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平野2022「セトラーコロニアルな翻訳」 [論文時評]

平野 克弥 2022「セトラーコロニアルな翻訳 -「文明化」作用とアイヌの声-」『ポストコロニアル研究の遺産 -翻訳不可能なものを翻訳する-』人文書院

平野2018平野2022に続く3本目である。

「この「開拓」という認識を成り立たせていたものは、日本を含めた近代世界を形成する上で決定的な力をもった二つのイデオロギー、つまり進歩史観と民族主義であった。前者は、人間社会は「文明化」という普遍的な進歩の軌道を漸進的に辿るものであり、そこから逸脱する社会は自然淘汰されて行く運命にあるという世界観を提示し、後者は、そのような進歩の岐路を歩む主体は長年培われてきた文化的紐帯(言語、宗教、風俗、歴史)を体現する民族という共同体であり、民族こそが人々の歴史的存在をもっとも本質的に言い表すカテゴリーなのだとする立場である。」(213.)

これは、近代世界をどのように認識するのか、その歴史認識の根本的な枠組みの指摘である。
「開拓」を象徴している「北海道百年記念塔」の解体に反対していた人たちのみならず、その他の多くの人たち、すなわち解体に賛成していた人たちあるいはどちらかよく分からないという人たちも、こうした「進歩史観と民族主義」という「常識」についてはあまり疑問を抱いていないのではないか。
「文明化」以外の「進歩」もあり得るとすれば、「進歩史観」というよりは「文明化史観」としたほうが、より正確なような気もする。
日本の「民族主義(エスノセントリズム)」は、「国家主義(ナショナリズム)」と多くの部分で重なるだろう。

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