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構築される「遺跡」 [総論]

構築される「遺跡」-KeMCo建設で発掘したもの・しなかったもの-

期間:2023年3月6日~4月27日(土・日・祝休館、但し3月18日(土)・4月22日(土)は特別開館)
開館時間:11:00~18:00
場所:慶應義塾ミュージアム・コモンズ(三田キャンパス東別館)
主催:慶應義塾ミュージアム・コモンズ、慶應義塾大学民族学考古学研究室
協力:トキオ文化財株式会社

「遺跡」とは何だろうか。一般には、歴史として語られる過去に属する、人々の活動の痕跡が存在する場所をいう。多くの場合、そうした痕跡は地中に埋もれているため、「遺跡」の内容を知るには発掘調査が必要になる。
4年ほど前、慶應義塾(私たち民族学考古学研究室)は、今KeMCoが建っている場所で発掘を行った。(中略)
…私たちはこの発掘で、この地に残る過去の痕跡のすべてを発掘したわけではなかった。例えば、地質や化石などの自然現象の痕跡や、明治期以降の近代・現代の痕跡についてはほとんど発掘していない。実は発掘は、痕跡を選択する行為なのであり、どんな痕跡をどのように発掘するかによって、「遺跡」の範囲や内容は異なるものとなる。つまり「遺跡」と「遺跡」を通して語られる「歴史」は、発掘を行う側の選択によって構築されるものなのである。(会場配布カタログ『構築される「遺跡」:KeMCoで発掘したもの・しなかったもの』:3. 文責 安藤 広道)

2018年から19年にかけて発掘調査がなされて、2021年に考古誌が刊行された。
考古誌刊行から1年後、調査地に建造された学術資料展示施設で開催されたワークショップに参加した。
そこで予告されていた展覧会が、今回の「構築される「遺跡」」である。

一般の発掘調査成果の展示は、どこから、どのようなものが、どのように出たのかというシーンに尽きている。
それ以外の<もの>は、展示しようがないではないか!
しかし本展は、そうした私たちの常識的な見方に鋭く「異」を突き付ける極めて意欲的な問題提起となっている。
それ故、私が注目するのも、そうした「KeMCoで発掘したもの・しなかったもの」という箇所となる。

「KeMCoで行った発掘は、文化財保護法に基づいて、工事で失われる埋蔵文化財の記録と遺物を残すためのものであった。これを記録保存調査という。記録保存調査を含む埋蔵文化財の保護は、法的根拠をもって国民に等しく求められるものである。そのため国や自治体は、何をどのように保護すればいいのかという基準を示してきた。港区では『港区埋蔵文化財取扱要綱』としてまとめられ公開されている。記録保存調査の実施にあたっては、こうした基準をベースに、発掘にかけられる期間や費用との兼ね合いのなかで、何をどのように発掘するかを決めていく。
KeMCoの発掘では、港区の『要綱』から大きく対象を広げることはできなかった。工事開始までの発掘可能な期間が限られていたことが最も大きな理由である。また、大通りに面していて掘った土を外に出すことができなかった点や、近年の整地で江戸時代の地層の上部まで削平されていた点などの、この地に特有の条件も判断に深く関係していた。(安藤広道)」(12.)

「KeMCoで発掘しなかったもの」すなわち「明治期以降の近代・現代の痕跡」をなぜ発掘しなかったのかについて述べられている。
そうした弁明をまとめると以下の3点になるだろう。
1.調査対象は「原始・古代から近世まで」で「近代・現代に属する遺跡は、地域の歴史の理解に欠くことのできない」場合という文化庁指針に準じた地元自治体の『要綱』に規制された。
2.調査期間や調査費用、調査方法など現実的な制約
3.「江戸時代の地層の上部まで削平されていた」すなわち近現代の包含層が残存していなかったこと。

「ない」ものは、調査のしようがない。本当になかったら弁明の1や2は、意味をなさないだろう。
しかしどうやら「なかった」のではないらしい。なぜならば[写真21]のキャプションとして「発掘で出土した近現代の遺物 発掘の対象としなかった近年の事業層から、また近世の遺構に混ざりこむかたちで近現代の遺物が出土した」と記されているからである。

弁明3の「江戸時代の地層の上部まで削平されていた」と表現されたのは「発掘の対象としなかった近年の事業層」が存在していたということであり、この「近年の事業層」を「発掘の対象としなかった」のは、弁明の1および2ということらしい。
この「近年の事業層」(考古誌では「近代以降の表土」)の扱いが、厄介である。なぜならば「発掘の対象としなかった近年の事業層」から「発掘で出土した近現代の遺物」が出ているからである。「対象」でなくとも「出土」してしまうのである。「発掘の対象」ではなかったが「発掘で出土した」<もの>たちは、刊行された考古誌では一言も触れられることはなく、すなわち存在しなかったこととされ、しかしその後の展覧会で初めてその存在が明らかにされた訳である。普通、こうした<もの>たちは、産廃扱いで、闇から闇へということになるだろう。
発掘に伴ってなされた「近年の事業層」の除去は、発掘なのだろうか、それとも発掘ではないのだろうか。

「そこでこの展覧会では、KeMCoの発掘によって得られた成果だけでなく、選択しなかった痕跡にも目を向けることにした。これまであまりなかった試みである。私たちが構築した「遺跡」をいったん解体してみることを通して、今後一人ひとりが「遺跡」と「歴史」の構築にどのように向き合い、関わっていくことができるのかを考えるきっかけにしてもらいたいと思っている。(安藤広道)」(3.)

要は、問題意識だと思う。
近現代に関する問題意識があれば、どんな制約があろうと当該地がいつ慶應義塾の敷地になったのかという情報を一言考古誌に記載することぐらいはできたであろう。

「発掘しなかったもの」と「発掘しなかったこと」は、少し異なるだろう。
「発掘しなかった」と「報告しなかった」も一見すると同じように思えるが、違うのではないか。
「発掘したけど報告しなかった」ことがあるように、「発掘しなかったけど報告した」こともあるのではないだろうか。


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