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東村2013「アイヌの頭蓋骨写真報道が意味するもの」 [論文時評]

東村 岳史 2013 「アイヌの頭蓋骨写真報道が意味するもの -過去の「露頭」の発見と発掘-」『国際開発研究フォーラム』第43号:1-16.

「各地の報道の仕方に感じられるのは、その地域でははじめての発掘・発見で地域特性を示すから貴重という持ち上げ方である。これは児玉の「アイヌは白色人種である」という主張を報じた記事(『毎日新聞』北海道版1954.6.23)にある、「体質に現われた地方差」を解明しようとする人種主義的視線とも合致する。このような持ち上げ方なら、各地でアイヌ人骨が発掘されればされるほど研究に役立つという論理しか出てこないだろう。「道内に散在する遺跡を片っぱしから発掘すること」の正当化は児玉以外の記事でも肯定的に適用される。児玉はその代表格ではあるものの、児玉のみのことではなく、他の研究者も新聞社も共犯関係である。」(7.)

前々回記事「返還問題2017」【2017-09-30】で言及したように、私はかつての児玉研究室の写真を見て「これみよがし」という感想を抱いたが、これまた現時点だから言い得るもので、当時はそうしたことを想起したひとは殆どおらず、たとえ居たにしてもそのことを文字に記すことはなかったことを、当時の新聞記事を通じて確認することができた。
ある意味で「今だから言える」物言いではあるが、だからこそ「今こそ言わなければならない」物言いでもあると思う。
当時(1950~60年代)の児玉研究室に見られる「これみよがし」が、その時点においては何の問題もなかったことはある人たちの行動によっても示されている。

「1954年に天皇夫婦、1958年に皇太子が来道、児玉の研究室を訪問した際も写真つきで報じられているが、主題は「学究の徒としての「人間天皇」」(『北海タイムス』1954.6.23「北大も平穏なお迎え」)、「学究皇太子」(『北海タイムス』1958.6.24「お疲れ見せず早速ご見学」)の「アイヌに深いご関心」(『北海道新聞』1958.6.24「教授とも一論争」)である。いずれも児玉と天皇・皇太子が棚に並んだ頭蓋骨をバックに話している様子を撮っている。どの写真も前面には刀剣も写し出されていることから、頭蓋骨は研究室にある多くの資料の一つとしてしかとらえられていないのではないか。知的な天皇・皇太子と児玉の「学究」に役立つものである、という表象がこの場面では重要なのである。」(8.)

筆者は「時間の堆積を地層になぞらえ」て、当時の新聞記事が児玉らの活動に好意的でありむしろ研究を賛美し研究広報的な性格すら有し、そのことに何の疑問も感じないいわば「翼賛的」(4.)なものであった1940年代から60年代を「第一層」、その後、そうしたもろ手を挙げての研究者賛美が少なくなり逆に研究者批判が表面化してきた1970年代以降を「第二層」とする。第二層の時代には第一層の遺物である記事自体は覆われて見えなくなっていくのである。しかし筆者は1983年の北海道新聞の署名記事「アイヌ人骨資料問題/北大は収集の内情調査せよ」(深尾 勝子)を一種の「露頭」として捉えた。「露頭」の存在によって覆われた下層の様相を知る手がかりとしたのである。
さらにこうした経験を経ることによって私たちの認識が変容するさまをフロイトの「不気味なもの(unheimlich)」にひきつけて考える。

「フロイトの用法では、「不気味な(unheimlich)」ものとは「馴染みの(heimlich)」ものに起因する。「不気味なものとは、内密にしてー慣れ親しまれたもの、抑圧を経験しつつもその状態から回帰したものである」(フロイト2006:42)。かつては「慣れ親しまれたもの」がいったん「抑圧」により忘れ去られた後で「意図せざる反復というこの契機のみが、さもなければどうということもないものを不気味に」する(同:31)。」

11年前には何のことやら訳が分からなかった近現代考古学の文章(同時代過去の諸考古学)が思い出される。
<もの>や<場>に関する来歴を知るまでは何でもなかった(何の悪感情も抱かなかった)事柄が、その来歴を知ることによって、不気味なもの・おぞましきものとして立ち現れてくる。

ただの頭蓋骨ならば経験を積むことによって、研究対象の資料として平静な気持ちで見ることも取り扱うこともできるようになるだろう。先史時代の人骨のように。しかしその<もの>がそこにある由来・履歴に問題がある場合、すなわちその<もの>たちが属していた人びとの意思に反して持ち去られて、その取得の過程の正当性に疑いが生じ倫理的な問題があるのならば、そのことを知る以前とは異なった感情が生起するだろう。ひとたびそうした経験をすると、二度と以前の状態に戻ることはできない。<もの>を見る側の「まなざし」が、変容したのである。

私にとって頭部だけの中国の仏像が並ぶ都内の美術館は、居心地の悪さを通り越して気分が悪くなってくる。
パリの観光地であるコンコルド広場も、その場所がどのような歴史を経て、どのような経緯でもたらされた<もの>がそびえたっているのかということを知れば、以前のような気持ちで過ごすことができなくなる。それは単にそこで刑死したマリー・アントワネットの怨念とか、ルクソール由来のオベリスクが有するファラオの呪いといったものではないとしても。
荒川の河川敷や上野公園についても、94年前にそこでどのようなことが生じたのかということを知って歩くのとそうでないのとでは大きな違いがあるだろう。

「本稿の冒頭で述べたマスメディアの責任という観点からいえば、児玉作左衛門とアイヌ頭蓋骨の報道/表象は彼の学問的権威を支えていた社会の一部である。それは全体として意図的に操作されたというよりは、無自覚的に児玉の権威を賛美し以前の記事の論調に追随することによって堆積されていった。児玉や同業者たちへの賛美は「慣れ親しまれたもの」になっていったのである。そうであるならば、本当に「不気味なもの」とは、人の尊厳に関わる事柄を単なる物質/ネタとして飼い慣らしてしまう社会の方であり、それを問題と感じず無意識に受容し、あるいは時に突然気づいたかのように騒ぎ立てる私たち(=和人の記者および読者大勢)の感性なのかもしれない。」(14.)


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