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フェイガン2019『若い読者のための考古学史』 [全方位書評]

ブライアン・フェイガン(広瀬 恭子訳)2019『若い読者のための考古学史』すばる舎
(BRIAN FAGAN 2018 A LITTLE HISTORY OF ARCHAEOLOGY. Yale University Press Little Histories.)

オーブリー、ヴィンケルマン、ベルツォーニ、シャンポリオン、ウィルキンソン、ボッタ、レイヤード、ローリンソン、ラッサム、スミス、スティーヴンズ、キャザウッド、フレア、スミス、ライエル、マケナリー、ペルト、ダーウィン、ハクスリー、デュボワ、スペンサー、タイラー、トムセン、ヴォルソー、スティーンストロプ、ラルテ、クリスティ、モルティエ、ケラー、ラムザウアー、モンテリウス、スクワイヤ、トマス、バンデリア、クッシング、ヒューイット、サウトゥオラ、カルタイヤック、ブルイエ、ブレーク、シュリーマン、レプシウス、コンツェ、クルツィウス、リヴァース、ピートリー、エヴァンズ、ベル、ホーズ、コルデヴァイ、アンドレ、ホガース、ウーリー、カーター、ハーバート、マッキーヴァ―、トンプソン、スタイン、チャイルド、ウーレ、キダー、ダグラス、ウィーラー、スチュワード、ウィリー、ジェニングズ、グリフィン、リビー、クラーク、ダート、リーキー、リーキー、ブレイドウッド、ケニヨン、バス、ヒューム、ケルソー、アルバ、チャベス、メラート、ホッダー、ステュークリー、ポティエ、フレッチャー、エヴァンズ、シーツ
*目次で「その章でとりあげるおもな登場人物」と記された人名リスト

半分も知らない。「若い読者」だけでなく「年取った読者」のためにも必読である。当然のことながら日本人はいない。

筆者は、日本でも多数の日本語訳(『アメリカの起源』(1990)、『古代世界70の不思議』(2003)、『古代文明と気候変動』(2008)、『千年前の人類を襲った大温暖化』(2008)、『歴史を変えた気候変動』(2009)、『水と人類の1万年史』(2012)、『海を渡った人類の遥かな歴史』(2013)、『人類と家畜の世界史』(2016)など)でお馴染みである。
各章きっちり9ページで全40章、各章冒頭の版画風挿絵と共に読みやすい一般書である。本書も『考古学のあゆみ -古典期から未来に向けて-』小泉 龍人訳2010朝倉書店の焼き直しといった感は否めないが…

以下はジンバブエ共和国世界遺産「グレート・ジンバブエ」を巡る文章(第22章)。
「そのスワンがグレート・ジンバブエ初の地図を作成した。そのあいだにベントは金製品を見つけ、大ざっぱに穴を掘り、1892年には『マショナランドの都市遺跡』を出版して、この遺跡は非常に古いもので地中海の民もしくはアラブ人の手によって築かれたと明記した。アフリカ由来ではないゆたかな文明がグレート・ジンバブエをつくったと主張する本がでたことを、現地の入植者たちがどんなに喜んだことか! 学者も、白人入植者も、この遺跡を築いたのは外国人だという説を曲げなかった。現地で暮らすアフリカ人農民の祖先がこの偉大な建築物群を建てたと信じる者はひとりもいなかった。アフリカ人は原始的すぎるし専門知識ももっていないと考えられていたのだ。(中略)地中海からやってきた外国人がグレート・ジンバブエを築いたのだとすれば、その子孫 -現地の人々を押しのけて自分たち用の農場を開拓していた新参の植民者たち- は、アフリカ人に乗っ取られた偉大な王国の土地を取り戻しているだけだという言い訳が立つではないか。」(206-7.)

どこかで見たようなストーリーである。そう、戦時期に日本人植民者たちが、朝鮮半島に幻の「任那日本府」を探し求めて、昌寧などの古墳群を掘りまくったのと同じ構図である。
同じような植民地考古学は、エジプトでもイラクでもなされていた。
「レイヤードという人は解しがたい。どこからどう見ても、華やかな遺物を探し求める気の短い無情な発掘者だ。ヨーロッパ人のアシスタントはひとりかふたりしかつけず、何百人もの現地の作業員を雇って、埋もれた都市を次から次へ、まるごと掘り出した。極言すれば、彼の頭にあったのは自分の名声と、大英博物館のためにアッシリアの見事な遺物を見つけることだけだった。」(44.)

一方、アメリカでは。

「1927年8月、ペコスの発掘キャンプで非公式の会議が開催された。40人の考古学者たちが一堂に会して調査の進行状況を吟味し、南西部で調査をはじめる考古学者が増えるにつれて切望されつつあった文化期の枠組みをつくった。パスケット・メーカー文化期に3期、プエブロ文化期に5期という基本的な枠組みがこの会議で確立されたのだ。19世紀ヨーロッパでの三時代法のように、ペコスでの期分けによってそれまでの発掘作業に見られた混乱は収まった。ペコス会議はいまなお南西部で毎年行われており、何百人もの参加者を集めている。」(227.)

アメリカ南西部で編年体系を確立したアルフレッド・キダー(1885-1963)が、17才年下の山内 清男(1902-1970)と同じような位置を占めていたことがよく分かる。アメリカで「ペコス会議」が開かれていた頃、こちらでは山内が一人で『日本遠古之文化』(1932-33)、「細別と大別」(1937)を次々と産み出していた。

「1950年に引退すると、マサチューセッツ州ケンブリッジにあったキダーの自宅は、考古学者や学生たちのたまり場と化した。キダーが死去した1963年には、アメリカ考古学は彼が固めた土台の上にしっかりと立ち、よりくわしい調査をはじめる準備がととのっていた。正確さ、注意深い観察、そして共同研究制というアメリカ考古学の基礎をつくったのはキダーだった。」(229.)

この辺も似たような状況なのだが、最後の「共同研究体制」という点が彼我の違いだろうか。
「1950年代から1960年代初頭にかけて、ダム建設ラッシュがアメリカと考古学を変えはじめていた。大規模ダムによって水力発電が行われ、農業用水が確保され、洪水が抑制され、主要河川を航行する船舶が増えた。だが同時に、何千もの考古学遺跡が破壊された。数ある開発計画のなかでも野心的だったのがミズーリ川の治水事業だった。全長1600キロもの谷間が水底に沈み、歴史的・考古学的な価値のある川辺の遺跡の9割が水没することになっていた。(中略)ミズーリ川のダム建設と調査だけでもとてつもない規模だ。当時はまだそのような調査を行えるだけの腕をもった考古学者が非常に少なく、大学12校、博物館4館、そのほか多種多様な組織がいっせいに調査に加わった。1968年の調査終了までに実地作業員たちはこつこつと500か所ほどの集水域をまわり、大小いりまじる遺跡2万か所の検証を終えた。(中略)この調査の結果まとめられた重要な報告書は2000冊に達する勢いだった。」(240-1.)

2000冊! 200冊ではなく! 
同じ頃、こちらでも大規模開発が始まりかけていた。
例えば神奈川県の目黒川流域における宅地造成に伴って1968・69年になされた月見野遺跡群の調査は12大学ではなくわずか1大学でなされて、その「重要な報告書」は半世紀が経過しても未だに刊行されていない(涙)。

アメリカ考古学は、ここから大きく変容していく。
「リヴァーベースン調査を手伝った考古学者のなかには、当地の過去にキャリアのすべてをささげた人もいた。そのうちのひとりが遺物専門家のジェームズ・A・フォードで、何千カ所もの現場から集めた出土品の壮大なコレクションをもとに、何千年もの長く詳細な図表を作成した。フォードのプレゼンテーションを聞いたときのことをいまでも覚えているが、グラフや解説用図版でさらに補完してあった。講演者としての彼は大しておもしろくなく -なにしろコンピュータ発明のはるか前のことだ- えんえんとデータを列挙するばかりで、わかりにくく退屈だった。なにを隠そう、わたしは居眠りしてしまった。
そのころの考古学は、遺物のほんのささいな差という泥沼に深くはまりこんでしまっていて、言うなれば技術の変遷の大枠というほどのものでしかなかった。ありがたいことに学者のなかには、より広い視野で仕事に取り組み、純粋なるデータの集積から古代の人々の研究へと流れを変えようとした人たちもいた。そのような先見の明があった学者のひとりがゴードン・ランドルフ・ウィリー(1913-2002)、20世紀屈指の考古学者として名を残すことになる人物だ。」(242.)

こちらでは、未だに多くが「泥沼に深くはまりこんでしまって」いるようにも思えるのだが。

当然イギリスでも。
「論文を執筆しながら忙しく過ごしていたクラークは、遺物にまつわる小事にばかりこだわるアマチュア収集家たちにいらだちをつのらせていった。グレイアム・クラークは現状批判をためらわない人だった。クラークや、当時エイヴベリーの発掘をしていた未来の大物スチュアート・ピゴットらは、教室で活発に議論を戦わせる若き反逆者たちの一員だった。彼らは、その若さにもかかわらず、どんどん発言力をつけていった。」(260.)
「グレイアム・クラーク自身は内気で引っ込みがちだったにもかかわらず、考古学者仲間にはきびしい批判をあびせた。だが、その名著の数々と、経済考古学の重要性をめぐる主張は、彼の死後も生き永らえた。クラークは経済考古学を20世紀の考古学の中心に据えただけでなく、考古学をこんにちのような世界的な学問に育てる手助けをした。クラークは、のちに現われた多くの同志たちとともに、遺物と編年への固執に反旗を翻した。」(265.)

「日本考古学」にも「若き反逆者たち」が現れて「未来を見とおす力をあたえてくれる」だろうか?

「考古学は、わたしたちがどうして似ているのか、なぜ違っているのかを説明する手助けをしてくれる。そして、わたしたち人類がこれまでどうやって順応してきたかを教えてくれる。うしろをふりかえって過去を見つめることが、この先の未来を見とおす力をあたえてくれる。」(370.)


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