SSブログ

金子 文子(1903-1926) [雑]

「「君らと妥協する」「改心して社会に順応して生きる」今となって君らと妥協ができるならば、私はね、社会にいた時、すでに妥協していたはずです。君らのお説教は聞かなくともそのくらいの知恵はありました。このくらいのことは覚悟の上です。なにとぞご遠慮なくご自由に。私もね、実は今一度出たいのです。でそうするためには「改心しました」と頭を下げて一札入れさえすればうまく行くことは知っています。
だがね、将来の自分を生かすために現在の自分を殺すことは、私は断じてできないのです。
お役人方君らの前に改めて勇敢に宣言しましょう。
「私はね、権力の前に膝折って生きるよりは、むしろ死してあくまでも自分の裡に終始します。それがお気に召さなかったら、どこなりと持って行って下さい。私は決して恐ろしくないのです。
これが、昔も今も変わらぬ私の心持ちであります。」「第三回被告人訊問調書(1924年1月22日)東京地方裁判所」(鈴木裕子編2006『[増補新版]金子文子 わたしはわたし自身を生きる』梨の木舎:304.)

1923年の朝鮮人・中国人大量虐殺事件の要因を一緒に起訴された朝鮮人被告に負わせるために、日本人被告を何とか改心させようとする訊問に対する応答である。
この時、被告はわずか21才。こうしたことが何度も繰り返される。

「一三問 被告は改心してはどうか。
答 私は改悛せねばならぬようなことは断じてしておりませぬ。なるほど私の思想や行動、計画は他人の迷惑となるから悪だと言えましょうが、しかしこれと同時にそれは私自身を利するものであります。
自分の利のために計ることは決して悪ではなく、かえってそれは人間の本性であり、生きることの条件であります。もし自分のために計る事が悪であるとするならば、その責任は人間自体にある「生きること」にあります。私にとっては自分を利することはすなわち善であると同時に自分を不利にすることはすなわち悪であります。
しかし私は善なりと信ずるがゆえに計画を行って来たのではありませぬ。したいからして来たに過ぎないのであります。他人が悪なりとしてどのように批難しようとも、自分の道をまげ得ないと同様に、お役人が善なりとしてどのように私を煽てて下さいましても、自分がなしたくなければ致しません。
私は今後もしたいことをして行きます。そのしたいことが何であるかを今から予定することはできませぬが、とにかく私の生命が地上にあらん限りは、「今」という時における最も「したいこと」から「したいこと」を追うて行動するだけは確かであります。」「第十二回訊問調書(1924年5月14日 市谷刑務所)」(同:324.)

強烈である。この確固とした信念!

「一一問 被告はなぜ皇太子殿下にそのような危害を加えようとしたのか。
答 私はかねて人間の平等ということを深く考えております。人間は人間として平等であらねばなりませぬ。そこには馬鹿もなければ、利口もない。強者もなければ、弱者もない。地上における自然的存在たる人間としての価値からいえば、すべての人間は完全に平等であり、したがってすべての人間は人間であるという、ただ一つの資格によって人間としての生活の権利を完全にかつ平等に享受すべきはずのものであると信じております。
具体的にいえば、人間によってかつて為された、為されつつある、また為されるであろうところの行動のすべては、完全に人間という基礎の上に立っての行為である。したがって自然的存在たる基礎の上に立つこれらの、地上における人間によって為されたる行動のことごとくは、人間であるというただ一つの資格によって、一様に平等に人間的行動として承認さるべきはずのものであると思います。しかしこの自然的な行為、この自然的の存在自体が、いかに人為的な法律の名の下に拒否され、左右されつつあるか。本来平等であるべき人間が現実社会にあってはいかにその位置が不平等であるか。私はこの不平等を呪うのであります。」(同:320-321.)

単に特定の人物の殺傷を計画したというだけで、死刑判決が下され、その理不尽さをも理解しているであろう宣告者たちが、被告に対して何とか減刑を嘆願するように苦心するさなか、その年配の法律の専門家たちに対して、まともに学業を受けることすらできなかった若輩の被告が人生訓を教え諭す羽目になる。

「私の上に科せられる刑罰は、私が強権に背を向けたその時から、私の上には最重刑が用意されていたのです。
私のやったことかやろうとしたことが、貴方方の勝手に作り上げた法律とかいうものの第何条に該(あた)ろうとそんなことは私の知ったことではないじゃありませんか。
私はただやりたいことを正直にやろうとしただけですから、貴方方もやりたいことを勝手にやったら宵いでしょう。貴方方は私に最重刑を科する口実を求めているに過ぎないのですから。私にはこの肉体が死ぬるか、生きるかは少しも問題ではありませぬ。私のこの体は、強権に復讐するためにのみ生きる意義を認め得るのです。」「第十五回訊問調書(1925年5月4日 市谷刑務所)」(同:326.)

そして人間としての生の根源が語られる。

「生きること、それ自身には何の価値もない。生きることを喜び得る人によって、はじめて価値が生ずる。人間に関するすべては個人的である。がなかにも、生死の問題はより多く個人的色彩を帯びている。
乞食をしてでも生きたい(と)いう人間にとっては、生きることは最上の価値でもあろう。だが、乞食をせずとも死にたい人間にとっては、それは三文の価値もない。
生きたい人間が単に「生きること」を目標として、生きたくない人間を、「生きること」にまで引きずることは、滑稽であり、笑止であり、ありがた迷惑である。それには、自己の浅薄さを、現実への盲目さを広告するものである。
人間は、人生のプロセスそのものが、彼にとって愉快であるか、または彼の生活が何ものかによって意味づけられ、充実されているときにおいてのみ生きることができる。
ある一人の人間がある。苦痛に歪められた現実を捨てて、むしろ喜びをもって闇に去ろうとしているとき、彼を引き戻して、その苦痛を耐え忍ばしめる、いかなる権利をわれわれは持っているだろうか。そしてまた、引き戻されたがゆえに、苦しみつつ、悶えつつ、歩んで行くべく余儀なくされた彼に対して、われわれは、いかなる義務を負うことが出来るだろうか。
最後に、アルツイバアシュフは言った。
「人生の事実そのものの中に、喜びを見出しているもののみが、生きるべきである。そこに何ものをも見ない者は、むしろ死ぬべきである」と。
最後に私は言おう。
「生きたい者は生きろ。しこうして死にたい者をして、死なしめよ。そこに真の人生がある」と。
判事さん。あなたは不徹底で困る。一年半もつき合いながら、どうしてそんなに私が分からないのかしら?
うんざりしてしまう。このなかの私の言葉や気持ちを、よーく考えてみた上でいらっしゃい。」「1925年5月21日付 立松判事宛書状」(同:330-1.)

ついには、確定死刑囚が逆に担当判事を説教することになる。

「四問 日本古来の地に生れたる被告に対しては、特に反省してもらいたいが、どうか。
答 日本古来の地に生まれたるがゆえに、私のこれまで考えていたこと、しようとしていたことが、より必要であり、より正しいものであることを信じます。」「第廿三回訊問調書(1925年6月6日 東京地方裁判所)」(同:333.)

歴史には、真実を照らし出す一瞬というのがある。

「なるほど、私らの上には悦びがあり、幸福があり、光がある。しかし、それらは皆、かなしみを伴うた悦びであり、不幸を伴うた幸福であり、闇を伴うた光りである。いや、もっと突きつめていえば、それらはかなしみや闇や不幸があってこそ、その存在は保証されているのである。すなわち人生に普遍の形をもって存在するものはただ不幸ばかりである、と。」「金子文子提出書面」(1925年11月)」(同:348.)
「すなわち「生を否定する」ということは、哲学的には成り立たない。何となれば、生のみがいっさい現象の根本である。生を肯定してのみ、すべては意義を持ち得るから。さよう、生を否定したとき、それはすべてが無意義である。否定から否定は、生まれない。より強い肯定にのみ、より強い否定が生れる。すなわち、より強く生を肯定してこそ、そこにより強い生の否定と反逆とは生れるのである。
だから私はいう。私は、生を肯定する。より強く肯定する。そして私は生を肯定するがゆえに、生を脅かそうとするいっさいの力に対して、奮然と反逆する。そして、それゆえに私の行為は正しい、と。
こういったらお役人さま方は、じゃなぜ自分の生を破壊しようとするような真似をしたのだ、というだろう。
私は答える。生きるとは、ただ動くということじゃない。自分の意志で動く、ということである。すなわち、行動は(5文字不明)全部ではない。そして単に生きるということではない行為があって、はじめて生きているといえる。したがって自分の意志で動いたとき、それがよし肉体を破滅に導こうとも、それは生の否定ではない。肯定である、と。」(同:349-350.)

「生きるとは、自分の意志で動くこと」すなわち「わたしは、わたし自身を生きる」
およそ100年の時を隔てて、彼女が伝えたかったこと、そのメッセージはしっかりと伝わってくる。
国営放送で毎週放送されているという被り物の女の子が述べるメッセージなどより、はるかにしっかりと。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。