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全2013「「土俗学」から「民俗学」へ」 [論文時評]

 全 京秀(山 泰幸・金 広植訳)2013 「「土俗学」から「民俗学」へ -日本人類学史に現れた学名の変遷と学問のアイデンティティー-」『日本民族学の戦前と戦後』東京堂出版:226-271.

「本稿で問題にする核心的な用語を英語で表現するとethnography(フランス語とドイツ語のethnographies、ロシア語のethnografiaなど)だ。この用語が英語から漢字を使う日本語で翻訳される過程で、時代によって異なる現象が生じた。この点について深い考察を加えたい。人類学という学問の核心的な用語の中の一つであるethnographyに対する時代別の認識の差を明らかにすることが、人類学という学問に対する時代による認識の変化を追跡する重要な基準になるからだ。この用語が日本では1920年代のある時点を基準にして、「土俗」あるいは「土俗学」から「民俗」あるいは「民俗学」に転換される時期の事情を明らかにし、このような転換の背景に対して深い検討を試みることが本稿の内容である。」(228.)

筆者については、7年前に論評して以来である。
「土俗学」を巡る諸問題については、4年前の論文(相馬2010)を論評した際に、17年前からの経緯を少し述べたことがあった。その時述べた見通しが、決して「誤解」ではなかったことが、詳細に述べられている。

「私は「土俗」から「民俗」へ代替される過程に持ち込まれた理由を二つ設定して、この二つの内容について議論することを本稿の主眼点にしたい。一つは、「民」衆論から始めて、国「民」創出につながった「民」の概念の政治的な拡張により、民俗概念の政治性につながった問題であり、もう一つは「土俗」概念に被せている社会進化論的な野蛮性、汚染、恐怖の可能性と関連した集団心理的なスティグマの問題だ。そして、この二つの理由が結合しながらシナジー効果を出した結果、「土俗」は「民俗」に席を譲ることによって、二つの用語の間の概念上の衝突の歴史は終結したのである。それにもかかわらず、「土俗」が一つの完結された用語として、いまだに命脈を保っていることは、この用語が含む意味上の固有性と包括性が作動しているからだと解釈することができる。」(242-3.)

民俗の「民」の字には国体精神の具現という政治的な意味が込められていたこと、「民」は自己に「土」は他者にという用語の使い分けは他民族蔑視に他ならないことが、坪井正五郎から移川子之蔵、南方熊楠、中山太郎、岡正雄などの言説を追いながら確認される。

「…帝国の拡張と支配のヘゲモニーの構造が確立する経験をした日本社会の知識人たちが、野蛮人の意味を含む「土人」の「土」字と「土俗」の「土」字の間で可能な、象徴的な互換性を想定し、そのような意味上の互換性による汚染禁忌の文化的なメカニズムを学問という領域に投射させた結果、「土俗」が「民俗」に取り替えられることに直接的または間接的に寄与した可能性を排除できない。もちろん、このような可能性に対する議論は具体的な論証が困難な集団心理上の問題という点は理解を求めたいところだ。
学問的な次元で、「土俗」が差別用語として認識されたのではなく、官制政治運動の一環として展開された一種の「文明化」作業の過程で差別的な待遇を受けた「土人」という用語から伝染したと理解するのが妥当で、先に「土人」に対する差別的な用例から発生した「土」字に与えられた野蛮性の意味が「土俗」の「土」字に移転され、「土俗」という用語を排除する動きが生じたと思われる。」(256-7.)

最も妥当な解釈だと思われる。
つくづく用語の使用には、周到な注意が払われるべきであると思わされる。特に政治性を背景に持ち出される「新領域」研究については。

「観光考古学はその後、考古学を専攻する学友から「系統的に検討したら如何」とか、また、遺跡めぐりに精出している知友から「面白いネーミングだから考古学の一分野として対応していきたい」などと感想が寄せられたのは意外であった。」(坂詰秀一2012「あとがき」『観光考古学』考古調査ハンドブック7、ニューサイエンス社:221.)


タグ:倫理 土俗 学史
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