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<遺跡>問答 [遺跡問題]

A:考古誌、一般には発掘した成果を報告する刊行物なので「報告書」と呼ばれている書物なんだけど、その多くの書名は「〇〇遺跡」となっているのは、なぜなんだろう?
B:そんなアホなことを考えているのは、あんたぐらいだろう。
A:そうだろうか?
B:そうだよ。当たり前だろ。「遺跡」とされているところを掘って、出てきた物を報告しているんだから、「〇〇遺跡」の報告書なんだよ。
A:それは、そうなんだろうけど、そもそも「遺跡」ではないところは発掘しないだろうし、もし発掘して「遺跡」ではなかったなんてことになったら、発掘調査報告書は刊行されないだろうし。
B:そりゃ、そうだよ。
A:発掘した場所が「遺跡」であることは確かであったとしても、それでその「遺跡」の全体を明らかにしたなどということは、滅多にないんじゃないだろうか。
B:そりゃ、そうだよ。多くの場合は、発掘した場所は「遺跡」全体の一部というのが一般的だと思うよ。
A:発掘したのは、「遺跡」全体の一部に過ぎないのに、それを「〇〇遺跡」などとあたかもその「遺跡」全体を明らかにしたかのような書名を掲げるのは、ある意味で誇大広告というか虚偽に近いんじゃないだろうか。
B:それは、言い過ぎだよ。
A:そうだろうか。
B:だから、ある場合は「〇〇遺跡」の後に、「1次調査」とか「2次調査」とか調査年次ごとの言葉をつけたり、「A地点」とか「B地点」といった空間的な違いを付け加えて区別しているんだよ。
A:なるほど。だけどそうやって最初は単純に思えた「〇〇遺跡」も掘れば掘るほど、その「遺跡」がくっきりと明らかになるというよりも、いくつもの異なる時期の遺構や遺物が複雑に分布しているといった、ある意味で掴みどころのない融通無碍なものに成らざるを得ない気がするんだけど。
B:うーん。それは考え過ぎじゃないの。
A:そもそも今普通に考えられている「遺跡」というイメージなんて、せいぜいのところ縄紋や弥生から古代ぐらいまでのもので、中世から近世や近現代の「遺跡」なんて、その実態がどのようなものなのかなんて、まともに考えられたことがないんじゃないの。
B:うーん、それはそうかも知れないね。
A:近世や近現代には「遺跡」概念を適用しないといった何らかの取り決めでもあるのだろうか。
B:いや、そんなものはないと思うよ。
A:だとしたら、今なされている考古誌(発掘調査報告書)に「遺跡」という言葉を使用するというのも、かつての古き良き時代の慣習を何の吟味もなく、漫然と引きずっている、極論すれば「悪しき慣習」なんじゃないだろうか。
B:それはそうかも知れないね。だけど、じゃ、どうすればいいのさ。
A:ある開発行為が契機となってなされている今の発掘調査で出てきた遺構や遺物や部材などは、極めて限定された、それこそ地下の地層を確かめるために穿たれたボーリング調査のサンプルみたいなもので、それでもってその地域全体の地層を語ることができないのと同じように、あくまでも限られた調査区という覗き窓を報告しているという意識が必要なんじゃないかな。
B:それで?
A:だからそうした現代の開発行為という、自分たちの都合で設定した調査区に規制された発掘の成果については、限定的な「覗き窓」なんだから、それに対して「遺跡」という用語を用いることは控える、というより断念すべきじゃないだろうか。
B:言いたいことは分かるけど、今まで馴染んできた「遺跡」という言葉をそんなに急にやめることはできそうもないな。
A:そういう気持ちも分かるよ。だけどこうした根本的な議論をないがしろにしてきた結果、実際に「江戸遺跡」などでは無秩序というか場当たりというか、一般の市民感覚ではとても理解できない、目も当てられない状況が日々進行しているように思うんだけど。
B:どういうこと?
A:なぜここを掘って、ここを掘らないのかとか、この「〇〇遺跡」はいったいどこからどこまでなのかとか、誰もまともな説明をすることはできないんじゃないの?
B:それは「江戸遺跡」を調査するようになった経緯とか、地方自治体ごとの体制整備の問題とか、いろいろと複雑な事情が作用しているんだよ。君みたいに、白か黒かなんてスパッと割り切れたら苦労しないよ。
A:それはそうかも知れないし、そうした様々な経緯や事情も分からないではないけど、こうした問題を関係者が意見を出し合うという機会が無さ過ぎじゃないだろうか。
B:それは、そうだね。ある意味で「遺跡名」というのは、あなたの言うように発掘して様々なモノが見つかった場所を漠然とさす、あるイメージを呼び起こす看板みたいなもので、「遺跡名」が表している「遺跡」自体が「どこからどこまで」なんて明確なものではないような気がしてきたよ。
A:「遺跡」というのは、考古学という学問の最も基本的な概念とされてきたはずなんだけどね。それが無秩序の極みといった状況は、ある意味で学問の危機なんじゃないのかな。
B:「遺跡」を確認する発掘調査というもの自体からして、全ての開発行為に対応できている訳ではないし、費用を負担できる原因者や調査機関など様々な条件がうまく折り合った場合になんとか実施できているという極めて不安定で僥倖の賜物といった性格もあるしね。
A:そうした現実的ないろいろな問題と学問的な概念とのせめぎあいというか、その整合性について、それこそ埋文行政と考古学との相互関係というか、この問題に引き付けて言えば「包蔵地」と「遺跡」の相互関係について考えるのは双方にとって重要な問題のはずなんだけど、埋文側も考古学側も、あるいは数多くの双方に関わる人たちはむしろそうした根本的な問題について、あたかも目を逸らしているというか見て見ない振りをしているような気がしないでもないんだよね。
B:こうなると話しは、埋文行政と考古学の相互関係というまた新たな問題に入っていかざるを得ないよね。
A:そうした議論もまたディープなものになりそうだね。

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