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俵2021「文化財の「返還」とはなにか」 [論文時評]

俵 寛司 2021 「文化財の「返還」とはなにか -世界史の中のベトナム文化財返還をめぐる覚書-」『港市・交流・陶磁器 -東南アジア考古学研究-』菊池誠一先生・坂井隆先生退職記念論文集編集委員会:143-152.

「…日本国内の民間団体である「韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議」は、韓国政府に対する意見表明(2013)や大田高等法院への要望書提出(2018)、釜山ワークショップ(市民対話集会)(2018)など積極的な活動を続けており、2019年には公開シンポジウム「世界史の中の文化財返還問題を考える」が東京で開かれ、筆者も第Ⅱ部「対馬盗難仏像返還問題についての考察」に報告者として出席し、その中でベトナムの状況についてコメントを求められた経緯がある。すなわち本稿は、この時の問いに対する回答として執筆したものである。」(143.)

いろいろな場面でお世話になっている。丁寧な紹介を頂き、感謝である。

「…本稿では第一に、ベトナムの文化財/文化遺産の歴史的背景としてベトナムのフランス植民地化と「インドシナ・コレクション」の形成について概略を述べる。第二に仏領インドシナ時代ベトナムの考古資料「ヤンセ・コレクション」を例として海外に分散し保管されている植民地時代のコレクションの持つ歴史性と研究の可能性について考える。第三に、ベトナムの「五戸寺梵鐘返還運動」を例として現代史の中での文化財返還の意義を振り返る。最後に、近年のフランスのアフリカ文化財返還に関する動向を紹介しながら文化財の「返還」の持つ意味について考えたい。」(144.)

「当時アカデミズムの発掘においても学術的な「資産」としての遺物の獲得が目的であったことは疑いなく、大学教養人や経済的余裕のある中間層(大衆)の成長がその「市場」を支えていた。つまりパトロンである博物館や大学に資金を提供するのと引き換えに豊富なコレクションと権威を増大させ、資本主義/植民地主義世界の文化収奪=交換システムを機能させていた。」(144.)

学術的な発掘調査が本当に学術的な成果を得るためであったのだとしたら、調査によって然るべきデータが得られれば、それに伴う出土遺物がどこにあろうと構わないはずである。ところが未だに調査によって得られた資料を手放さないとしたら、その当初の目的が「遺物の獲得が目的であったことは疑いない」だろう。

「ヤンセ・コレクション」と称される膨大な考古資料が、アメリカのハーバード大学ピーボディー博物館・フランスのルーヴル美術館・ギメ美術館・セルヌシ博物館・ベルギーのブリュッセル美術歴史博物館・スウェーデンのストックホルム極東考古博物館・ハノイのフィノ博物館など世界各地に分散しているという。その一部はベトナムのサイゴン国立博物館に返還されたというが、その多くは未だ返還されていない。

ヤンセ・コレクションと聞けば、それに匹敵するのが梅原コレクションである。これは、現在どのような状態になっているのだろうか? 一部は東洋文庫に収蔵されているようである。

ハノイ東北25kmにある五戸(グーホー)寺の梵鐘は、1829年ベトナム阮朝時代に鋳造されたものである。1942年の日本軍進駐の際に持ち去られ、1977年に銀座の骨董店で発見された。当時のベトナム反戦運動を通じて返還のための募金が全国に呼びかけられ、1978年に返還された。現在は、バクニン省博物館が所蔵しているとのことである。

中古車などでは当該車が過去に事故を起して躯体部分の損傷を修復をしたかどうかを記録することが義務付けられている。同じように骨董品についても、それぞれの骨董店はどのような相手から購入したのかについて記録することで購入履歴を遡及することができるようにすべきではないか。本件の場合について言えば、五戸寺梵鐘の関与者を明らかにして元日本軍関係者にまでたどることができるようにするべきだと思う。

また不法に持ち出された文化財をあるべき<場>に戻すために全国から集められた貴重な志については尊いものと考えるが、たとえ半額にせよ不当に持ち出されたことが明らかな盗品を買い戻すのに代金を支払うことは、盗品を保管している側に対してその所有権を認めることになるのだから、私の立場からすれば好ましくないと考える。本来の所有権は、元々あった<場>に住む人々にあり、現在の所蔵者が自らの所有物であると考えているのは考え違いであり、実は本来の所有者からの借用者に過ぎないのである。
もちろんこうした考えは理想論であって、現実を動かすのに何の実行力も持たないと言われてしまえばそれまでである。しかしレンフルー&バーン2007が述べたように考古学と骨董業界の「パラドックス」(五十嵐2020「考古学と骨董品」:311.)を解決するためには、先に述べたトレーサビリティ(購入履歴の記録化)と盗品には値段を付けないという原則の確立が最低限必要と思われる。

こうした考え方を背景にして、近年ではかつての植民地宗主国である欧米諸国における文化財返還の動きは、もはや誰にも押しとどめることはできない情勢となっている。

「…「返還」(restitution)とは、法的に正当な所有者に現物をただ返すことのみを意味しない(Sarr and Savoy 2018:29.)。返還という行為そのものが、物事を適切な調和、秩序へと戻す試みであり、本来の「場所」にかかわる集団的記憶の回復や文化遺産の再社会化、記憶の再構築といった様々な試みを通じて、それらが反映する新たな倫理的関係に基づいた新しい文化的関係を確立するための道を開く一つの方法でもある。」(151.)

文化財返還運動は、大きく言えば世界平和を構築する運動の一環をなしている。

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橋本

まず、関係者間の温度差を和らげなければと思います。さもないと結果に関わらず、みんな大ヤケドしそうです。
by 橋本 (2021-04-30 18:15) 

五十嵐彰

まず「関係者間の温度差」という時の「関係者」とは、どのような事柄に関係する、どのような人たちなのでしょうか? そしてその「温度差を和らげなければ」というのは、具体的にどのような行為をイメージしているのでしょうか? 「大ヤケド」という表現が意味していることも曖昧で、理解が困難です。
by 五十嵐彰 (2021-04-30 19:23) 

橋本

返還を求める側、求められている側、それによって影響を受ける他の関係も含まれることもあるかもしれません。それぞれが主張するところの違いもさることがら、着地したところであまりに落差があれば、引っくり返って恨みが残ることもあるでしょう。そうなればますます平和は遠ざかってしまいそうです。
by 橋本 (2021-04-30 20:21) 

五十嵐彰

私は、あるべき<もの>があるべき<場>に戻されることが、平和の一つのイメージです。あるべき<もの>があるべき<場>に少しずつでも戻されることが、平和に近づく一歩だと思います。
by 五十嵐彰 (2021-04-30 20:32) 

橋本

略奪、購入、交換、贈り物などなと、海を越えた事情は様々でしょう。また、ほとんどは直接関係した方々がが亡くなっていることでしょう。それをなんでも同じにしていいものでしょうか。あまりに雑ではありませんか。
みんなで混ざって協力して事情を調査し、その作業の中でその物の価値を確認し合う先に、これからどうしようか、ということが出てくるのかと思います。大事なのはお互いを尊重する空気をつくることではないでしょうか。
世論を巻き込んでいればなおさらです。雨降って地固まることが望まれませんか。
by 橋本 (2021-05-01 10:30) 

五十嵐彰

関係者が協力してお互いを尊重しながら事情を調査する。私もそのようなことを望んでいます。しかし現実は、多くの場合にそうはなっていません。なぜでしょうか? 文中でリンクしたCNN記事(2020-0612)のジェフリー・ロバートソン氏も述べているように「大英博物館の理事たちは返還について話し合うことすら拒んでいる」からです。大英博だけではありません。上野の東博も東大も京大もそうです。当たり前ですね。「返したくない」からです。多くの場合というより全ての場合において、返還を求める側が熱心に話し合いを求めているにも関わらず、返還を求められている側はほとんど聞く耳を持たずあるいはおざなりに聞き置くという構図です。しかし結局は返さなければなりません。なぜでしょうか?「不当な手段で得た利益を保持することは許されない」からです。これが世界の大勢です。だからフランスの大統領も動いたのです。それを「雑」と称するかどうかは、個人の感性次第です。今後も宜しくお願い致します。
by 五十嵐彰 (2021-05-01 15:48) 

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