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阿子島・溝口2018『ムカシのミライ』 [全方位書評]

阿子島 香・溝口 孝司(監修)2018『ムカシのミライ -プロセス考古学とポストプロセス考古学の対話-』勁草書房

およそ2年前(2016年6月5日)に東京で行われた対談記録(第2章:ムカシのミライ:プロセス考古学×ポストプロセス考古学:21-124.))を中心に編まれた論集である。
仕掛け人は「歴史科学諸分野の連携による文化進化学の構築」研究プロジェクトに関わる人びとのようである。

対談の半ば辺りで、仕掛け人からの「注意点」が対談者によって「披露」されている。
阿子島:今日の対談の打ち合わせはしていないのですが、注意点があってですね、ちょっとだけ披露したいと思います。(中略)「日本考古学は」という表現は、あえて避けるということでした。あとは、わが国の悪口ばかり言わないとかですね。もう一つ、横文字はできるだけ日本語に直して話すこと。翻訳できない場合は、その言葉を説明するという、配慮がありました。この場でちょっと披露してしまいましたが。」(97.)

いきなり楽屋話が明かされて、仕掛け人というか主催者サイドもかなり焦ったのではないか?
第2点はともかく、第3点については対談を通じて、とても遵守されたとは思えない。
例えば、以下のように。
溝口:ツールとして今まで集積されてきた知識を、どのように組み合わせて、固有な背景・コンテクストを持つ個々の自治体市民のためにカスタムメードしてオファーしてゆくのか。」(99-100.)
もちろん、これでも大分、という評価は有り得る。

より問題なのは、第1点の「日本考古学」の忌避である。
なぜなら、このコンテクスト(脈絡)で、このシチュエーション(状況)で、このメンツ(面子)で対談して、「日本考古学」という表現を避けて、まともな議論ができるはずがないからである。
実際、仕掛け人と思われる方の巻頭論文(第1章:中尾 央「考古学理論との対峙 -プロセス考古学とポストプロセス考古学をなぜ議論するのか-」)ですら、第2節「プロセス考古学と日本考古学」、第3節「ポストプロセス考古学と日本考古学」である。
対談でも、当然のことながら「日本考古学」について述られている。というより、述べざるを得ない。

溝口:これは強く申し上げたいんですけれども、理論的でない学問体系はありえないわけです。しかし、日本考古学においてはー、「日本考古学においては」とここであえて言いますけれど、言語化する、体系化する、理論化するということを忌避する、いや、忌避するというよりは、反言語化志向、反体系化志向を美化するような傾向性・志向性があるのではないか。それこそ反射的理論化嫌悪とでも言えてしまうような、身体技法的なところまで深く根を張る志向性があるのではないか。しかし、それはリアリティの否定というかたちでの知的な態度であって、参照枠組みがない。それを持たないことによって、危機という切実な体験すらも共有できない。当然、失敗体験、成功体験も、どちらも蓄積できない。であるがゆえに反省することも共有できない。だから当然、「どこにも向かっていない」し、どこかに向かっているという感覚すら持てない。そういうことが、日本考古学の言説編成の規定的指向性とその問題点としてあるんじゃないかと思います。そしてこれは、世界的にみても非常に特異な現象だろうと思います。それは克服されなければならない。」(83.)

これは示されたレギュレーション(規則)に対する明確な侵犯である。しかし、それは当然であろう。そもそも前述の「3つの注意点」が不自然なのであり、なぜそのような制限事項が対談者に課せられなければならなかったのかという点こそが明らかにされるべきであろう。

ここで溝口氏によって述べられた論点は、第4章(三中 信宏「歴史科学としての現代考古学の成立 -研究者ネットワークと周辺分野との関係について-」)で更に詳述される。

「…日本の考古学界に見られる全般的風潮としての「理論軽視」と「個物重視」がもたらした学問文化的な影響である。一方の阿子島はアメリカ考古学の理論変遷に関して「日本は、その影響が最も少なかった国の一つであるということは、たしかに言えると思う」と述べ、他方の溝口は「日本考古学という言説空間に、言明・言説編成のための<参照枠>が現在存在していない」と指摘する。理論・方法論・哲学に対する関心の欠如ないしは忌避と個々の事物に対するこだわりと偏愛的執着は、実は日本の考古学だけにかぎられず、日本(を含む東アジア文化圏)の科学全般に内在するもっと根の深い問題であると考えられる。」(三中:152.)

今、プロセス考古学とポストプロセス考古学の対比を論じることも重要であろうが、さらに重要なのは、こうした「日本考古学」とプロセス考古学やポストプロセス考古学を含む「世界考古学」あるいは「日本考古学」の主流をなす文化史編成研究(編年研究)と理論考古学との対比を論じることではないだろうか。すなわちブレーキをかけるのではなく、むしろ「日本考古学」の特性について積極的に論じるべきである。
どうも本イベントは、初発の問題構成に若干の、いやかなり本質的な問題が含まれていたようである。

「1980年代まで、日本考古学の大きな枠組みは、集成という言葉が大切にされたことに象徴されるように、資料を集積し、(演繹的な論理ではなく)その事実の集成から機能的に新しい歴史がでてくる、というものであった。日本考古学の大きな枠組みとしては今も変わらないだろう。それに、1990年代、2000年代、2010年代と、この30年で新たに集積された事前調査による事実を、従来の枠組みに代入し、新たな歴史像、新しい通史をつくっていく。この試みを、いまこそ行うべきではないかと私はかんがえている。」(第6章:阿子島「プロセス考古学の現在から日本考古学の未来へ」:193.)

「対談でも強調されたように、日本考古学は、基本的に「反理論化志向」を内面化された規範とし、その記述・説明の主導的ロジックとしては広義の伝搬論を無批判・無意識に採用し続けてきた。皮肉にも、現象のレベルにおいて、グローバル化の波に洗われる今日の世界において、閉じた言説空間としての日本考古学の伝統的志向性が、その閉じを維持したままに、欧米考古学的言説空間のトレンドとの一致を体験しつつあるのだ。大げさに感じられるかもしれないが、日本考古学の危機と世界考古学の危機を、私たちは同時に体験しつつあるとも言える。」(第7章:溝口「ポストプロセス考古学的フェイズにおける社会考古学 -リコメント、あるいは同時代的状況の中で適切に体系的に「温故知新」を行うために-」:201.)

通読して感じるのは、阿子島氏が一貫して示す楽観的な見通しと溝口氏の厳しい現状認識との温度差である。

第3話者として登場した中尾氏の「今後日本考古学が、どういうかたちで発展していけばよいのか」(90.)というストレートな問いかけに対して、阿子島氏の「…プロセスだとかポストプロセスだとかぐちゃぐちゃ言わないで、今までしっかりとまとめてきたそれを、もう少し、通史として各時代のそれぞれの、自分の専門とする時代ということから始めるのが良いのではないでしょうか」(96.)という応答は、今までの議論を根底から覆すような驚くべきものである。さぞかし対談相手の溝口氏は、そしてイベントの仕掛け人は、そして会場の聴衆はタマゲタであろう。

その他、古い唯物論(史的唯物論:35.あるいは文化唯物論:39.)については述べられるが、新しい唯物論(例えば千葉 雅也2015「思弁的実在論と新しい唯物論」『現代思想』第43巻 第1号など)について言及なしというのは、何故だろうか。単に時間がなかったからということでは、なさそうである。

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