SSブログ

梶村2014『排外主義克服のための朝鮮史』 [全方位書評]

梶村 秀樹 2014 『排外主義克服のための朝鮮史』平凡社ライブラリー823

1970年代になされた3つの講演録(Ⅰ 排外主義克服のための朝鮮史 [1971年]、Ⅱ 朝鮮民族解放闘争史と国際共産主義運動 [1971年]、Ⅲ 八・一五以後の朝鮮人民 [1976年])を収録したものである。
半世紀前になされた講演であるから当然のことながら修正すべき点は多々あるものの、それ以上にしっかりとした視点とブレない問題意識に教えられることが多々あった。「好著」である。

「在日朝鮮人との連帯のために
次に、こうした日本人労働者の排外主義に基づいた、いわれのない民族差別に対する朝鮮人の姿勢について、ごく簡単につけ加えておきます。さかのぼれば、「日韓併合」を黙過した日本人、憲兵政治に加担した日本人、植民者として、また日本において数々の差別行為を犯した日本人に対する累積してきた不信感は関東大震災を通してさらに決定的になっていったと思います。ただ、それにもかかわらず、関東大震災以後といえども、朝鮮人の側から、日本人のいかなる努力も受けつけないというように閉じてしまう姿勢がとられたのではないということをあえていっておきたいと思います。
日本社会全体に対して不信感・警戒心を片時も失わない中でも、朝鮮人は日本人の中からそういう排外主義を克服しようとする動きがあらわれてくることを、たえず希望し続けてきた、いや希望せざるをえなかった。特に、関東大震災の時、同時に虐殺されている社会主義者に対しては、そのことによっても一種の連帯感がもたれていた。そのような朝鮮人との心の交流が成り立たなかったのは、むしろ日本人側が関東大震災の罪の上塗りをするような形で、これを断ち続けてきたことに主な原因があるのです。
日本人労働者にとっては、直接の圧力よりも、帝国主義イデオロギーとそれを支える物質的な壁が、よほどの勇気をもたないと越えがたいものとしてあったんです。そのまさに排外主義を、越えがたかった精神構造を分析しつくし、のりこえることこそ中心的に取り組まねばならない、日本人の課題だと思うのです。
反対側からいうと、日本の天皇制イデオロギーや民族排外主義について、僕があえて権力の側がつくったものという面を強調してきたのは、日本人の太閤以来変わらぬ民族性といったようないい方は問題の本質をかえってムードでぼかしてしまうと思うからです。人がつくったものだから、われわれはこれをこわしていくことができるのです。自然現象のような「民族性」という言葉は絶望に通じていきかねない。紀元節にしても天皇制にしても明治の、日本の資本主義が発生していく過程で明らかに意図的につくられたものなのです。今のわれわれの実感ではそうは到底思えないくらい血肉化しちゃっているけれども、元をただせば権力の側からつくり出されたものが、われわれが自分の責任において自分の生活をその中に埋没させたことによって、一つの既成事実となったのです。「帝国主義下の臣民は帝国主義権力以上に横暴である」といわれるようなふるまいを自発的にするまでにおちいったのだと確認したいわけです。」(173-175.)

100年前の関東大震災時はもとより、50年前の本講演がなされた時においても、そして現在でも天皇制イデオロギー、民族排外主義による紀元節も天皇制も強化されこそ、微動だにしていないという現実(横暴さ)を、私たちは日々のニュースの中で確認している。
しかし、人が作ったものは、必ずや人が壊していくことができる。

「戦前と戦後は連なっているということは、日本の諸階級の多数にとって、まず敗戦体験が根本的な価値観の崩壊ではなく、カメレオンみたいに色を変えればすむことだったということだ。
例えば、1945年8月15日を、日本人と朝鮮人とが、どう過ごしたかを比べてみるとはっきるする。山田昭次さんが前に『朝鮮研究』に書かれた分析などもありますから、細かくはそういうものを読んでもらいたいと思いますが、朝鮮の民衆の中では、解放後の新たな権力は下から積み上げて作っていく動きが、とにかく当然のことのように始まり、地方人民委員会が具体化していくが、日本ではそうではない。上の方の機構が崩れたというような受け止め方です。朝鮮においては、旧来の支配機構、権力機構はいうまでもなく、社会末端に至るまで、植民地支配の体制に連なっていた、いわゆる隷属資本家や地主や下級官吏の権威を含めて、明らかにガラッと崩れ、大衆意識がその存続を許さなかった。そしてそれに替わるものとして「人民委員会」などが生れてくる。
それに比べれば、日本社会での末端の崩れ方は全く不徹底なものにすぎない。天皇や軍の権威は上の方で崩れたけれど、末端の社会機構、地域・町内会や村落の中の人間関係は別に変っていない。昨日まで威張っていた奴が、別のことを言いながらやはり威張っているという姿ではなかったか。あるいはそういう中での日常生活意識の次元で、今までの考え方ではとてもやっていけないというような危機感・流動状況にまで、ほとんど至っていない。そのうちに、ただ物質的に大変になって、流れにまかせて…。少なくとも全然いない訳ではないけれど、非常に少ない。完全に「どうしようもない」という気持ちから、長い時間をかけて新しいものを見出していくという経過が、大量にあったとは到底言えない。むしろ、非常に器用に、プラグマチックに、今までの天皇の代わりにGHQをもってきたにすぎない。だから朝鮮観などが問い直されるという当然のことには、ほとんどなっていなかったのではないでしょうか? イデオロギー・政治的意識の点では大いに変わっても、その前提となるものが崩れないできた人間が、かなり多いのではないだろうか。」(57-58.)

まがりなりにも隣国では「人民委員会」を積み上げて、「朝鮮人民共和国」が自らの手で作られた。短期間でアメリカに潰されるが、作られたという事柄そのものが重要である。
それに対して、こちらはそうした欠片も見出し難い。
日本人は排外主義を克服できるのか?
著者の問いかけは切実でかつ重い。
その問いかけに、日本人の誰もが応答する責任を負っている。

「私は、考えてみると、これ以前にも、なぜ(朝鮮研究を)やるのかという私の必然性について、前から研究者、あるいはそうでない在日朝鮮人に、いろんな機会に、日常的な個人的な体験として「めくられ」たことが何回もあった。言い方は直接・間接いろいろですが、やはり「お前自身は何であり、何であろうとするのか」ということだったのだと感じます。なぜやるのかということをもっと自分で厳密化しながら、自分自身を排外主義の外側に置く形ではなく、かつ排外主義とたたかうという構えをとりながら、かつ研究をやっていかなければならないと思うんです。
これを別の言い方でいうと、今まで日本社会の中で排外主義的な意識、あるいは生活の中に、ずっとひたった状態のままの日本人が、ある日いろんなきっかけで朝鮮問題の重要性に突然気がつく。そしてものすごく夢中になって一時研究なり運動なりやりはじめる。ところがその過程である壁に必ずぶつかる。そうすると、結局おれにはやりきれないんだとか、あるいは、朝鮮問題よりも日本問題の方がもっと重要だという「自主独立」論といった形の合理化の理屈をいろいろ付けて、要するにいったんやりかけたことを、日本人であるがゆえに持つ自由を行使してやめてしまう。本当にわかっていない次元で、なまじっかわかったといったようなところで、日本社会の元の木阿弥にもどっていく。そういうことが、在日朝鮮人の側から見ればくり返しくり返し過去にあった。お前もそうではないのかと、先ほどのような質問をつうじて聞いていたのだ。それはお前の必然性を大声をあげてだれかに言うことではなくて、自分の内部においてはっきりさせておくことが、絶対必要であるという、非常に重要なことを指摘してくれていたんじゃないでしょうか。」(17-18.)

幾度となく「めくられ」た経験者ならではの、そうした厳しい経験を潜り抜けた強靭さを感じさせる文章である。石器だけを研究していれば、「いかに研究するか」は問われても「なぜ研究するのか」を問われることは滅多にないだろう。しかし「なぜ、その研究をするのか」から、さらに進んで「お前は何者なのか」という自己規定や「世界をどのように見ているのか」という歴史認識に至る根本的な問題を常に絶え間なく意識せざるを得ない領域がある。
厳しい。確かに。しかしそれを避ける者と受け止める者との違いは、記す文章を通じて確実に伝わってくる。

「むしろ、なぜやるのかがパッとわからないという状態自体が、階級的にさまざまな違いが若干あるとしても、日本社会の中で生きていくものにとって普通の状態である。そういう状態にあること自体が、極端な言い方をすれば、帝国主義的なイデオロギーの中にどっぷりと自分自身がひたっているからなのだと思う。逆に、帝国主義的イデオロギーの中にひたっているということを自分自身が意識し自覚し、絶えず考える、そういう契機として朝鮮問題はある。平たく言えば、朝鮮問題について、あるいは朝鮮史について知らないということ、知らないことに無自覚なのがそもそも第一に問題。そして同時に、知らないということに気づいても、知りたいという非常に生き生きとした要求がおのずと感じられないというのが第二のいっそう重要な問題。意識がそういうふうに一般的に形成されることによって、具体的なイデオロギー攻撃としてあらわれる排外主義的な動員に、日本の諸階級がかつて動員され、今また動員されて行きかねない形勢なのだ。逆に言えば、知らないでいることと、切実な要求感の欠落、その両者の循環をぬけ出すことがどうしてもやっていかなければならないこと、そのために朝鮮問題にかかわらなければならない、そういう関係だと思うんです。」(19-20.)

先週(2月8日)は、大阪で「歴史認識と社会変革」というテーマで集中的な討議がなされた。
歴史認識の主体とは、いったい誰で、どのような在り方なのか?

「歴史認識は、認識者の道徳・価値観、想像力、生き方(生活)に規定される。
認識者の道徳・価値観、想像力、生き方(生活)は、認識者の歴史認識に規定される。
客観的な歴史認識は社会変革の過程で形成され、社会変革の力は客観的な歴史認識によって強化される。
歴史認識は、現在を認識すること。
過去を知り、今を生き、未来を思うこと。」
佐藤 正人氏の配布資料より)

nice!(2)  コメント(0) 

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。