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日韓歴史家会議2011『‘歴史を裁く’ことの意味』 [全方位書評]

日韓歴史家会議組織委員会(国際歴史学委員会日本国内委員会)2011
『‘歴史を裁く’ことの意味』第10回 日韓・韓日歴史家会議 報告書

日韓歴史家会議とは、1996年の日韓首脳会談で合意された民間識者による歴史研究会「日韓歴史研究促進に関する共同委員会」が2000年に「最終報告・提言」を提出して活動を終了した後を受けて、日韓両国の歴史研究者間の相互理解の促進を目的に設置された。
2010年に開催された第10回の主題は「歴史を裁くことの意味」であり、第1セッション:植民地支配責任論と歴史認識、第2セッション:史料・文化財はだれのものか -史料公開・文化財返還の問題-、第3セッション:歴史教育における戦争・植民地支配、第4セッション:総合討論として、それぞれ報告・指定討論・全体討論がなされた。

「第2セッション:史料・文化財はだれのものか -史料公開・文化財返還の問題-」では、吉田憲司(民博)の報告「文化遺産の返還をめぐる世界の動き 2010」に対して李 在珉(漢陽大)のコメント、李 根寛(ソウル大)の報告「最近の国際的動向に照らしてみた韓日間文化財返還問題」に対して久留島 浩(歴民博)のコメントがなされた。
以下では、やや長くなるが吉田氏の報告文中の一部を引用する。

「収集・展示する側と収集・展示される側の関係のあるべき姿をいち早く明文化したものとして、1993年の「世界の先住民の国際年」に際し、オーストラリアの先住民の代表者が博物館キュレイターやアーティストらと共同でまとめた、博物館と先住民族のあいだの関係についてのガイドライン「かつての所蔵品と新たな義務 -アボリジナルおよびトレス諸島諸民族とオーストラリアの博物館の関係についての指針-」(Previous Posessions, New Obligations; Guideline for the relationship between Aboriginal and Torres Strait peoples and Australian museums, 1993)が注目される。この「指針」は、博物館が所蔵する先住民族由来の文化遺産の処遇を決定する権利は先住民族の側がもつことを明記し、博物館はそれらの文化遺産の展示や利用にあたって、先住民族の許可を得、先住民族と共同で作業を進めることを求めている。また、博物館の所蔵品のなかでもとりわけ大きな問題をもつ人骨については、原則的に本来の所有者に返還するものとし、コミュニティの許可を得た場合だけ、収蔵が認められること、秘儀的な儀礼に用いられる器物についても、他の収蔵品とは別置し、その性格に応じた処遇を要することを明示している。
カナダでも、1993年の「世界の先住民の国際年」を契機に、先住民会議とカナダ博物館協会とのあいだで同様のガイドラインの策定が進められた。「ページをめくる -博物館と先住民族の新たな協力関係の構築-」(Turning the Page: Forging New Partnerships Between Museums and First Peoples, 1993)と題されるものがそれである。そこでは、過去における博物館と先住民族の間の不平等な関係を修復し、先住民族が自らについて語ろうとする意志と権利を博物館が認識し、尊重することで、両者の間での協力関係を打ち立てることがまずもって確認された。ここでいう博物館と先住民族の平等な協力関係には、博物館が先住民族の知識と慣習を尊重し、また先住民族も学問的トレーニングを積んだ研究者の知識と活動を尊重することが基礎となる。また、先住民族と博物館は過去の文化遺産に対する関心を共有し、先住民族由来のコレクションの取り扱いに関しての倫理的基準の作成についても共同の参画と責任を負うことが重要であるとし、博物館が実施する展示その他のプログラムについては、先住民族の代表が対等のパートナーとして参画することを求めている。ここでもやはり、人骨については、特定の家族や集団への帰属が明らかなものは、その扱いを当事者の判断にゆだねること、帰属の明らかでないものについては、先住民族で構成される顧問委員会との交渉によって処遇を決定することとし、先住民族の意思に反して博物館が遺骨を所有することは受け入れられないと明記された。また、秘儀的な器物については、当該の先住民族の十分な関与のもとで定められた道徳的・倫理的基準に基づいてその処遇を決定すること、現在の法に照らして不法に収集された器物は必ず返還すること、また秘儀をはじめ各種の儀礼に用いられる器物を先住民が使用することを希望した場合は、進んで貸与することを義務づけている。
項目立ては異なるものの、基本的にその目指すところは、オーストラリアのガイドラインと同様のものといってよい。これらの「指針」は、これからの博物館と先住民の関係をきわめて明解かつ具体的に規定したものとして、すでにオーストラリアのみならず、ひろく世界の博物館にとっても無視できない存在となってきている。
従来の一方的な文化の収集・展示に対する、こうした異議申し立てや新たなガイドラインの設定をうけ、20世紀の末ごろから、収集・展示する側と収集・展示される側の共同作業に基づく試みが活発化していく(吉田1999,2008)。現在では、世界の主要な博物館で、収集・展示の対象となる文化の担い手との共同作業で収集や展示を実現すること、あるいはその文化の担い手自身に自文化の紹介の場を提供することが、主要な流れになりつつある。」(吉田憲司2011「文化遺産の返還をめぐる世界の動き 2010」:81-82.)

「世界の動き」としては「無視できない存在」であり、「主要な流れになりつつある」にも関わらず。
日本でも早急に同様のガイドラインを制定する必要がある。

「すでに(2013年:引用者)10月3日に「返還させる会」が、東大当局に対して「東大のアイヌ民族遺骨・副葬品収集について、話し合い(チャランケ)の申し入れ」を送付していた。「申し入れ」の要求項目の概要は以下の8項目。
(1)文科省「調査票」の記載に留まらず、アイヌ民族の遺骨と副葬品の総体について、収集の目的とそれに関与した人物を明らかにすること。
(2)「発掘人骨台帳」と「野帳(フィールドノート)」を全て明らかにすること。
(3)他大学や研究機関などから寄贈・委託され保管している遺骨・副葬品と、他大学や研究機関に寄贈・委託した遺骨・副葬品の明細を明らかにすること。
(4)「東京大学学内標本資料の概要」(1976年)によれば、「理学部人類学教室(人類遺伝学実験室)」にアイヌ民族の血液が保存されているが、誰から、何の目的で収集したのか明らかにすること。
(5)明治から昭和にかけて、東京帝国大学はじめ旧帝大で行なわれたアイヌ民族研究の指導者のひとりで、医学・解剖学・人類学者の小金井良清(こがねいよしきよ)教授の差別思想や、遺骨・副葬品を盗掘した実態と、現在も「医学部解剖学教室」前に立っている小金井教授の胸像に対する東大の見解。
(6)収集した遺骨・副葬品は謝罪と賠償の上、アイヌ民族のコタン(集落)に返還すること。遺骨がアイヌ民族に返還されるまでの間、アイヌ民族が主宰するイチャルパ(供養祭)を毎年実施すること。
(7)政府「アイヌ政策推進会議」が北海道白老町に建設を計画している「民族共生の象徴空間」の「慰霊・研究施設」への、アイヌ民族の遺骨の移管に、東大は反対すること。
(8)以上7項目の申し入れについて、10月18日にアイヌ民族も出席の上で話し合いの場を設け、総長、医学部長、理学部長、総合研究博物館長が同席すること。
しかし10月11日に東大総合企画部総務課から話し合いを拒否する回答があり、16日に「返還させる会」は再度話し合いの申し入れを大学当局に対して行っていた。11日の大学側の回答内容は、政府「アイヌ政策推進会議」が「民族共生の象徴空間」の整備を検討していることや、「文科省調査」以上の内容は答えられないというもので、大学の責任においては、7項目の要求内容に何も触れていなかった。」(「写真報告「アイヌ民族の遺骨と先住民族の権利を返して!」)

それぞれの要求項目に対して言い分はあろうものの、「話し合い」すら拒否する「門前払い」というのは、いったいどういうことだろうか。こうした対応からは、決して生産的なものは生まれないのは、曲がりなりにも「教育・研究機関」として分かっているはずなのだが。

「大前提としては、李 根寛先生もおっしゃったように、文化財は本来置かれているコンテクストに置くのが一番大きな意味を持つというのが大前提です。現在の多くの博物館が考えるようになってきているのは、自分たち博物館は所有者ではなく、「Custodian=管理者」であるということです。これは裏返しにすると、自分たちは所有者では既にないという認識です。そして、本来の所有者とはそれを生み出した人でもあるという認識を共有するようになっています。私自身は、博物館の中でもかなりラジカルな考え方を持っていると思うのですが、博物館が所有にこだわるから、やっかいなことがいっぱい起こってくる。要するに返す/返さないという話にもなりますし、もっと現実的な意味では、収蔵庫がすぐ満杯になるという話にもなるのですが、博物館が「所有」という呪縛から逃れた瞬間に世界全体が収蔵庫になる。これだけ物・人・情報が交流できる状況になるのだったら、一番意味がある所に置いておいて、必要な場合にはそれを必要な人の所へ持って行くという文化財・文化遺産の取り扱い方があるだろうと考えています。(中略)
実は現在の博物館のキュレーターたちが新しい時代を作ろうとして考えている動きとは、そうした法令を守るのは大前提とした上で、それを生み出したコミュニティと、それを管理している博物館のお互いにとって一番生産的な関係とはどういうものか、それを探っていこうというものです。そして、今日申し上げた、展示する権利はいったい誰にあるのだというところに立脚して、さまざまな試行錯誤をしている。そこでは、法令がいつどこで発効したかという問題ではなくなっているという点を、申し上げておきたいと思います。」(第2セッション全体討論:吉田憲司氏発言:113-114.)

私から見れば、「ラジカル」でも何でもなく、「当たり前」の考え方にしか思えないのだが。


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