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櫻井2018「近・現代」 [論文時評]

櫻井 準也 2018 「近・現代」『日本考古学・最前線』日本考古学協会編、雄山閣:122-134.

抜き刷りを頂いた。有難いことである。

まずは事実認識の違いから。

「そして、1998年の文化庁次長通知『埋蔵文化財の保護と発掘調査の円滑化等について』において、埋蔵文化財として扱うべき遺跡の範囲として、中世までの遺跡については「原則として対象とする」とされ、近世の遺跡については「地域において重要なもの」、近・現代の遺跡については「地域において特に重要なもの」を対象とすることができるとされた。」(123.)

「1)埋蔵文化財として扱う範囲に関する原則
 ① おおむね中世までに属する遺跡は、原則として対象とすること。
 ② 近世に属する遺跡については、地域において必要なものを対象とすることができること。
 ③ 近現代の遺跡については、地域において特に重要なものを対象とすることができること。
『埋蔵文化財の保護と発掘調査の円滑化等について(通知)』庁保記第75号
①「中世以前」を骨格として、②「近世」では「必要なもの」という「必要基準」が導入され、なおかつ「…ができる」という「許認可」が与えられている。さらに③「近現代」では「特に」という副詞が付され、「必要」が「重要」に置き換えられている。「必要」と「重要」の違いについて当該文章の作成者がどこまで勘案したかは不明であるが、大まかには「必要」とは「欠くことのできない、なくてはならない」という意で(例えば「必要条件」)、「重要」とは「大事なこと、大切なこと」という意で(例えば「重要文化財」)、「重要」は「必要」より1ランク下位の意味で用いられていることは容易に推測される。」(五十嵐2008「「日本考古学」の意味機構」『考古学という可能性 -足場としての近現代-』:13-32.)

20年前に示された「必要」と「重要」の違いに拘ったのは、10年前のことである。

「…近現代考古学は、埋没資料・非埋没資料に関わらず近・現代においてその土地に残された過去の人々の様々な痕跡を考古学的な方法を用いて調査研究する学問領域であり、その調査研究対象である近現代遺跡は一般的に居住地遺跡、生産遺跡、交通遺跡、軍事遺跡、埋葬遺跡、宗教遺跡といった呼称がなされているが、未だ体系的な近現代遺跡の分類は存在しない。」(129.)

「<遺跡>の実体視は、先史中心主義という<考古イデオロギー>に根ざしている。<遺跡>は可変的な社会的構築物(記号)である。現在流通している<遺跡>概念は、考古学研究者が自分たちにとって都合の良い先史的イメージに基づいて作り上げたものである。埋蔵文化財制度の実践過程において、離散的な<遺跡>イメージが「実体化」していく。しかし連続的で重層的な「新しい時代」の<遺跡>は、そうした研究者の身勝手な思い込みを裏切る矛盾に満ちた存在である。特に近現代<遺跡>は、そうした自らの欲望に気付く重要な契機となる。近現代考古学は、<遺跡>の実体性を自明視する日本考古学の基盤主義と本質主義に対して根底から疑問を投げかける。」(五十嵐2007「<遺跡>問題 -近現代考古学が浮かび上がらせるもの-」『近世・近現代考古学入門 -「新しい時代の考古学」の方法と実践-』:243-259.)

「近現代遺跡」は研究者の身勝手な思い込みに気付く重要なきっかけとなると指摘したのも、今から10年以上前のことである。

はたして「日本考古学」の「最前線」は、この10年の間、いったいどのような動向を、例えば「体系的な近現代遺跡の分類」は存在するのか、それともしないのか、そもそも<遺跡>とはどのような存在なのかといった「最前線」の問題について、どのような議論をしてきたのだろうか?

最前線(さいぜんせん)とは、戦争において敵と接触する陣地を前線と呼ぶが、敵に最も近い戦場一帯を指し示す言葉である。転じて、進行している事象の最先端を指し、経済用語、ビジネス用語などでも使われる。」(ウィキより)

「近現代考古学は発掘調査をはじめとする考古学的方法を駆使して近・現代社会の実態を主に物質文化の観点から調査研究を実施する研究領域である。」(131.)

全体を通じてナカグロなしの「近現代」とナカグロありの「近・現代」が使い分けられているようだが、その使い分けの基準が明記されておらず、なぜ使い分けるのかその理由も判然としない。
一般の読者は、「なし」と「あり」の差異に、戸惑うばかりである。

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