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小田2018「骨から人へ」 [論文時評]

小田 博志 2018 「骨から人へ -あるアイヌ遺骨のrepatriationと再人間化-」『北方人文研究』第11号、北海道大学大学院文学研究科北方研究教育センター10周年記念特集号:73-94.

「RV33」という符号が書き込まれたアイヌ頭骨が長年ベルリンで収蔵されていた。「ルドルフ・ヴィルヒョウ・コレクション」という有名な人類学者の名前を冠した資料として「ベルリン人類学・民族学・先史学協会(BGAEU)」が管理していた。この遺骨は1879年にゲオルク・シュレージンガーというドイツ人によって札幌の墓地から持ち去られたものだった。以下は、ベルリン人類学・民族学・先史学協会の例会でシュレージンガーが行なった発表要旨の一部である。

「地表から約1.5フィート(45cm)下に、二人の遺体を示す多くの骨を私たちは見つけました。しかし、冒涜的な行為をしていると思われるおそれがあったので、私たちには夜の闇の中で急いでこの頭骨を入手するのがやっとでした。(Schlesinger,G. 1880 Fundberiht Uber der Ausgrabung eines Ainoschadels auf Yezo. Zeitschrift fur Ethnologie -Verhandungen der BGAEU:207)」(筆者訳:75.)

「思われる」とか「おそれがある」といった曖昧なものではなく、「冒涜的な行為」そのものであることは人目をはばかって夜間に掘り出した自らの行為が明瞭に語っている。
「RV33」は、多くの関係者の努力によって2017年に北海道に「帰還」した。

「…植民地主義を背景に19世紀後半から20世紀前半にかけて先住民族の遺骨(特に頭骨)が研究目的で発掘され、それらが多様なアクターにより寄贈・交換されたり売買されたりすることで成立した世界規模のネットワークを「グローバル人骨ネットワーク(global-skull-trafficking networks)」と呼ぶことにしたい。ベルリンは、ロンドン、パリと並んでそのハブの位置づけとなっていた。」(78.)

トーキョーはネットワークの周縁域での資料提供役を担っていたのだが、そのような提供地域同士もまた相互に資料を交換しあっていたことは、東京大学にオーストラリアのアボリジニの遺骨が、オーストラリアにアイヌの遺骨が存在することで明らかになった。

「頭骨を測定することで「人種」の特徴を明らかにしようとする研究は、ここまでで明らかなように、根拠のない仮定から出発したものであったため、何らかの意味のある結論が導かれることは無かった。「標本」の収集とその測定を積み重ねた末に、ヴィルヒョウは1896年の時点で「ゲルマン人の頭骨」や「ユダヤ人の頭骨」を特定できる可能性は少ないと認めざるを得なかった(Goschler2002: 345)。この点でヴィルヒョウは人種主義的前提から出発したものの実証主義者であり、確信を持った人種主義者ではなかった。だがその人骨研究の結果ベルリンに残されたのは、倫理的手続きを無視して世界中からかき集められた数知れぬ頭骨の山であり、その発掘地に目を移せば盗掘者によって空にされた先住民族の墓地であった。」(79.)

こうした人種主義、生物主義、科学主義と民族差別が複合した優生思想の行き着く先がアウシュビッツや相模原やまゆり園であることも明らかである。

「デスコラが「大分割(the great divide)」(Descola2013)と呼ぶ自然の領域と人間の領域の分離は「近代社会」に自明のこととして浸透している。「自然科学」とは人間と切り離された「自然」を「客観的に」、ほとんどの場合数量化する方法論によって研究しようとする分野である。ここでの「自然」は主体性(自発性、創造性)がはぎとられ、部品が寄せ集められ決まり切った動きしかできない機械として表象される(機械論的自然観)。これに対して「人文社会科学」は自然から切り離された人間の領域に焦点を当てる。ここで人間は理性を占有し、それによって「文化」「歴史」を形成できる主体と仮定される。」(80.)

筆者は明示していないが、デスコラ、ラトゥールの参照から「思弁的実在論」や「新しい唯物論」が背景にあることを推測することができる。返還問題は、21世紀の今日的な問題である。

「”RV33"は、その後日本へと移された。それでrepatriationが実現したと言えるのであろうか? 筆者は「まだ実現していない」と考える。(中略)このプロセスにはrepatriationとして欠けているものがある。それを私は次の5点だと考える。
(1)遺骨を主体として考えて、その故郷の土に帰還できるようにする努力。
(2)その遺骨にゆかりのある当事者の声を聴き、対話と協議をする場。換言すると、誰が遺骨を受け取るのかという問題をオープンに議論する機会。
(3)それらの前提条件としての透明性のある説明・情報開示と意思決定。
(4)植民地主義という不正な歴史の中で先住民族が受けた痛みを前提とした謝罪と先住権の回復への取り組み。
(5)先住民族の現状がこれまでの植民地支配によるものだという歴史的文脈の認識とそれを踏まえたポストコロニアルな責任。」(81.)

ひとりの人間としての個性も人生も地縁も剥ぎ取られて、単なる標本・研究対象として与えられた無機質な科学主義の記号としての"RV33"から、どれだけ元の人間を回復することができるか、札幌の今は北海道大学の敷地に取り込まれた「コトニ・コタン」に生きた一人のアイヌ人男性、おそらく志登礼武天(シトレンテ)という1875年に亡くなった人へと「再人間化」できるかが問われている。単にベルリンの収蔵庫から北海道の「象徴空間」という名前の「慰霊施設」に移動させれば解決するという問題ではないことが強調されている。

「人間」であることは関係論的である。他者を非人間的に扱えば、その人も人間らしさを失う。「私たちアイヌを人間扱いしない、この態度」と城野口さんが北海道大学に対して言った言葉を思い起こしたいもし相手を人間として尊重し対応すれば、こちらも人間となる。つまり「再人間化」もどちらかだけではなく、お互いに関わることである。そのために対話の場が重要となる。地域の当事者を交えた双方向的な対話の場で、互いに人間として出会い直し、声を聴き合い、話し合って信頼関係を醸成する。問題解決はその果実として得られるだろう。アイヌ遺骨のrepatriationは「私たち」にとって容易ではないチャレンジである。しかしこれは「私たち」にとっても、再び人間性を取り戻すために与えられた大切な機会ではないだろうか。」(90.)

全く同じことが、戦時期に植民地・占領地から帝国日本にもたらされた様々な文化財の返還(repatriation)についても言える。確かに「容易ではないチャレンジ」である。帝国本国に生を受けた後裔である私たちが「再び人間性を取り戻すために与えられた大切な機会」を大切にしたい。

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