神道的考古学の現状 [雑]
「とくに土器製作については、現在のところ明らかに世界最古の年代測定値をしめしてをり、もう一つの有力な土器発明地である西アジアよりも少なくとも4000年以上も先行する。広大なユーラシア大陸の東端の辺境にあって、しかも大海に突き放されたかのごとき島国のどこにそれほどの力があったのであろうか。極めて重要かつ興味深い問題であるが、依然として謎に包まれてゐる。」
(小林達雄2003「縄文人の文化的遺伝子 -「原始神道的世界観」-」『神社新報』第2684号初出、2004『国際縄文学協会紀要』第1号:133-134に転載、初出文献未見、以下の引用文は全て転載文献に基づく)
本当にそうなのだろうか。
旧かなの使用と相まって、2003年発表の文章ということが、にわかには信じられなかった。
かつて自民族中心主義というのがあった。今もあるのかもしれない。
「しかし、思ひ当る節がないわけではない。つまり、極東の孤島といへども、旧石器時代の終末期には大陸側の細石刃文化圏の一翼をになってゐて文化的に孤立してゐたわけではなく、さまざまな世界の動静や情報を知り得る立場にあったのだ。さらに当時の日本列島の遺跡数は抜群の密度を示し、それだけ人口の多かったことを物語ってゐる。古今東西、文化的社会的経済的な新しい動きが、過疎地ではなく、人口密度の高い地域を震源地とする例は枚挙に暇ない。さうした背景こそが世界に先駆けて、いはば縄文革命を可能にしたのだ。」(同:133)
当時「世界の動静や情報を知り得る立場」?にあったのは、まさか日本列島に住む人々だけではないだろう。
そして後期旧石器段階終末期における日本列島の人口密度が、他の地域に比べて格段に高かったというのは、どのような論拠に基づくのだろうか?
「さらに強言すれば、ヒトは自らの主体性を確立し、自然を対象化することで人間意識に目覚める契機を得たのである。ムラの中には必要とされる住居をはじめ食物の貯蔵穴や倉庫やゴミ捨て場、公共的な広場そして共同墓地などの諸施設が加へられ、ますます人工的色彩を強め、その分だけ自然的要素が排除されてゆく。名実ともにムラと周囲の自然(ハラ)との対立関係を鮮明にした。確かにムラとハラとの対立は明らかであったが、それは決して敵対関係でなく、ましてや自然を征服の対象とする西欧の近代合理主義とは相容れない。むしろ縄文人の側からすれば、自然の秩序から一歩距離をおいて対極に立つことで、かへって自然との揺るぎない関係の新しい構築へと進むのである。」(同:133)
縄紋時代と同時期のヨーロッパ、例えばフォスナ文化やマグレモーゼ文化あるいはスター・カー<遺跡>などを残した人々は、自然と敵対関係にあり、ひたすら征服の対象としていたのであろうか?
そして、1万年以上前の縄紋時代開始直前相当期のヨーロッパ地域に存在したという「近代合理主義」とは、一体全体どのような「主義」なのだろうか?
「とくに、風景の中の草木は皆ものを言ふ、精霊の宿る舞台であり、時には巨石や巨木が命名されて崇められ、日本的心の発現を促した。まさに八百万の神のいます自然に根差した原始神道的世界観の醸成を確かに見る。山の中では、三輪山に代表される神奈備型の姿はそのまま御神体となり、やがて寺院建築につき動かされて社殿が麓に現れるにいたる。かうして、縄文人の一万年の歴史を通じて脳の襞の奥深くに刷りこまれた文化的遺伝子(ミーム)は、大陸伝来の弥生農耕文化と融合し、古墳時代から古代を経験して現代に継続されてゐるのである。」(同:134)
こんな「文化的遺伝子(ミーム)」が、私の「脳の襞」にも刷り込まれているのだろうか?
不安になる。
それよりも、こうした文章が英訳され(Translated by Mark Hudson "THE MEMES OF THE JOMON PEOPLE: FROM THE WORLD VIEW OF PRIMITIVE SHINTO" :51-52)、世界に向けて発信されているということの方が、もっと不安である。
コメントから直リンはできないようですが(不便だけど仕方ないですね)
以前、当該の似非慰についてコメントを書いたので紹介しておきましょう
「捏造問題連絡舟々」に行き、“国際縄文学協会紀要”で[全文検索]してください
by はや (2006-06-06 17:19)
はやさん、ありがとうございます。そう言えば、記憶が甦ってきました。
わたしは、まだ修行ができていないので、なかなか「これでよいのだ」と達観することができません。
by 五十嵐彰 (2006-06-06 21:00)
こういう文献(?)があることは、今日はじめて知りました(別の意味で驚愕ですが)。もっとも「国際」の...と、この執筆・訳者については...あれですね、だいぶ前から...ですね。弱い人間なので、伏字だらけになってしまいますが(苦笑)、ひじょうにまずいと思います。こういうことを取り上げることは必要なことだと思うし、早傘さんの記事も拝見させていただきましたが、とても勉強になりました。
by Stone Seeker (2006-06-07 01:26)
小さな分野でも功成り名遂ぐと天下国家や文化を論じたくなる気持ちや神社庁に阿る気持ちも分からないでもないし、学問という現象が究極的には社会や政治やイデオロギーの関数でしかないとは思うものの、やはり、一応科学的な考古学を標榜するなら、究極的な真理や客観的な結論などはもとより存在しないとは言うものの、したがって結論はともかくとして、しかしそこに至るまでの方法やその論証過程は「客観的」でないと、他人を説得することはできないと思います。ツッコミどころは満載ですが、一つだけ言っておけば、非ネオ・ダー二ズムの観点から言えば、「形態」はともかく、人間の「行動」を規定する遺伝子は、いまだ一つも確認されていないのではないでしょうか。鈴木さん亡きあと、そして林さんがご病気の折、私にはこの論文?は、危険と言うよりも、悲惨の一語に尽きます。
by F (2006-06-07 09:19)
「紀元二千六百年の記念すべき年に当り、今更ながらも神武天皇の御偉業が偲ばれる。天皇は天祖の御遺訓を體せられ、八紘一宇の御精神を以て天下を統治遊ばされ弥栄に立栄え行く我国の根基を固め給うたのである。この慶祝すべき時に、我が大八州国の今日の隆盛に至れる淵源が何に拠るものであるかを究めん為に、神代史を講ずることは頗る意義深い業であると思ふ。世界に比類なきわが国体の由つて来つた根源を観ずるに、悠久悠遠なる神代に、既にその根底は築かれ、万世動ぎなき国是は定まつてゐるのである。(以下、略)」宮地直一「神代史に就いて」『神武天皇』平凡社1940年 13p
「神社界に大きい存在だった。神道史に精通し多くの著がある」と斎藤忠氏(『日本考古学人物事典』)で功績を讃えられる宮地直一論文の冒頭文です。宮地は、同じく斎藤氏が「神道考古学を体系づけた」「功績」を大場磐雄の上司・師匠であった人物ですが、小林論文の伊皿木さんの引用部分と、何か似ているニュアンスを感じますね。皇国史観に塗り固められた神代史が、命脈を保って「原始神道」に装いをかえて、21世紀に再登場したのでしょうか。だとすれば滑稽ですが、恐ろしいことです。杞憂であると良いですが。それにしても、「原始神道」を論ずる目的は何か、と「問う」必要がありますね。また神社・神主、神主養成大学の戦争責任・戦後責任はいかに?とも・・辻子実著『侵略神社 靖国思想を考えるために』(新幹社)を横目に、ふと、そんなことを思ってしまいます・・・。
by カラス天狗 (2006-06-07 12:49)