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宮田2019『いい感じの石ころを拾いに』 [全方位書評]

宮田 珠己 2019『いい感じの石ころを拾いに』中公文庫(初出は KAWADE WEB MAGAZINE 2012~2013)

「石に惹かれる。といっても、ものすごく好きで好きでたまらないわけではない。ふと、手に持ってみたらよかったと、その程度である。自分の人生において、とても重要なこと、ではない。石拾いをライフワークにしようなどとは考えない。ただ、そこに石が落ちていれば、いい感じの石をつい目で探してしまう、そんな癖みたいなものがある。
拾っている時間そのものが好きなのかもしれない。ただただ石を手にとって眺め、手にとって眺め、無心になって、いいものを選んでいく。難しいことは何もない。悩むことといえば、こっちの石とそっちの石、どっちがよりいい感じがするか、それだけ。」(7.)

『縄文ZINE』に教わった。あちこち、グッとくるフレーズに満ち溢れている。何よりも石愛に溢れている。

「「石拾いに行くっていうと、みんな半笑いなんですよね」
そうなのである。石拾いというと、誰もが小バカにする。これがヒスイ拾いなら理解もされるし、水晶だのオパールを探しに、と言えば、ちょっとした冒険扱いもされるというものだが、いい感じの石を拾いに、なんて言うと、まず、はあ? なにそれ? なんでわざわざ? という反応しか返ってこない。
世間は石に冷たい。石なんて、取るに足らないものと思っている。まあ、その気持ちもわからないことはない。たかが石だし。」(11.)

筆者の言う「いい感じ」と私たちの言う「いい感じ」は微妙に異なる。私たちの「いい感じ」とは、「いい石器が作れる」すなわち「いい感じに割れる」という一点である。

「「ご家族は、こうやって石を収集することについて、なんと言っておられますか」
「わりと理解があって、石拾いに一緒についてきてくれますよ。うちの家族はよく拾う家族で(笑)、妻や娘はタカラ貝にハマっています。海へ行って拾うんです。貝マニアは石以上にすごいみたいですね。小さな貝が100万円とか。ちょっと信じられないような値段で売ってたりします」
んんん、うらやましい。私の妻など絶対についてこないぞ。」(44.)

私の妻も絶対についてこない。
こっちの業界にも「貝拾い」部門はあり、サルボウだのオオツタノハなどを集めているマニアックな人たちがいる。

「「ところで、なぜ石を拾うようになったんですか」
愚問かとも思いつつ、単刀直入に訊いてみる。
「父が大工で、休日が他の家と違うときなんかに、キャンプに連れていってくれたんですよ。で、釣りをしたり、川で石を探したりとかして。そんなときに、たぶんきれいな石を見つけたんでしょうね。そのへんが原点じゃないかな」
つまり、もの心ついたときには、もう拾っていたということだ。特別な理由などないのである。石を好きになるのに理由なんていらない。生まれつき好きなのだった。やはり愚問であった。」(100-101.)

旧石器人の子供たちも、親に連れられて河原を歩きながら、「いい感じの石ころ」を探していたのだろう。いろんな復元画を見たが、旧石器人の親子が河原で探石(ストーン・ハンティング)をしている光景を描いた場面を見たことはない。ここは、一つお願いしたいところである。構図としてあまり絵にならないかも知れないが、当時の生活で欠かせない一場面であったことは確かである。
やはり旧石器人も石が好きだったのだ。石を愛していたのだった。こんな当たり前のことにいまさらながら気が付いた。

「たしかに置き場は困りますね。私も拾いだしたのは、大きくなってからですけど、もうプラスチックケースがいっぱいで、だんだん溜まっていくからどうしたものかと。私の場合、ついたくさん拾ってしまうんですよ。久世さんは、拾うときはひとつしか拾わないですか、それとも……」
「探してる間は、3つ4つは常に手に持っていますけど、最後にはこれっていうひとつだけ持って帰ります」
「ひとつだけ? んんん、心が強いですね(笑)」
私は、ひとつだけこれというのが選べない。仕方なく、10個までは持ち帰っていいと自分ルールを改訂したのだが、それでも10個と思うと15個ぐらい持って帰ってしまう。おかげでいつも帰りの荷物はめちゃめちゃ重いのだった。」(104.)

もう数十年前になるが、レゼジーで拾った大きなフリントの塊をリュックに入れて、パリで泊まるホテルを探し回っている時、背中の重荷に耐えかねて泣く泣くシャンゼリゼ通りの植え込みにドロップしてきたのは、今でも痛恨の思い出である。

「「石は学者によって判断が違うときもあるし、石ころの名前の同定は本当に難しいので、図鑑を作るときは、地質標本館(つくば市)に60~70個持っていって調べてもらいました。いちゃもんつけてくる人もいるんですよ。これは〇〇岩じゃないとか言ってね。そんなの写真だけでわかるわけないんですが。」(中略)
「つまり、石ころ図鑑は岩石図鑑と違って、成分よりも見た目とかそういう……」
「そうです。模様を楽しんだり、きれいだな、とか、形がいいなあ、とか。そうやって楽しんでほしいんですが、不思議なことにみんな名前を知りたがるんですよね。だから名前も一応載せていますけど、名前はどうでもいいんですよ、本当は」
そうだったのか。それは私も常々思っていたことだった。しかし素人がそんなことを言ってはいけない気がしたから、大きな声では言わないようにしていたのである。先達に、そう言ってもらえると、いきなり大船に乗ったような気分だ。」(170-171.)

それは、私も常々思っていたことだった。緑色凝灰岩だろうと黒色緻密質安山岩だろうとチャートだろうと、旧石器人にとっては意味がなく、要はきれいに割れて、大きな剥片がいっぱい取れればそれで良かったんだと思う。あとはちょっと珍しい石がお気に入りぐらいで。

「「僕が石ころの図鑑を作るのは、みんなが石ころに興味を持ってもらえれば、川ももっときれいになると思うからなんですよ。僕は普段子ども向けの本ばかり作ってるんだけど、見てくれたら興味持ってくれるかもしれないわけですから。それをね、国立公園だから持っていくなとか、うるさいんですよ。石なんか、拾いたいものを拾えばいいんですよ。そうやって興味持つことのほうが大事なんです。石なんてまた出てくるんだから。自然はまた再生するんですよ。原発と違ってね。
原発事故のせいで阿武隈川の河口とかもう石なんて拾えなくなったでしょう。いい川なのに。相馬の海岸だって、もう行けない。ひどい話ですよ。腹が立ってしょうがないね」
まったくだ。あんな大事故を起こしておいて、いまだ脱原発しないってどういうことだ。」(186.)

これも今から数十年前、石友たちと米沢近辺に硬質頁岩の探石に行ったことがある。石割りのお師匠さんについていったわけである。夢中になって探しているうちに夕方になって、近くで雷がバリバリ落ちて怖い思いをした。

「石拾いは終わり時が難しい。日のあるうちはいつまでも拾っていられるから、どこかで決断しないと終われないのだ。決断した直後にひょっとしたらすごい石を見つけていたかもしれないと思うと、やっぱりもうちょっとだけ拾ってから帰ろう、なんて言って歯切れの悪いことこの上ない。とくに今後もう二度と来れないかもしれない遠い土地だとなおさらである。」(288.)

このあたりは、石器作りと同じ感覚である。うまいこと剥がせて、いい感じの石核ができて、この辺でやめとけばいいサンプルになるなあなどと思っていても、いやあと1枚だけ剥がして終わろうなどと欲が出て、最後のつもりで打撃を加えると、意に反してウートラパッセやステップとかになってしまいサンプルどころでない、散々な結果になったりするのである。

文庫本の解説は、武田 砂鉄氏による「「意味がない」という尊さ」という「いい感じ」の文章である。

「思えば、この本が刊行された後も、時代の最先端をひた走るビジネスマンからの反応は皆無だった。時代の最先端をひた走らない人たちからは歓迎された。『いい感じの石ころを拾いに』なんてタイトルではなく、『石ころを拾えば、夢が叶う』とか『マッキンゼー式 石ころ処世術』とか『なぜ年収3000万円を超える人は石ころを拾うのか?』なんてタイトルにしておけば、丸の内や六本木のオフィス街にある書店でロングセラーになり、宮田さんはその手のシンポジウムから引く手数多で、エッセイストとコンサルタントを兼ねるようになっただろうか。」(武田:298-299.)
「この本が好きなのは、この本に意味があるかと問えば、もしかしたら、ないんじゃないかと思わせてくれるからだ。それって、すごいことなんじゃないか。」(同:300-301.)

何事にも意味を求める世の中に敢然と立ち向かう「石ころ拾い」。

タグ:探石 石ころ
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