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文化財でつなぐ日韓の未来 [研究集会]

日韓共同宣言20周年 文化財でつなぐ日韓の未来
日時:2018年10月21日(日)10:00~18:00
場所:東京大学 駒場キャンパス 18号館ホール
主催:東京大学 韓国学研究センター、韓国・国外所在文化財財団

基調講演
 韓・日間における歴史認識問題と文化財問題(李 泰鎮:前ソウル大学校)
 日韓文化財の諸問題(早乙女 雅博:前東京大学)
第1セッション「日韓文化財問題と専門家の役割」
 日本所在朝鮮文化財と専門家セミナーの役割(長澤 裕子:東京大学)
 日韓文化財返還問題の現況と展望(柳 美那:国民大学校)
 日韓文化財問題の解決と国外所在文化財財団の役割(金 相燁:国外所在文化財財団)
 討論(吉澤 文寿:新潟国際情報大学)
特別講演
 日韓国交正常化50周年記念特別展「ほほえみの御仏 -二つの半跏思惟像-」の経験から
 (李 栄薫:前国立中央博物館、大橋 一章:前早稲田大学)
第2セッション「日韓文化財展示及び学術交流」
 日韓文化財展示交流現況と課題(崔 善柱:国立中央博物館)
 韓国文化財の日本展示と日韓協力(杉山 享司:日本民藝館)
 文化財関連日韓学術交流の現況(六反田 豊:東京大学)
 討論(片山 まび:東京芸術大学)
第3セッション「日韓文化財問題に関する動向」
 不法搬出文化財の返還に関する韓国と日本の法的現況(宋 鎬煐:漢陽大学校)
 日韓文化財問題と市民社会を考える(有光 健:韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議)
 日韓文化財問題におけるメディアの動向及び今後の課題(出石 直:日本放送協会)
 討論(吉 倫享:ハンギョレ新聞)
総合討論
 李 成市(早稲田大学)、外村 大(東京大学)、大澤 文護(千葉科学大学)、吉澤 文寿(新潟国際大学)、片山 まび(東京芸術大学)、康 成銀(朝鮮大学校)、吉 倫享(ハンギョレ新聞)

全体にやや詰め込み過ぎの感なきにしもあらず、それぞれの発表テーマは与えられた15分や20分の持ち時間で述べることはどだい無理だし、常に時間を気にしてじっくり議論するという雰囲気ではなかった気がする。
それでも、今この時期に、このメンバーで、このようなテーマについて議論が交わされるというのは、大変意義深いことである。

「1964年の衆院文教委員会では宮地茂(文化財保護委員会事務局長)が「正式の手続きにより購入したかあるいは寄贈を受けたか、要するに正当な手続きを経て入手したもので、返還する国際法の義務はない」と語った答弁が、日本側の日本に所在する韓国由来の文化財に対する考えであり、現在もこの考えが基本的に引き継がれている。(中略)
日本側は「購入や寄贈など正当な方法で入手した」ので、返還の義務はないと主張した。しかし、韓国側は「不自然な方法、奪取のごとき、韓国民の意思に反して搬出された」(第1次会談)ものの返還を求めるとともに、「正当な取引であるとしても、その取引自体が植民地内でなされた威圧的な取引であった」(第5次会談)と主張し、日本側が主張する正当な購入や寄贈であっても植民地という不平等な政治的、社会的背景のもとでなされた取引は、不当不正であるという。東京国立博物館が所蔵する梁山夫婦塚出土品は1920年に朝鮮総督府により発掘され、1938年に朝鮮総督府から帝室博物館に寄贈された。不当不正をどのように判断するかで、日韓の間に大きな見解の相違がある。」(早乙女 雅博2018「日韓文化財の諸問題」当日配布資料:1-2.)

本当にこのような「考え」が現在にも「基本的に引き継がれている」のだろうか?
そして「引き継がれている」ことを、発表者は「良し」としているのか、それとも「改めるべき」と考えているのか、その辺りが読み取れなかった。

「1937年7月7日からのちに、つまり日華事変のはじまつたときからのちに、日本軍によつて占領された地域において、掠奪された財産であつて、現在日本の國内にあるすべてのものについて、日本政府は明細な目録を提出し、ただちにその財産を没収しなくてはならぬ。右の掠奪は、強制、没収、剥奪、掠奪などの不法行為によつて取得されたもので、日本の法規にしたがつて行はれたと、法律の形式をふんだような手続によつて行はれたと、その他の方法によつて行はれたとを問はない。つまり、日本の法規のうへで合法的であるといなとを問はないのである。」(横田 喜三郎1947「法令解説 掠奪された財産の没収と報告に関する覚書」『日本管理法令研究』第1巻 第10号:60-61. 東京帝國大學法學部内日本管理法令研究會編輯)

GHQが1946年4月19日に発した「略奪財産の没収および報告」(SCAPIN-885)と題する指令に対する法律の専門家による解説である。1947年の時点では「不当不正をどのように判断するかで、日韓の間に大きな見解の相違」はなかった訳である。

「私は、韓日間の文化財問題について、文化財を搬出した当時の日本側の関係者の意識に関する考察が先行されなければならないと思っています。最近歴史教科書問題に接しながら、その重要性を再び感じました。これについての日本側の省察が先行すれば、文化財問題は解決の糸が得られると思っています。」(李 泰鎮:28.)

「日本側の関係者の意識に関する考察」は「文化財を搬出した当時」に限らず、1945年以降現在に引き続く間についても必要である。

「1947年以降、連合国の対日賠償政策が「逆コース」政策に沿って緩和の方向に旋回すると、日本経済の自立化を促進するため、対日賠償を緩和する必要性が強く主張された。米国務省は文化財返還の義務条項を対日講和条約に挿入せず、問題は日韓国交正常化交渉の議題に持ち越された。連合国と日本は、交戦国と植民地を区別して考え、朝鮮とは交戦関係になかったと考え、日韓は領土分離の関係にあり、賠償の義務はないとした。」(長澤 裕子:50.)

ここにもアメリカ合州国の価値判断・政策が大きく影を落としている。

「このように日韓両国の鋭い対立が表面化した文化財交渉であれば、日韓会談でより徹底した究明が行われ、あるいは互いに納得できるだけの議論が可能であったりしなければならなかったが、米ソ対立の影や日韓間の政治的妥結などにより、双方とも十分な対話をしないまま結着してしまった。さらに、この交渉では北朝鮮との文化財返還問題が除外されており、片手落ちの交渉だという批判が常について回っている。そのためこれから北朝鮮と進めていくであろう文化財返還交渉にいっそうの関心が集まっているのである。」(柳 美那:66.)

総合討論の場における康 成銀氏の発言によって、文化財に関する三者協議(日本国・大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国)の重要性と必要性、そして発表者を含む私たちがそのことをどれだけ意識していたかについて考えざるを得なかった。

「近代において朝鮮半島から日本に持ち込まれた貴重な文化財は、たまたま縁あって日本に来たものではなく、それらの内のかなりの点数が、朝鮮半島植民地化の過程の中で戦略的に集められ、持ち帰ったものであった。総督府が介在して朝鮮側を刺激しないよう目立たない形で配慮しながら持ち出し、日本に持ち込まれたケースもある。善意で贈られたものも、業者を介して購入されたものももちろん多いが、政治家、実業家らが趣味と実益のために集めたものであっても、彼らが朝鮮半島に進出し、権勢をふるい、財を成して買い集めることができた当時の経済・社会環境が文化財の日本移入の背景にあった。20世紀前半、日本から朝鮮半島、さらに中国東北部(「満州」)へと流れた人と資金と軍事力の動きとほぼ同時に、逆方向で、朝鮮半島の文化財の日本移入の流れが起きていた。そうした歴史認識が、日韓文化財問題を考える際に不可欠と思う。
どこに何がある、いつ返還されるという個別の検証、現状回復作業と同時に、大きくこれらの文化財が今日日本に存在している意味を問い直す作業と素直な議論が必要だろう。」(有光 健:262-3.)

つまるところ、歴史認識・現実認識の問題である。

「ひとの歴史認識・現実認識は、そのひとの生きかたとかかわっている。自分がどのような時代に生きているのかという問いは、自分がどう生きるかという問いと重なりあっている。」(キム1994『水平運動史研究』:729.)




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