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大矢2017「児玉コレクションの収集経過とその周辺」 [論文時評]

大矢 京右 2017 「児玉コレクションの収集経過とその周辺」『市立函館博物館 研究紀要』第27号:1-40.

「本稿は、函館博物館所蔵児玉コレクションの学術的な位置づけを明確にするとともに、今後の利活用に資するため、収集の背景となる児玉作左衛門のライフヒストリーおよび児玉コレクションの成り立ちやその構成内容、そして函館博物館への寄託・寄贈経緯や管理状況等について、函館博物館で保管されている公文書類などの簿書や児玉家所蔵資料の調査、さらに文献の調査およびフィールドワーク、そして関係者への聞き取り調査などをとおして判明した事実について紹介するものである。」(1.)

今まで個別の目録などでその一部を知ることができたが、その収集経緯・構成内容・現状などの総体が初めてまとめられた。コレクションの今後の取り扱いすなわち「返すべきものを返す」作業に先だって、欠かせない重要な成果である。

「児玉が北大教授として収集した資料については、児玉の私物ではない以上「児玉コレクション」と表現するのはやや適切さに欠けることから、総体を「児玉関連資料」とした上で「児玉教授収集資料」と表現した方が適切であろう。そしてこれに対して児玉が個人的に私費で収集した資料については、これまでの用語の混同などを勘案して、「児玉個人収集資料」とするのが誤解のない表現となると考えられるため、本稿では以下この定義に則って進めていくこととしたい。
児玉関連資料については、現時点で函館博物館・アイヌ民族博物館・北大で所蔵されていることがわかっている。そのうち児玉個人収集資料については、考古資料7,157件、民族資料5,105件の合計12,262件が、また児玉教授収集資料については1,014体分の人骨が刊行物に掲載されている。」(12-13.)

今まで公開されてきた『児玉コレクション目録』(市立函館博物館1983・1987)、『児玉資料目録』(アイヌ民族博物館1989・1991)は、いずれも児玉が個人的に収集した「児玉個人収集資料」と名付けられた私物コレクションであることが明らかにされた。

「児玉が1929(昭和4)年から1959(昭和34)年まで在籍した北大には、言うまでもなく多くの児玉関連資料が収蔵されている。北大医学部で保管されている人骨やそれに付随する副葬品などがそれに当たる。
北大所蔵資料のうち人骨と副葬品は特に1980年代以降強く批判され、資料管理状況の整備や収集の経緯についての調査が行われるようになる。特に近年、先住民族への遺骨および副葬品の返還は世界的に最も解決すべき問題の一つとされ、北大では2013(平成25)年にそれまでの調査結果を『北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書』として刊行し、1.014体の人骨とその収集・保管経緯に関する情報を公開した。現在も遺骨・副葬品の調査を行なっている。」(14.)

「日本考古学」の焦点となるのは、現在に至って未だに内容が明らかになっていない北大(おそらく医学部)所蔵の「児玉教授収集資料」のアイヌ遺骨以外の資料、すなわち副葬品の実態であることも明らかとなった。現在準備中とされている「報告書」の刊行を待ちたい。

「…ご指摘のありました人体骨発掘に関する一連の事項について、当時の関係者から事情を聴取し、また、記録関係を詳細に調査いたしましたが、特段に非遺な点は認められませんでした。(中略)
なお、いわゆる児玉コレクションと称せられるものについては、本学部の管理下にある物品ではないことを申し添えます。」(1982年2月3日付け北海道大学医学部長から海馬沢博氏宛の書簡)

こうした認識についても、改めて見解を問わなければならないだろう。

最後に個人的に少し驚いたのは、児玉作左衛門氏の両親が熱心なプロテスタントのキリスト者であったことである。

「私の父は眼科医であったが、熱心なクリスチャンで相生町の日本基督教会の長老をつとめていた。毎日の生活は厳格そのもので、朝起きて洗面をすますと机の前に端座して聖書を読み祈祷を捧げるのであるが、そのあといつもドイツ語の聖書を大声で読んでいた。それが終ると母と子供ら六人が父の部屋に行って朝の家庭礼拝をするのである。まず讃美歌をうたって、聖書を読んで、一人づつ順番にお祈りして、頌詠をうたい、主の祈りを捧げて終る。それから朝食をして学校へ出掛ける。夕食前には夜の礼拝をするのであるが、時にはこれにお説教が加わるのでずいぶん長くなることもあった。これが毎日欠かさず行われたのであるから、今思うと父の意志の強かったのにはただただ驚くばかりである。聖書は旧約聖書と新約聖書を始めから終りまで何度読んだかわからない。」(2-3.児玉家所蔵資料「少年の頃の思い出」)

典型的なクリスチャン・ホームの光景だが、こうした幼少期の経験が後の人生や世界観にどのように反映したのか、考えさせられるエピソードである。

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