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黒沢2002‐8「本から見た日本の考古学」 [論文時評]

黒沢 浩 2002~2008 「本から見た日本の考古学[1]~[63]」『日本古書通信』第879号~第947号

トリッガー2015『考古学的思考の歴史』に対応するような、「つらつら列挙する発見の年代記」ではない「日本考古学史」はあるだろうか?
ここでは、やや異色の存在である本論を示す。月刊の業界誌にほぼ毎回足掛け7年64回に亘って連載されたものである。

1.近代以前の考古学的なもの [1] 第879号
2.黎明期の考古学 [2] 第880号
 (1) 大森貝塚の功罪
 (2) モールスの後継者たち
      人種・民族論争 [3] 第881号
 (3) 明治期における考古学研究 [4] 第882号
 (4) 啓蒙書の刊行
 (4) 八木奨三郎とその頃の考古学 [5] 第883号
 (5) 文士考古家・江見水陰 [6] 第884号
 (6) 画家・大野雲外 [7] 第885号
 (7) 考古学会の発会 [8] 第886号
 (8) 古墳時代遺物研究の深化 [9] 第887号
 (9) 高橋健自
   番外 弥生時代の年代をめぐって [10] 第888号

 (9) 海外へ進出する考古学者(一)[11] 第890号:鳥居龍蔵
 (10) 海外へ進出する考古学者(二) [12] 第891号:浜田耕作・伊東忠太・関野貞
 (11) 海外へ進出する考古学者(三) [13] 第892号:塚本靖・桑原隲蔵・足立喜六・今西龍
 (12) 海外に進出する考古学者(四) [14] 第893号:島村孝三郎・八木奘三郎
 (13) 海外に進出する考古学者(五) [15] 第894号:池内宏
 (14) 海外に進出する考古学者(六) [16] 第895号:原田淑人・東亜考古学会
 (15) 海外へ進出する考古学者(七) [17] 第899号
 (16) 海外へ進出する考古学者(八) [18] 第900号
 (17) 海外へ進出する考古学者(九) [19] 第901号
 (18) 海外へ進出する考古学者(十) [20] 第902号
 (19) 海外へ進出する考古学者(十一) [21] 第903号:金関丈夫
 (20) 海外へ進出する考古学者(十二) [22] 第904号:長谷部言人・八幡一郎・禰津正志
 (21) 考古学の方法論 [23] 第906号
 (22) 考古学の方法論(2) [24] 第907号:『通論考古学』・『考古学研究法』
 (23) 考古学の方法論(3) [25] 第908号:『ミハエリス氏美術考古学発見史』
 (24) 考古学の方法論(4) [26] 第909号:中谷治宇二郎
 (25) 考古学の方法論(5) [27] 第910号:小林行雄・様式論
 (26) 考古学の方法論(6) [28] 第911号
 (27) 考古学の方法論(7) [29] 第912号:杉原荘介『原史学序論』
 (28) 考古学の方法論(8) [30] 第913号:山内清男『先史考古学論文集』
 (29) 考古学の方法論(9)「ミネルヴァ論争」と「ひだびと論争」① [31] 第914号
 (30) 考古学の方法論(10)「ミネルヴァ論争」と「ひだびと論争」② [32] 第915号
 (31) 考古学の方法論(11)チャイルド『考古学の方法』 [33] 第916号
 (32) 考古学の方法論(12)渡部義通『日本古代社会』 [34] 第917号
 (32) 考古学の方法論(13)和島誠一『日本考古学の発達と科学的精神』 [35] 第918号
 (33) 戦後の考古学『登呂』ほか [36] 第919号
 (34) 戦後の考古学『岩宿の発見』[37] 第920号
 (34) 戦後の考古学『岩宿の発見』のつづき [38] 第921号
 (34) 戦後の考古学『神奈川県夏島における縄文文化初頭の貝塚』 [39] 第922号
 (35) 戦後の考古学『椿井大塚山古墳発掘調査報告』 [40] 第923号
 (35) 戦後の考古学 平城宮・平城京をめぐって [41] 第924号
 (36) 発掘調査報告書のスタイル [42] 第925号
 (37) 考古学における論争① 縄文農耕論をめぐって [43] 第926号
 (37) 考古学における論争② 縄文農耕論をめぐって2 [44] 第927号
 (38) 考古学における論争③ 騎馬民族征服王朝説 [45] 第928号
 (39) 考古学における論争④ 騎馬民族征服王朝説(2) [46] 第929号
 (40) 考古学における論争⑤ 邪馬台国論争(1) [47] 第930号
 (40) 考古学における論争⑤ 邪馬台国論争(2) [48] 第931号
 (42) 考古学における論争⑤ 邪馬台国論争(3) [49] 第932号
 (43) 考古学における論争⑥ 邪馬台国論争(4) [50] 第933号
 (44) 考古学における論争⑦ 邪馬台国論争(5) [51] 第934号
 (45) 考古学における論争⑧ 邪馬台国論争(6) [52] 第935号
 (46) 考古学における論争⑧ 邪馬台国論争(7) [53] 第936号
 (47) 考古学における論争⑩ 邪馬台国論争(8) [54] 第937号
 (48) 考古学における論争⑪ 邪馬台国論争(9) [55] 第938号
 (50) 考古学における論争⑫ 邪馬台国論争(10) [56] 第939号
 (51) 講座モノの刊行 [57] 第940号
 (51) 講座モノの刊行(2) [58] 第941号
 (52) 講座モノの刊行(3) [59] 第942号
 (53) 地方学会の活動 [60] 第943号
 (54) 欧米の考古学 [61] 第944号
 (55) 欧米の考古学ー翻訳について(2) [62] 第945号
 (56) 前・中期旧石器時代遺跡捏造事件① [63] 第946号
 (57) 前・中期旧石器時代遺跡捏造事件② [63]完 第947号

長期に亘る連載ゆえに小見出しの数字などに乱れが認められるが、そのまま転記した。
是非、一書にまとめられんことを願う。コピーするのも大変だし。

「私が大学に入学したのは、1981年のことであるが、先輩たちから、『日本の考古学』を読め、とよく言われたものだ。」(第941号 [58]:27.)
筆者とは同い年、私も同様の記憶がある。その他にも同時代を経験したものとして、シンクロする部分が幾つかある。

「筆者は常々、今から60年も70年も前の研究に未だに依拠している日本の考古学を批判的に思っているが、それは山内や小林らが描いたビジョンに代わるものを描けないでいるわれわれの問題なのだ。」(第913号[30]:17.)

未だに考古二項定理(遺物+遺構=遺跡)が微動だにしない現状を省みれば、何とも言いようがない。

「そうした中で、「プロレタリア作家・江馬修」でもあった赤木清は、唯物論的な社会構成史こそが考古学の使命と主張するが、その勇気には敬服するものの、それに真正面から答えられる考古学者が何人いたのだろうか。結局のところ、江馬の主張は認めながらも、その主張自体が時代の中で封殺されていったのが「ひだびと論争」であった。
もちろん、このことは決して時代から目を背けることを肯定するものではない。われわれは、こうした経験を受け止めて、時代に対して常に批判的であるべきだと思う。」(第915号[32]:11.)

「さて、今、渡部義通から和島誠一を経て、近藤義郎氏まで、科学的・民主的な研究者の歩んできた道筋を辿ってみた。ここで考えさせられるのは、戦前の軍国主義という息苦しい時代の中で、同じ考古学者といっても、立場によって人それぞれの生き方があったということである。
すでにふれたように、濱田耕作や原田淑人といった帝国大学に籍を置く学者は、それがどんな意図を含意していようとも、結果として植民地政策の中で研究活動を行なっていた。一方、森本六爾のような在野に身をおく研究者はときには時代から逃避し、ときには時代に迎合しながら、生き、そして研究をすすめる舵取りを迫られた。そして、一部の、本当に少数の人は、左翼運動を基盤としながら研究をすすめ、結果的に当局からの弾圧を免れなかった。
私は彼らの行動を是とも非ともしない。しかし、彼らの生き方や行動に対する見方が、自分が困難な時代に直面したとき、どう身を処すべきかを教えてくれるものと思う。(中略)
価値判断は時代と共に推移する。大切なのは、現在に対して、過去を参照枠としながら、常に批判の目を注ぎ続けることだと思う。」(第918号[35]:15.)

「この連載では、「人種民族論争」、「東亜考古学会」といったテーマに積極的に取り組んできたつもりである。その中で、常に考えていたのは、自分がもし同じような状況の中にあったら、どのように振舞っているだろうか、ということだった。例えば、東亜考古学会は、アジア・太平洋戦争に向かう道筋の中で、時代状況に迎合した形で研究を進めていった。それ自体は、今の目から見れば批判されるべきことかもしれない。しかし、国全体が戦争を遂行するためにあらゆる手を尽くしている時代に、声を上げる勇気が自分にはあるのだろうか、と思うのである。
だが、困難な時代にあって、人間として、研究者として適切な判断をして、行動するための規範は間違いなく存在する。歴史とはそれを知るためにあるのだから。」(第947号[63]:25.)

いずれも同じような構図・同じような内容の文章である。
前半では「…時代から目を背けることを肯定するものではない」、「…彼らの行動を是とも非ともしない」、「…今の目から見れば批判されるべきことかもしれない」と曖昧で明確な判断を示さない文言を前置きとして、後半では「しかし」とか「だが」といった逆説の接続詞に導かれて「…時代に対して常に批判的であるべき」、「…常に批判の目を注ぎ続けること」、「…研究者として適切な判断をして」という当たり前の結論に至る。
しかし「時代に対して常に批判的であるべき」という言葉と「彼らの行動を是とも非ともしない」という言葉は両立するのだろうか。過去については「是とも非ともしない」という判断停止を表明しながら、はたして現在について「研究者として適切な判断」はできるのだろうか。

問題は侵略考古学を行なったか行なわなかったかといったことではなく(もちろんそのことも重要だが)、そのことを私たちがどのように受け止めているのかということではないだろうか。
目を背けて触れないようにしているのか、それとも正面から受け止めて負の遺産を克服し新たな関係を構築しようとしているかどうかなのだ。

「文化財返還問題」という「困難な時代に直面したとき、どう身を処すべきか」「行動するための規範」は何なのか、筆者だけでなく「日本考古学」に関わる一人一人が今・現在問われている。


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