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五十嵐2013a「石器資料の製作と搬入」 [拙文自評]

五十嵐 彰 2013a 「石器資料の製作と搬入 -砂川三類型区分の再検討-」『史学』第81巻 第4号:125-140.
機関リポジトリにて全文ダウンロードできます。

「「非常に微細な(小指の爪より小さい程度の)剥片や石器の調整剥片」(戸沢1968,16頁)である砕片を含む全ての石器資料を同一であるという母岩別に区分するのはもともと無理があり、なおかつそうした砕片が存在したかどうかによってその母岩資料がその<場>で製作されたのか搬入されたのかという行動解釈の根拠とするのはなおさら無理があり、本来7つの類型に区分すべき母岩類型をわずか3つに区分して全てを説明する「砂川モデル」は甚だしく無理があると言わざるを得ない。」(138.)

本論については、昨年の7月に草稿を読んでもらうべくご自宅に郵送し、何度かのやり取りが続いていた最中の9月上旬、突如入院の知らせを受けて驚愕、原稿の受理、掲載号決定と終始病床にあって拙論の行方を気にして頂き、ある思いを以て校了年月日とした2012年12月26日が最後にお会いした時となってしまった。

第1次「砂川闘争」とでも言うべき五十嵐2002b「旧石器資料関係論」『東京都埋蔵文化財センター研究論集』第19号では、未だに問題の本質を認識するに至らず、結局以下のような曖昧な言及に留まっていた。
「実体的な母岩類型化という従来の方法には、類型化に至る個別具体的な操作過程と類型化から行動を復原する説明モデルの双方において「密接に関連した構造性」とも言うべき問題が内在している。」(五十嵐2002b:58r.)

以来、その砂川モデルについては「何か変だな」とすっきりしないわだかまりを抱いたまま考え続けた結果、ようやくたどり着いたのが今回の第2次「砂川闘争」である本論である。
2002年あるいは遡れば1992年の問題提起以来、積極的な賛同ないしは実践的な試みは残念ながら殆ど見出せず、依然として砂川三類型モデル図は一般書において掲載され続けている。変化といえば「母岩識別を積極的に採用する旧石器調査が少なくなった」という状況のみである(【2012-10-17】参照)。
それでは、やはり「まずい」であろう、すなわち何が「まずい」のかがはっきりしないのは「まずい」だろうという思いが根底にあった。

砂川モデルの「不都合さ」の原因は、石核・残滓・目的物という3つの要素の組合せを考える際に、本来ならば7種類の類型を想定しなければならないのに、A・B・Cというわずか3類型しか設定しなかったという、すなわち「漏れなく、ダブリなく」というMECE(ミーシー)的発想(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)が欠如した典型例であることである。

さらに、類型区分から行動を解釈する際に、要となる石核の性格規定として無条件に「製作」の根拠とした点にある。すなわち石核をある場合には「製作を根拠づける残滓」扱いとしつつ、別の場合には「持ち運ばれる素材」とするといった相反する規定を融通無碍に使い分ける点に、砂川モデルの矛盾点が集約されている。

気付いてみれば、当たり前のような事柄であるが、なにせ1974年の砂川モデル提唱以来38年もの長きにわたってこうした根本的な問題が見過ごされてきたのである。
「遺跡間での石器製作の特質」はもとより、「旧石器人のライフスタイル」全般に深く関わる論点である。
避けては通れないだろう。


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