3:トリッガー2015『考古学的思考の歴史』 [全方位書評]
「西洋では、機能論的な見方が、イギリスとアメリカの人類学における重要な潮流を代表しつつ急増し、洗練の度を増していった。1920年代には、考古学者がこの見方に背中をおされ、先史文化とは内的に差異化されつつも、ある程度は統合された生活様式だとみなしはじめた。ひるがえってこうした展開は、変化の外因だけでなく内因に関する考察をもうながした。当初、内因の検討は主として生態的・経済的要因に向けられていた。ただし、テイラーとクラークは、先史時代の生活パターンを復元するために考古学的データの使用を奨励するべく、多くのことをおこなったものの、考古記録に生じる変化の説明にはほとんど貢献しなかった。これと対照的にチャイルドは、社会変化に関するきわめて興味深いモデルをいくつか発展させたが、こうしたモデルをどうやって考古学的証拠の研究へと詳細に適用しうるか検討しなかった。これと逆に生態学的考古学とセトルメント考古学は、特定時点の先史文化とそれらの変化の仕方の両方に関する研究を促進した。エスニシティに拘泥する文化史的考古学は、ますます不毛なものになっていた。考古学的データにたいする機能的・プロセス的アプローチが発展をとげた結果、先史文化がどう機能し変化したかにたいする、活気に満ちた新たな関心が、文化史的考古学に徐々にとってかわっていった。」(277-278.)
「このうえなく華々しい考古学的発見を誰がどんな状況下でなしとげたかをつらつら列挙する、発見の年代記」(401.)ではなく、それぞれの調査・研究が先行する業績のどのような点を克服するべくなされたか、そのことがその後の業績にどのような影響を与えたかといった評価・賛否を的確に把握した上で、そのことに対する筆者の評価・賛否が述べられる。
これが、あるべき「学史研究」のあり方であろう。もちろんそのためには、相応の力量が求められる訳だが。
「物語的アプローチnarrative approachは、イギリスの先史学者が1950年代に実行していた場当たり的なやり方のなかにデヴィッド・クラークがみいだし、強く反対すべきだとした講釈的なアプローチに酷似している[Clarke 1968]。これに対抗してクラークは、考古学的データから人間行動を推測する厳格な方法を探しだす活動をはじめたのである。このようなアプローチは、以下のことを要求する歴史方法論の基本原則をないがしろにしていることが多い。すなわち、同じ資料群から別個の諸解釈をひきだしうる場合、歴史家は、それらの各見解が相補的であり、したがってより包括的かつ説得力があって理論的にも興味深い全体へと統合しうるのか、あるいはそうした各見解は矛盾しあっているのかを決定するようつとめなければならない。そして後者の場合、新しいデータを捜索し、さらなる分析を実施して、各解釈が正しいのかどうか、またどのていど正しいのかをみつけださなければならない、という要求である。フィリップ・コールは、特定の疑問に回答するのに必要な情報がない場合、考古学者は作り話などせずに、その問題のむずかしさをみとめ、別の疑問に回答するようつとめるべきだ、と断言している[Kohl 1993, p.15]。たとえ考古学上の発見を普及させる手段としてであれ、確たる証拠のない、そしてしばしばイデオロギーに駆られた憶測を、物語へと意図的にとりこんでしまうと、深刻な倫理的問題をひきおこしてしまう。そもそも、一般の人びとが考古学者に期待するものが空想的な物語なのかどうかも、議論の余地がある。むしろ一般に人びとは、専門的な調査研究に根ざした詳細な見解を欲しているのだ、とブリット・ソルリは提言している[Solli 1996, p.225]。」(341.)
トリッガーが「縄紋環状列石 工区分担説」を知ったら、どのような感想を抱いただろうか?
同じようなことが、繰り返し述べられている。
「たとえあからさまな社会的・政治的圧力がない場合でも、十分なデータや適当な分析や適切な解釈方法なしに結論へと飛躍したくなる誘惑が、考古学者につねにつきまとってきた。この飛躍は、考古学的な調査研究のあらゆるレヴェルで起こる。ただし、もっとも大胆な飛躍がおこなわれてきたのは、もっとも高次のレヴェル、すなわち行動の説明であっただろう。現在、多くの考古学者がしきりに、自分たちの研究成果から過去に関する遠大な結論をくだしたがっている。そうするには、議論を十分に結びつけもせずに特定形式の行動を推測したり、人間行動に関する検証が不十分な説明を採用せざるをえないにもかかわらず、である。とくに解釈が、研究者の常識や信念と合致している場合、考古学者は自身の研究の不備にまるで気づかないかもしれない。過去にはこの種の手ぬるさが容認されていたが、その手ぬるさは、広大で厄介な難問に対処しようとしてきた少数の調査研究者に、かなりのていど起因する。データを収集し、幅ひろい過去の姿を復元しようと、先駆的な努力をおこなうにあたって、十分な考古学的調査を実施するのに必要なことの多くが無視されてしまっていたのである。」(396-397.)
「手ぬるさ」(laxness)…
「現在までだされた人間主義考古学の研究のうち、もっとも意欲的なものは、縄文時代から古墳時代にいたる日本において、自己アイデンティティ観念の発展が、社会組織および建造環境の変化とどのように関連していたかに関する溝口孝司の分析である[Mizoguchi 2002]。溝口は、一体的で不変の日本のアイデンティティが縄文時代にはじまるという本質主義的見解に、きっぱり反論しようとつとめている。しかし、それにもかかわらず、溝口の洞察の主たる源泉は、特定遺跡の物質文化における短期的変化の詳細きわまりない研究に制禦された、歴史遡及法であるように思われる。この種のデータをうみだせるのは、日本の文化史的考古学のお家芸である。」(343.)
原文では、なぜか「Katsuo Mizoguchi's (2002) examination」となっている。
「お家芸」は、「specialty」の訳である。
肯定的に評価しているのか、それとも皮肉交じりなのか。
「社会科学で理論的発展が生じるためには、綿密な議論がかわされる熱烈で劇的な論争が必要不可欠のように思われるからだ[Trigger 2003d]。」(349.)
こうしたものから程遠いのが、「日本考古学」である。
Trigger, B. 2006. A History of Archaeological Thought (2nd Edn.). Cambridge: Cambridge University Press 中において、拙稿 Mizoguchi, K. 2002. An Archaeological History of Japan, 30,000 B.C. to A.D. 700. Philadelphia: University of Pennsylvania Press. につき引用、コメントいただいた箇所(2nd paragraph, p. 474)の、下垣仁志氏による翻訳該当箇所につき言及いただき、ありがとうございます。この引用に際しましては、Trigger先生ご自身からメールと当該著書に関する詳細かつポジティブなコメントをいただき、驚愕し、また感激した思い出があります。その後も、拙著、Mizoguchi, K. 2006. Arcaheology, Society and Identity in Modern Japan. Cambridge: Cambridge University Press. につき、コメントいただき、またディスカッションさせていただくという、光栄な体験もさせていただきました。そのことから申し上げられますことは、先生は、「皮肉」に媒介された含意のほのめかしをつうじて、同書中で取り上げられている諸事項について批判的コメンタリーをなさるようなアプローチはとっておられないということです。
エントリー、楽しみに読ませていただいております。今後ともよろしくお願い申し上げます。
溝口孝司
by 溝口孝司 (2015-04-30 22:52)
的確なサプリメント、有難うございます。
日本考古学の「スペシャリティ」をグローバルな「考古学的思考の歴史」にどのように位置づけ評価するのか、藤森1969以来あるいはひだびと論争以来の課題です。そのためには、日本考古学総体の捉え直しが求められ、まさに「劇的な論争が必要不可欠」です。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2015-05-01 12:46)