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出利葉2011「マンロー・テクストはなにを「返還」するのだろうか」 [論文時評]

出利葉 浩司 2011 「マンロー・テクストはなにを「返還」するのだろうか -マンロー関係資料デジタル化プロジェクトの今日的意義-」『国立歴史民俗博物館研究報告』第168集:63-82.

「ここ二十年近く、北米あるいはオーストラリア地域で政治的に問題化され、人類学的課題としても議論されてきたことのひとつに、先住民から収集し博物館などが保管してきた遺骨や発掘品、生活に使う器物など、いわゆる「資料」の先住民社会への「返還」がある。本稿ではそこでいう「資料」の枠を拡げて考え、博物館や文書館などの施設(以後、博物館として一括する)がこれまで保管してきた「民族誌的情報」のうち、とくに文字記録を対象としてとりあげる。そして、そこに記録された内容が直接関係している民族集団への民族誌的情報の「返還」について考える。」(64.)

著者とは、先月ある所で出会い、その時に戴いた文献である。
「返還問題」と言えば、文化財や遺骨といったモノを想起しがちであるが、そればかりではないということが述べられている。

ニール・ゴードン・マンロー(Neil gordon Munro:1863-1942)、日本とイギリスに散在している彼の遺した写真・映画・文書など(マンローコレクション)をデジタル化して共有するためのプロジェクト「マンロー関係資料デジタル化プロジェクト」が、国立歴史民俗博物館とイギリス王立人類学協会を中心として、2004年から2009年にかけて行なわれた。

「このようにみてくると、マンロー・テクストのさまざまな利用の可能性は、研究者によるアイヌ研究への利用だけではないことがわかる。アイヌの人々にとっても役立つと思われる情報、これからさき利用の可能性をもつ情報は少なくはない。
とすれば、ここであらためて、そのような情報をふくむテクストについて、そこにアクセスし、その内容をある権利によって共有しあう人びとの姿について、議論がおこってもよいだろう。このことは容易に想定されよう。テクスト情報を管理するものは誰なのか。情報へのアクセス、選択、管理、公開は、研究者の仕事なのだろうか。研究者のみが特権としておこなうことのできる、あるいは彼らに許可された仕事なのだろうか。あらためて、この問いが成立する。それを利用するアイヌの人びとは、研究者が選択し、なんらかの研究上の処理をしたうえで提供される最終的成果物をのみ手にすればよいのだろうか。
このことは、同時に、テクストに記された「情報」とくに「民族知」の所有者についての問題を提起する。このことに注目してみたい。それは、マンローの著作権なのだろうか。テクストを保管してきた機関のものなのだろうか。それとも、保管されてきたテクストを発見し、それを調査し、明文化した研究者の業績として、かれの所有物になるのだろうか。
このように問いを進めてくると、本研究プロジェクトがおこなったマンロー・テクストの調査と解読作業は同時に、議論すべき問題点が、返還運動の問題へと移行する可能性を含んでいるといえないだろうかという考えに到る。先住民資料返還運動の枠をひろげて、そのなかで考えていく、将来への展望を考えていくことはできないのだろうか。」(73.)

単にモノを返せば済む問題ではないことが良く分かる。
ある人びとが作ったモノが、今、時を経て、ある場所にある。
そうしたモノを扱う権利、アクセスする権利をある特定の人びと(研究者)が占有していていいのか、許されるのかという問題提起である。
オープン・アクセス、リポジトリなどとも関係してくるだろう。

各地に個別に所蔵されていた諸資料は、この「マンロー関係資料デジタル化プロジェクト」によって格段にその価値を高めたと言えよう。同時に諸資料を所蔵していた各所蔵機関も、本プロジェクトに参画することによってその価値を高めたと言えよう。
逆に言えば、貴重な資料・文化財を所有していてもただ収蔵庫の奥深く仕舞い込むだけで公開の要望に一向に応えない資料や文化財そしてそれらの諸機関は、その価値を低減させているだけであることを深く胸に刻むべきであろう。同様に、こうした問題に取り組むべき学会組織が、ひたすら問題から目を背けて、先送りし続けている状況もまた、その組織の存在意義を著しく損なっていることを自覚すべきであろう。


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