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4:トリッガー2015『考古学的思考の歴史』 [全方位書評]

「外国の考古学的遺産、とりわけ古代の大文明がうみだした考古学的遺産を占有することによって、ヨーロッパ諸国は現代世界における自身の主導的役割を確認できた。1794年、勝利をおさめたナポレオン・ボナパルトは、多数のすぐれた古典美術作品をイタリアの美術館からパリへ組織的に運び去った。イタリアにあるよりもパリにあったほうが、フランスの卓越した文化によってそれらの真価をいっそう正当に評価できる、という理由からだった。大英博物館は1816年に、トーマス・エルギン卿から大理石像を購入した。それらはエルギン卿が1801~02年に、アテネのアクロポリスからもち去ったものであった。また19世紀前半には、フランスとイギリスの仲買人のあいだで、エジプトと北メソポタミアの古代芸術作品の獲得をめぐって、競争がつづけられていた。強大で富裕な国家のみが、まことに壮大な規模で、このような行為をなしとげる余裕があった。なかでも主要な国々が、イギリス・フランス・ドイツ・アメリカであり、程度は少し劣るがイタリアであった。自国にとどまらず世界中の考古学的調査を実施することが、その国の優越性を表現する別途のやり方であった。上記の5国が、そうした努力においても抜きんでていた。このような行為は、その国の先史時代の理解に寄与することはなかった。しかし、その国の名声とプライドの源泉になった。この意味で大英博物館は、世界中から人工物を蒐集したとはいえ、そして近年では逆に批判にさらされているにもかかわらず、真に国家(ナショナル)の博物館なのである。」(184-185.参考文献は略、以下同)

著者は言及されていないが、日本がその「主要な国々」に連なることも明らかであろう。
「批判にさらされているにもかかわらず、真に国家(ナショナル)の博物館」とは、言い換えれば「原産地からの返還要求を拒み続ける限り、植民地時代の負の遺産を抱え続ける博物館」という意味である。

「…古物の窃盗や違法取引が世界中で増加しているのだから、在地の集団にみずからの文化遺産を警備し保護する権限を付与する必要がある。このような権限付与には、在地の人びとが十分に資格を満たしたプロの考古学者になるための訓練や、貧困にあえぐ在地民が、自分たちの遺産を保護するのに必要なだけの経済資源の供与がともなわなければならない。こうでもしなければ、植民地主義の最後の残滓を考古学から一掃できない。文化遺産は、それをうみだした人びとの子孫と全人類とが二重に保有するものとして、合法的に認識されなければならない。この文化遺産こそが、両者の文化的な多様性と創造性の証明になるからである。そのような遺産を経済的な見地から開発したり、損傷をあたえたり、あるいは故意に破壊したりするのは違法なことだ。そして可能なかぎり、そうした遺産の子孫が、全人類を代表してその管理人になるべきである。以上のような定式化は、啓蒙主義の普遍主義的な理念の多くを具現化しているので、あらゆる集団は自分たちの遺産を望むがまま自由にすべきだと主張するであろう相対主義者の意にはそぐわないだろう。しかし、このような定式化は、人類全体が密接不可分に関係しあうようになっている、現代世界の現実を反映しているのである。」(396.)

いったい誰がどのような権限で、「権限を付与する」のだろうか?

「ポストプロセス考古学が発展してきたことにより、また1986年に世界考古学会議が設立されたことにより、考古学とその社会的・政治的・経済的コンテクストとの関係にたいする既存の関心が、いっそう顕著になった。その結果、過去にたいする「覇権的」な解釈にひそむ偏見をあらわにし、抑圧された集団が自分たちの文化遺産をとりもどせるようにするための努力が強調されることとなった。」(404.)

「「覇権的」な解釈」とは、外国の古代の考古学的遺産を占有することによって「現代世界における自身の主導的役割を確認」することであり、植民地・占領地から運び去った考古学的遺産が「その国の名声とプライドの源泉になった」ということである。
こうした「覇権的」な解釈の問い直しである文化財返還問題こそが、「植民地主義の最後の残滓」の清算である。
本来の所有者、元あった場所に暮らす「在地の人びと」に返す際に、「寄贈」とか「引き渡し」という面子に拘泥する用語に固執することなく、そのまま「返還」とすべきなのだ。

「…考古学者が高位理論を無視しうるとすれば、それは自分たちの考古学的データの解釈が、みずから暮らす社会のほぼ未検証の信念によって無意識裡に形成されてしまうという危険をおかすことによってのみ可能になるのだ。19世紀後半から20世紀前半にかけて、人種差別的な偏見が文化史的考古学を支配していた。これは理論的洗練がゆきすぎた結果ではなく、少なすぎた結果であった。社会科学における理論的な議論を無視する考古学者は、自分たちの社会や社会集団の偏見に支配されてしまう危険をおかしている。そのような偏見は、考古学的証拠の解釈にあらゆるレヴェルで影響をおよぼしかねない。」(376.)

「高位理論」の一つは、「可能なかぎり、そうした遺産の子孫が、全人類を代表してその管理人になるべきである」という「人類全体が密接不可に関係しあうようになっている、現代世界の現実を反映している」「定式化」である。

「多様な命題の相対的な価値を評価するためには、特定の理論的命題が、考古学的証拠をふくむ経験的証拠にどれほどよく合致しているかを確定する必要がある。全般的な理論的枠組みを構築するためには、特定種類の説明がどのコンテクストにおいて有用であるかを確定し、これらのアプローチを統合する必要がある。習得された行動が、いかなる状況下でどの程度、個々人による革新よりも優勢を占めそうか、そしてそうした革新がどのようにして社会内で定着したりしなかったりするのかを立証すべく、考古学者は努力しなければならない。諸要因のどのような組みあわせが機能的にありえそうか、あるいはありえなさそうか? 自然淘汰はどのような状況下で、特定の行動特性や特定タイプの社会文化システムのほうに有利にはたらくのか、そうした淘汰は文化発展の一般パターンにたいしてどのような影響をおよぼすのか? どんな種類の行動が、人間が生まれもった欲動や思考パターンを反映しているのか、そうした欲動や思考パターンはどのていど文化的要因や社会的要因によって操作されうるのか? フェルナン・ブローデルは、長期的プロセスを短期的プロセスと切り離して理解すべきことを提唱したが、両者はどのていど切り離して理解すべきなのか? それとも進化生物学者が確信しているように、長期的プロセスの軌跡は、短期的な変化をもたらすのと同じプロセスの結果なのだろうか?」(379-380.)

引用文後半で例示されたような5つの疑問(1:諸要因のどのような組み合わせが… 2:自然淘汰はどのような状況下で… 3:どんな種類の行動が… 4:フェルナン・ブローデルは… 5:それとも進化生物学者が…)は、「日本考古学」例えば現在の日本の大学における考古学教育の場で、どのように取り扱われているだろうか?
教える側(教育者)がこうした疑問を持っていなければ、もちろん教える場において教えることはできない。

「2000年にはもはや、英語圏の世界における考古学は、優位をめぐって争うプロセス派の陣営とポストプロセス派の陣営に二分化された状態ではなくなっていた。唯物論的アプローチと観念論的アプローチは、どちらも多数の代替的ポジションをうみだしてきた。そうしたポジションの大半が、考古学的データから人間の行動と信念を推測することに関して、有用な見方をもたらした。これらのアプローチはすべて、存在論的には唯物論的だが認識論的には現実主義的である大きな理論的傘下にまとめうる。人類の進化論的起源を容認する者にとって、これ以外の一般的パースペクティブはありえない。」(374.)

宿題だった「存在論的唯物論」と「認識論的実在論」についても、ここまで読み進めてきた結果、どうやら極端に走らない穏当な立ち位置ぐらいの意味合いであることが分かってくる。

何はともあれ、こうした筆者のパースペクティブから世界の考古学の動向が的確な価値判断と共に示されている。
「世界考古学」から孤立しがちな「日本考古学」にとって、まことに意義深いと言わざるを得ない。
巻末30ページにわたって延々と続く、正解があってないような見慣れない異邦人たちの名前の読みを確定するだけでも大変な作業である。
訳者が投ぜられた労苦は、必ずや報われるだろう。


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伊皿木蟻化(五十嵐彰)

先週ある人から私も気になった「権限付与」について尋ねられたので、調べてみました。「権限を付与する」はempower、「権限付与」はempowerment。決して間違ってはいないのですが、これでは私のように誤解する読者もおられるでしょう。「ウィキペディア」では、「エンパワメント」に「湧活」の語を与えて、「個人や集団が自らの生活への統御感を獲得し、組織的、社会的、構造に外郭的な影響を与えるようになること、人びとに夢や希望を与え、勇気づけ、人が本来持っているすばらしい生きる力を湧き出させること」としています。単に「権限」を「付与」したり「委譲」したりするのみではなく、社会的・政治的・経済的に抑圧されてきた人びとが自分の人生において自己決定を行ない、自らの権利や尊厳を回復することを意味しています。ですから、せめて「支援」とか「援助」あるいは「活性化」ぐらいの方がより適切ではないかと思います。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2015-05-11 12:46) 

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