物質性」は考古学研究の中心に位置する。しかし、考古学の最先端の議論を追いかけ始めてみると、外から見ていたときに思っていたほど話は単純ではないことがわかってきた。モノの物質性そのものは、実は考古学においても不当に等閑視されてきたという批判が、考古学者によってなされていたのである。(中略)
エジプトの新王国時代を専門とする考古学者であるメスケルによれば、「物質性とは、世界への私たちの物理的関与であり、世界という織物へと私たちを差し入れる媒体であり、外に具体化するかたちで文化を私たちが構成し、形成するしかたである」(Meskell 2004, p.11)。この定義は、「物質性」について考える際に注目すべき、三つの側面に言及している。第一に、私たちは世界に物理的に関わって生きているという「物質的関与」であり、第二に、物理的なモノである身体を介して私たち人間は世界に関与するという「物質的身体としての人間」であり、第三に、私たちは文化を自らの内側だけでなく自らの外側に作り上げるという「物質化」である。一言で言えば、人間が物質たる身体を介して物質からなる世界を体験しつつ、そこに働きかけて物質からなるモノを産み出しているというプロセスこそが、本書でじっくり考察してみようと考えている問題に他ならない。」(古谷 嘉章「プロローグ 物質性を人類学する」:7-9.)

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