SSブログ

先住民族文化とミュージアム(博物館等) [研究集会]

国際ワークショップ(シシリムカ文化大学特別講座)「先住民族文化とミュージアム(博物館等)」

日時:2018年1月28日(日) 午後1時~5時
場所:北海道平取町二風谷 沙流川歴史館 レクチャーホール
主共催:平取町、平取町教育委員会、平取町アイヌ文化振興推進協議会、平取アイヌ協会、北海道大学アイヌ・先住民研究センター、シシリムカ文化大学

報告1:先住民族文化の再構築と博物館 -オーストラリア国立博物館の事例から-(マイケル・ピカリング; オーストラリア国立博物館)
報告2:オーストラリアにおける遺骨返還と連邦政府の関与(ロバート・グリーン; 在札幌オーストラリア領事館)
報告3:「返還」における来歴調査の方法 -エディンバラ大学の事例から-(クレシーダ・フォルデ; オーストラリア国立大学)

開拓という名の近代化の過程において収奪された先住民族の遺骨について、どのように扱うのか、同じような状況にあるオーストラリアと日本の姿勢の違いがビビッドに明らかになった。
オーストラリアは、政府の方針としてまず無条件に返還するという原則のもとに、細かな手続きや調整などは全て返還を受ける側の先住民コミュニティに委ねている。それに対して日本は、国際的な動向に突き動かされて政府主導のもとに祭祀承継者への個人返還そして不明遺骨の「象徴空間」への集約という作業が進んでいるが、様々な軋轢が生じている。
大切なのは、返還する側の哲学(フィロソフィー)であるという言葉が心に残った。

そもそも「返還」という日本語自体が「返還する」という現所有者側を主体とした用語と言えよう。英語ではリパトリエーション(repatriation)というある意味で送り出す側にとっても受け取る側に対しても中立的な用語である。それに対して「返還」は収奪した和人側(政府や大学)にとっては適切であっても、「返還」を求めるアイヌ側にとって違和感が否めないのではないか。それなのに現所有者側の価値観を体現した「返還」という用語が、双方の話し合いの<場>で流通するならば、知らず知らずのうちに現所有者側の主導する雰囲気が醸成されてしまうのではないだろうか?

19世紀末から20世紀にかけて、日本の人類学者とオーストラリアの人類学者が所有する先住民族の遺骨を交換していたことが最近明らかになった。すなわちアイヌ遺骨が日本からオーストラリアへ、アボリジニ遺骨がオーストラリアから日本へ相互に寄贈されて先進国の研究者は世界中の先住民の比較研究を行っていたのである。資料交換は、ある種の研究慣習である。交換された遺骨が日本人(和人)とイギリス系白人の遺骨ではないことが重要である。私たち/彼らにとって自らの骨格が外国に贈られて標本資料になるなどということはこれっぽっちも考えていなかっただろう。当然のことながら先住民族関係者のあずかり知らぬところでなされた訳である。交換した双方にとって先住民の遺骨は、鉱物標本や動植物標本と同じであった。

オーストラリア側はこうした事実が確認された時点で、すぐさま研究者が国際研究集会においてその事実を報告し政府関係機関・遺骨保管機関ともども無条件での即時返還を表明した。それに対して日本側は、存在するはずの対象資料の確認すらはっきりしていない。

当時は、おそらくこうしたことが世界中の研究者の間でなされていたのだろう。そして世界の有数の大学博物館、国立博物館の標本(コレクション)は、こうした相互寄贈(資料交換)を通じて形成されたのであろう。当時は当たり前であったこうした行為によって私たちに託された存在を、現在の人権感覚・倫理コードに基づいてどのように対処するのか、今そのことが問われている。

当時の研究目的のために、あるいは研究者の蒐集欲を満たすためになされた資料交換あるいは盗掘まがいの発掘調査、各地の協力者を通じて入手された資料、これらはそれぞれ利害関係者の思惑が一致することによってある場合には容易くなされたであろう。
それに対して、当時なされた行動の結果として私たちが直面している現状をあるべき状態に復帰させること、あるべき<もの>をあるべき<場>に戻す作業は、その時に費やされたエネルギーの数倍いや数十倍が必要とされる。
「返還」するためには、当時構築された先進帝国主義国の研究者間ネットワークを上回る関係者ネットワークが不可欠である。この「返還」ネットワークの大きな特徴は、かつてのネットワークが収奪する側の思惑による独善的で閉鎖的なものであったのに対して、現在の「返還」ネットワークは収奪した側とされた側の双方が力を合わせてなされる「エンパワメント」(力が増していく)ネットワークである。世界中の人々に対して、人間としての普遍的な感覚に訴えかけるグローバルな権利回復運動の一環を形成している。一人一人が叡智を集め、より良い状態を形作っていく、ゴールや完了形態などは想定されていない、そのプロセス自体が重要な運動であり研究である。

「返還」運動は、不当に持ち去られた遺骨や文化財を元あった場所に単に戻すことではない。なぜこのようなことがなされてしまったのか、私たちの過去を見直す、特に現代を形作った近い過去である近代における植民地主義、近代合理主義、優勝劣敗の優生思想を問い返し、現在に引き続き残る(私たちの中にある)負の遺産(負債)を直視することである。それこそが「歴史に学ぶ」ということだろう。

nice!(2)  コメント(2) 
共通テーマ:学問

nice! 2

コメント 2

Occasional visitor

ありがとうございます。勉強になりました。
第2段落の「返還」についてですが、遺骨を盗まれた側のアイヌが「返せ」、「返還せよ」ということも、そういうふうに捉えられますか。
第3段落の日豪間の遺骨交換ですが、「生体研究」とは言わないのではないですか。
by Occasional visitor (2018-02-17 00:56) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

ご意見ありがとうございます。要求する側とされる側という観点では、そのように捉えられると思います。
訂正いたしました。「生体研究」→「研究」
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2018-02-17 07:43) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。