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久田2010「奴隷制の記憶とニューヨーク」 [論文時評]

久田 由佳子 2010 「奴隷制の記憶とニューヨーク -ロワーマンハッタンのアフリカ人墓地保存問題-」 『歴史の場 -史跡・記念碑・記憶-』MINERVA西洋史ライブラリー87、ミネルヴァ書房:21-41.

「1991年5月、ニューヨーク市市庁舎や連邦・州の裁判所の立ち並ぶロワーマンハッタン地区の連邦政府ビル建設予定地で約200年から300年前の黒人墓地の発掘調査が始まった。市庁舎のすぐ北側に位置するこの区画は、18世紀の地図では「黒人墓地」(the Negro Burial Ground)と記された町外れにあたり、一部の歴史家の間では墓地の存在が知られていたものの、19世紀以来の土地開発のなかですでに破壊されたものと考えられていた。しかしニューヨーク市ブロードウェイ290番地内で合衆国連邦調達庁(General Services Administration; GSA)による34階建の連邦政府ビル本館とそれに隣接する別館の建設計画が進行するにしたがって、事態は一転した。
植民地時代に湿地帯だったこの地域は、19世紀に埋め立てが進んだために奇跡的に破壊を免れ、GSAから委託された発掘調査会社が調査を開始した結果、最終的には地表から約7.6m下の地層から419体の人骨が数々の副葬品とともに出土し、埋土に人骨を含まない墓跡を含めて計424基の墓が発見されたのである。17世紀末にトリニティ教会をはじめとする教会墓地への黒人の埋葬が禁じられた以来、この墓地にはおよそ100年にわたって黒人奴隷や自由黒人が埋葬されたと考えられ、1794年の閉鎖までに埋葬された遺体の数は約2万とも推測されている。ニューヨークは南北戦争期には自由州であったため、奴隷制は南部固有の制度と考えられがちである。しかし、この墓地発見のニュースは、ニューヨークにもかつて奴隷制が存在していたことを広く一般市民に知らしめることとなったのである。」(21-22.)

今まで断片的に伝えられてきたアメリカでの近現代考古学の顕著な事例の全貌が初めて日本語で紹介された。著者は、大学の外国語学部に所属してアメリカの近現代史を専門とされている。

全国史跡保存法第106条
史跡保存諮問委員会(ACHP)
発掘調査請負会社(HCI)
連邦議会下院公共事業・交通委員会公共建築物・公有地小委員会公聴会
ニューヨーク市文化財保存委員会
アフリカ人墓地および共有地歴史地区史跡指定
アフリカ人墓地記念碑コンペ連合
全国黒人地位向上協会(NAACP)
ニューヨーク公共図書館ショーンバーグ黒人文化研究センター
再埋葬
アフリカ人墓地国立記念碑設立大統領声明
国立公園局ビジターセンター
・・・

広大な空間の中の膨大な事例のある特異な一事例であろうが、連邦議会から果ては大統領声明に至るまで、その周到なあるいは底の厚い対応には目をみはるものがある。
国の命運を左右する政府中枢での会議の議事録すら作成されていなかったという国と他国のシビア・アクシデントに対する対応ですら数百ページの議事録が公開されている国との違いとでも言おうか。

「政治、その他の分野で権力を持つ者は、権力を持たない者の文化を決して尊重しないものだ。」(28.ジョン・H・クラーク)
「アフリカ系アメリカ人は政府によってしばしばその生活の平安を脅かされてきたが、ここに来て政府はすくなくとも我々の死後の平和を尊重するようになった。」(29.ガス・サヴェッジ)
「今ここに、他界した我々の先祖たちが、再び母なる大地に受け入れられようとしている。」(33.ジェイムズ・A・フォーブス・ジュニア)

荒川河川敷での朝鮮人集団埋葬地、あるいは小塚原刑場跡地<遺跡>のその後は、さてどうなっているのだろうか?


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