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臺灣出土的日本製近現代陶瓷器與亞洲近現代史國際學術研討會 [研究集会]

「台湾から出土した日本製の近現代陶磁器とアジアにおける近現代史」国際研究集会
 臺灣出土的日本製近現代陶瓷器與亞洲近現代史國際學術研討會
 "The Uncovered Japanese Ceramics from Taiwan Archaeological Sites, and History of Modern Asia" Conference

日時:2023年 10月 23日(月)~25日(水)
場所:台北市 中央研究院 歴史語言研究所 703・704会議室
主催:中央研究院 歴史語言研究所(国家科学技術委員会 協賛)

市中心部から地下鉄で10分ほどの郊外に、理系から文系まで数十の研究所が広大なキャンパスに散在する。
雰囲気は、なんとなく北大に似ている。

【10月23日(月)】
・辻利茶舗から祇園辻利まで(鐘 淑敏:オンライン)
・1900-40年代日本の一般的な陶磁器 -高崎市鐘紡新町工場女工寮遺跡の調査から- (坂井 隆:オンライン)
・日本統治時代(1895-1945)台湾に輸入された日本陶磁器(盧 泰康)
・台南市の清朝・日本統治時代井戸遺構出土の近現代陶磁(趙 金勇・鐘 国風・許 静慧)
・日本統治時代台湾の病院における陶磁器消費と集団的差異 -台南衛戍病院および台北医院から出土・採集された陶磁器を例として-(盧 柔君・温 天賜)
・1930年代草山温泉の鳥瞰図および観光発展(許 佩賢)
・非典型的な埋葬 -植物園遺跡緊急発掘出土人骨遺体の年代と埋葬姿勢の分析-(邱 鴻霖)
・考古学的コンテクストと歴史文献・地図による鵝鑾鼻の再検討 -「社」・「荘」から「庄」までの変遷過程-(郭 聖偉・邱 鴻霖)
・日本統治時代の高山地域統治の計画過程を「縦貫隘勇線」から語る -雪山地域で発見された石屋遺跡の研究を例に-(顔 廷伃)
【10月24日(火)】
・日本の社会変革と陶磁器 -近世から近代へ-(堀内 秀樹)
・海上輸送からみた陶磁器の流通 -太平洋・日本海の事例から-(内川 隆志・惟村 忠志)
・東アジア域における文化的相互干渉の一側面 -台北植物園遺址出土陶磁器を軸に-(長佐古 真也)
・日本多摩地域における隔離病舎の調査を通じて近現代考古学の在り方を考える(五十嵐 彰)
・近代考古学の可能性 -国立ハンセン病療養所栗生楽泉園内「重監房」跡の発掘調査-(黒尾 和久)
・日本・砥部からの近代砥部焼の海外輸出 -文献と考古資料による基礎的検討-(槙林 啓介)
・台北植物園遺跡出土陶磁器と台湾の近現代 -銘のある資料を中心として-(俵 寛司)
・日帝強占期に韓半島で行われた古蹟調査の再検討(鄭 仁盛)
・韓国近現代陶磁器と柳 宗悦 -谷城下汗里窯場を中心に-(權 赫周)
・安東の文化遺産政策と活用 -過去・現在・未来-(金 敏楂)
・植民地朝鮮の教育政策 1912年-1922年(Andrew Hall)
【10月25日(水)】
・考古学的観点から見た台湾の近現代史(郭 素秋)
総合討論
植物園遺跡出土陶磁器資料の観察

台湾側の発表10本はそれなりにジェンダーバランスが取れているのに対して、日本側8本の発表は私と同世代の男性ばかりで、わずかな局面に現れた事象に過ぎないのだろうが「日本考古学」の将来が思いやられる。
そして台湾側の発表を聞いて思うのは、発表者の発表の仕方が一様に熱いというか、メモなどは一切見ずに、とにかく考えていることを叩きつけるようにしゃべるという印象を強く受けた。それは、日本側のある意味で大人しい発表と対比した時に強く印象付けられることになる。

以下は、3日目の総合討論の場において短くコメントした内容を少し時間を置いてから改めてまとめ直したものである。

*今までは、かつて植民地期に植民地でなされた考古学という意味で「時」と「場」を限定した「植民地考古学」と、近現代という普遍的な時代区分を要素とする「近現代考古学」という二者を余り深く考えもせずに使っていたが、今回台湾というかつての植民地において植民地期(近現代)の考古学を主題とする研究集会に参加する機会を得て、改めて「植民地考古学」と「近現代考古学」の相互関係、いったい何が同じで、何が異なるのかについて考えてみた。

A:植民地期に、植民地で、宗主国の考古学者が発掘する →「植民地考古学」:朝鮮総督府による植民地朝鮮での発掘調査、東亜考古学会による中国大陸での発掘調査、東京大学による楽浪での発掘調査、京都大学による遼東半島での発掘調査など
B:ポスト植民地時代である現在に、かつての植民地で、かつての被植民者に連なる考古学者が、近現代<遺跡>を発掘する →今回の研究集会の主題となった台北市「植物園遺跡」から大量に出土した陶磁器類
C:ポスト植民地時代である現在に、かつての植民地宗主国であった地において、かつての植民地帝国に連なる考古学者が、近現代<遺跡>を発掘する → いわゆる「近現代考古学」と呼ばれているものであり、八王子市由井村の隔離病舎跡地や群馬県草津市の「重監房」跡地や愛媛県の磁器窯跡地での発掘調査など

こうして、何時(いつ)・何処で(どこ)・誰が発掘したのかという視点で整理してみると、それぞれの関係性が浮かび上がってくる。
いわゆる「植民地考古学」(A)は、植民地期に植民者によるという意味では「植物園遺跡」(B)とは異なるが、植民地における考古学という意味では、広義の「植民地考古学」と言えるのではないか。
そしていわゆる「近現代考古学」(C)は、調査対象とする資料が「近現代」であるという共通性が「植物園遺跡」(B)とあるが、その調査地がかつての植民地と宗主国、調査者がかつての被植民者と植民地支配者の末裔という点で決定的に異なる。
こうした枠組みで、台北市「植物園遺跡」を眺めると、A「植民地で植民者によってなされた考古学」、B「かつての植民地で植民地期を対象とする考古学」、C「旧宗主国本国で近現代を対象とする考古学」という共通性と異質性が浮かび上がってくる。

台湾・朝鮮などかつての植民地でなされる近現代考古学は、本国日本でなされる近現代考古学といささかその意味合いが異なるのではないか。
だから「台湾から出土した日本製の近現代陶磁器」を見る日本人考古学者の眼差しについても、「アジアにおける近現代史」を踏まえた、それなりに心しなければならないことがあるのではないだろうか。

帰国便の関係上、最終日の「植物園出土陶磁器観察会」なるものを中途で退席した、かつての植民地支配者に連なる者の感想である。


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