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古谷2019『縄文ルネサンス』 [全方位書評]

古谷 嘉章 2019 『縄文ルネサンス -現代社会が発見する新しい縄文-』平凡社

「私が試みたのは、21世紀初めの20年ほどの期間に日本社会で現れてきた、縄文をめぐる新しい動きを、バラバラの事象としてではなく、「縄文ルネサンス」という概念でまとめて論ずるに値する複合的現象として捉え、それについてできるだけ多方面から光を当てて、その姿を浮かび上がらせ、その背後あるいは基底にある潮流を読み取ることであった。」(257.)

岡本 太郎の「太陽の塔」に始まり、どぐキャラ総選挙、土器片クッキーを経て考古学アートに至るまで、これは一時的な「縄文ブーム」などではない、社会的な必然である「縄文ルネサンス」なのだというのが、10年以上にわたる科研費基盤研究(C)に基づいて本書で述べられている文化人類学者の見立てである。

「これらの作品(2016年世界考古学会議第8回京都大会のサテライトイベント「カケラたちの庭より」)は、多種多様の造形表現を通じて考古学と現代アートとの交錯の可能性を追求する試みで、実は、考古学とはいかなる営みなのかという、現代考古学における先端的な問題意識に応えることを意図している。私自身、同様の問題意識にもとづいて「現代アートを用いての先史文化理解と先史文化を用いての現代アート制作の人類学的研究」(科研費基盤研究[C]課題番号25370944)を実施してきたので、言いたいことは山ほどあるのだが、ここでは縄文ルネサンスとの関わりに絞って、いくつかの点を指摘しておくにとどめたい。」(191-2.)

考古学は、いったいいかなる営みなのか?
これは、ぜひ文化人類学者の意見を聞きたいところなのだが、残念ながら答えは回避されている。
私の最近の答えは、「埋まってる<もの>を掘り出すこと」である。

「他方、縄文時代の琉球列島の文化と本州以北の縄文文化の関係については、共通性が強調されたり、異質性が強調されたり、戦前から長く議論が続いているが、「国立琉球民族博物館」が計画されているという話は聞かない。現代の琉球列島の住民は「日本民族」の一員をなすとみなされているからである。しかし本土のほうの縄文文化を複数で多様なものと見る視点を採用するならば、琉球文化も、そうした多の中の一ということになるだろう。しかしこの問題は、本書で扱うには大きすぎるし、だいいち私の手に余る。」(231.)

アイヌ民族は先住民であるが、琉球民族は先住民ではないというのが、日本国政府の公式見解のようである。
これは国連を始めとする国際社会の中では、通用しない孤立した見解である。
本件は文化人類学のみならず「日本考古学」の重要案件であり、それぞれの態度表明が求められている。

「…現在の日本国の考古学者は、「単一民族神話」の下で作られたナショナルな枠組を踏襲して、縄文土器を作った人々の文化を縄文時代の日本文化とみなして調査研究をしているようであるが、その根拠はどのようなものなのか。また、アイヌ民族を日本民族とは別の民族と認定するならば、北海道の縄文時代や続縄文時代の遺跡や遺物に対して、非アイヌの日本人考古学者はどのような関係をもつのだろうか。問題はすぐに込み入ってくるので、深く追究するのはまた別の機会に譲らざるをえない。」(241.)

私の知りたい部分については、いずれも「指摘しておくにとど」まり、「大きすぎるし」「別の機会に譲らざるをえない」とされているので、次作に期待することになる。
しかしかつて危惧した「文化的遺伝子」についてもちゃんと言及されているし(144.)、そのバックボーンは首相主催の「「日本の美」総合プロジェクト懇談会」(津川 雅彦 座長)であることも指摘されている(225.)ので、「日本考古学」が内包する「ナショナルな方向への強い引力」(226.)に対する警戒感は文化人類学者としては当然としても、そうした危機感が希薄な「日本考古学」は傾聴すべきであろう。

最後に『ジョウモン・アート』への寄稿文から一節を引用する。
「(考古学と)現代アートとの出会いは、(日本)考古学を遺跡や遺物への視野狭窄から解放してくれる契機となりうる。」(古谷 嘉章2019「先史文化×考古学×現代アート」『ジョウモン・アート』:216.)

「視野狭窄」とは、'Narrow-Mindedness' のことである。
「日本考古学」が、第1考古学(文化史復元)のみという病的気質から脱して、旧石器や近現代にルネサンスが訪れるのは、いつなのだろうか?

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古谷嘉章

はじめまして。書評ありがとうございます。やはり一般書ということで、深い議論はできなかったところがあります。御指摘の点については、論文などで発信したいと思います。
by 古谷嘉章 (2020-02-25 12:06) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

コメントありがとうございます。私は考古学と民族学(文化人類学)が統合された学統で育ったので、「日本考古学」の「視野狭窄」という症状に長い間うなされてきました。なぜ「ジョウモン」だけに「ルネサンス」なのか、「世界考古学」における「日本考古学」の特異性に関する診断(セカンド・オピニオン)を期待しています。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2020-02-26 12:06) 

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