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小林・赤坂編2014『遺跡・遺物の語りを探る』 [全方位書評]

小林 達雄・赤坂 憲雄編 2014 『遺跡・遺物の語りを探る』 フィールド科学の入口、玉川大学出版部

冒頭の「対談 小林達雄・赤坂憲雄 「人間学」としての考古学の再編」から。

「小林 … たとえば、八王子の遺跡である中学生が拾った縄文中期の土器のかけらに、人の絵が描いてあった。
赤坂 へぇ~
小林 それを中学校の先生のところに持っていった少年 -仮に小林少年にしときましょう- を、先生は励ましたわけです。そして、「これはすごいぞ。おれは素人だから判断できないから、東京の専門の先生に聞いてみよう」と、慶應大学の江坂輝弥先生に聞くわけです。江坂先生は、「おお、これはすごい」といって、いまの話になる。
中学校の先生は、「こんどの日曜日に江坂先生がくるから、案内してくれるか?」という。それで中学生は、(縄文中期の土器を)撒きます。それを江坂先生が拾うんです。この話は、一般向けの本にもカラーでちゃんと紹介されています。
中学生は、中学校の先生の気を引きたかった。「先生、ライバルの〇〇くんよりも、ぼくのほうを見てよ」といいたかった。先生は、そこまで案ずることができなかった。
で、中学生は迷いに迷ったあげくに撒く。そして案の定、江坂先生は同じように人の線描きのある破片を拾うわけです。」(29.)

旧石器捏造事件を語る流れの中で紹介されたエピソードである。
私も赤坂氏と同様に「へぇ~」としか言いようがない。
「ちゃんと紹介されて」いるという「一般向けの本」が何なのか、明示されないので詳細を確かめようがない。
八王子在住の縄文研究者にも尋ねてみたが、似たような話しは聞いたことがあるが、細部のプロットや登場人物の背景が異なるようだと言う。
当然のことながら「江坂先生」からも、こうした話しは聞いたことがない。
それよりも、この話しのオチ、お粗末な捏造の結果が明らかになった経緯そしてその後の関係者の対応はどのようなものだったのかが気になる。
そうしたことがしっかりと総括され周知されていれば、件の捏造事件の展開もまた多少は違ったものになっていたのではないか。

民俗学が専門の赤坂氏が考古学について語るのだから、当然のことながら前職での同僚のことが話題となる。
「赤坂 もうすこし具体的に、「モノからコトへ」を説明していただけますか?
小林 わたしは、とくに一所懸命にそれをいったことはないんです。むしろ安斎さんがいっています。
赤坂 安斎正人さんですね。
小林 これは、考古学の世界のことだけじゃないです。モノというのは現実にある。それを認識するというのは、そのモノが織りなすさまざまな文脈のようなものを読みとることだと思う。モノから物語をやらなくちゃいけない。安斎さんはそういっていますが、まさにそのとおりだと思いますね。」(56.)

しかし段々、雲行きが怪しくなる。
「日本語じゃなければできない考古学もある。「モノからコトへ」っていうのは、そういうことをやっているわけ。だけど、そんなこといわれなくたってやってきた。「いまさら、あなたに指揮をとってもらう必要はない」っていうのが、わたしの不満ですね(笑)。
赤坂 まあねぇ」(57.)

当の本人も、「指揮をとって」いるつもりはないだろうし、「まあねぇ」としか言いようがないのではないか。
こうした発言の拠って来る由縁は、
「わたし、自分自身が身を置いている日本の考古学にすごく不満なことは、日本でちゃんとやっていることを評価しないで、横文字を読んで向こうから輸入することによって新しい境地にしようとしていることなんです。認識考古学もそうだし…。
赤坂 うん。
小林 たとえば認識考古学で、向こうで「コグニティブ・アーケオロジー(cognitive archaeology)」ということばが流行りだすと、それを読んで一から始める。そのまえに日本でもやっていたじゃないかということについては、一顧だにしない。それがすごく残念なんですよ。そういうのが、あまりにも多すぎる。何かというと向こうですからね。いまの日本の土壌は、輸入用の洋花を切り花で盛って目新しくする。そんな感じです。だから、いくらやってもあだ花。ひとりで咲かして散っていくしかない。
赤坂 そうですね、なるほどね。」(56.)

確かにそういう面もあるだろう。
やり玉に挙がった認識考古学以外にも、身近に適用事例は多々指摘できそうな気がする。

「日本の考古学のなかで、これを「景観」とせずにそのまま「ランドスケープ」ということばで使用しはじめたのは、この本の編者のひとりで、Ⅰ部で対談をおこなっている小林達雄(國學院大學名誉教授)である。小林は、縄文研究の第一人者であり、それまでも「セトルメント・パターン」(居住類型)など日本語になりにくい概念の英語をそのままカタカナ表記して日本考古学に導入していた。」(大工原 豊2014「縄文ランドスケープ 縄文人の視線の先を追う」:62.)

単に外来か自生かではなく、そうした考え方が適切に用いられているかどうかであろう。そうでなくては、再生細胞など理系の研究など意味をなさない。それは文系においてもそうであろう。内と外を分ける発想自体が問われている。
考古学研究会の今年度研究集会のテーマ「世界の中の日本考古学」というのも、そうした問題意識に発するのではないか。

セトルメント・パターン絡みで、最後に一つ。
「ここで示されたAあるいはBに分類される遺跡は、これまでの考古学的調査でその多くが認識されているが、C~Fに分類される遺跡は、いまだ認識されず大地深くに眠っている可能性が高い。そのため、これらを「負の遺跡」と称する場合がある( 鈴木公雄『考古学入門』東京大学出版会 1988年)。」(佐藤 雅一「遺跡を探して守り、研究する」:156.)

「負の遺跡」と聞いて、想起するのはビルケナウ強制収容所や731部隊遺址、原爆ドームなどである。鈴木1988にそんなことが記されていたっけと紐解いてみると、そこに記されているのは、「負の分布」(鈴木1988:101.105.106.)である。
「負の遺跡」と「負の分布」では、意味が全く異なる。

最近は、こうしたことばっかりである。

2014/0519:追記
知人に知らせていただいた文献をようやく入手した。
椚 國男・佐々木 蔵之助・渡邊 忠胤2012「八王子市中野原屋敷通り北遺跡の緊急発掘 -小学生発見の線刻連続人形文の土器片から-」『多摩考古』第42号:58-73.
「この緊急発掘は、1976年(昭51)12月の中頃、当時八王子市立中野北小学校6年生の金山義信君が中野原屋敷の畑で土器片採集をし、それを担任の池田和夫先生にみてもらうため18日の朝職員室に持って行ったのがキッカケである。」(58.)
ということで、以下江坂先生の「日本的な遺跡ですのでぜひ調査を!」という発言、「人間の絵だょ 縄文土器に 小学生が「見つけた」 「全国初」と専門家もビックリ」という見出しの『朝日新聞』1977年1月27日付の記事などが紹介され、最後に「偽物づくりの原因」と題する椚氏の一文(72.)があるが、文意が明確でない。


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