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山岡2012『後期旧石器時代前半期石器群の研究』 [全方位書評]

山岡 拓也 2012 『後期旧石器時代前半期石器群の研究 -南関東武蔵野台地からの展望-』 六一書房.

「日本列島内での石器群の変遷過程や石器製作技術の進歩を明らかにするという研究視点は、同時代を対象にして世界的に展開されている現代人的行動をめぐる研究視点とはずれるといわざるをえない。これまでの日本列島における研究の枠組みから離れて、近年の海外での研究動向を踏まえて、日本列島における当該期の考古資料について新しい説明を与えることが不可欠である。」(2.)
ということで、「石器素材利用形態という異なる観点から説明」(同)されている。

年末の大晦日には筆者と直接お会いして有意義な意見交換の時が与えられ、最近もメールにて本ブログの内容について予め遣り取りすることが出来て感謝であった。
以下は、主に「武蔵野台地の後期旧石器時代前半期全体の資料の検討課題を提示」(3.)し、「後期旧石器時代前半期の石器素材利用形態をめぐる資料の検討」と題された「第6章での検討課題を導く」(51.)とされた第5章「後期旧石器時代前半期における遺跡間での石器製作の特質」の第3節 遺跡間における剥片剥離の継続方法 1.母岩別資料からの検討 に関する若干の疑問点である。

「遺跡間における剥片剥離の継続方法について検討するため、AT降灰期以降の先行研究(野口1995,島田1996,吉川1998,国武1999)や、後期旧石器時代前半期の石器群を扱った「剥片剥離の工程連鎖」の分析(長沼2001)を参考にして、母岩別資料と接合資料を用いる(註 2)。具体的には、母岩別資料の検討から遺跡間における剥片剥離の大まかな傾向を把握し、接合資料の検討から原石の入手状況、及び剥片剥離の過程を概観する。」(53.)
「註2  本章では、各遺跡の文化層の母岩分類データを使用し、埼玉県砂川遺跡での研究を参考とし(安蒜・戸沢1975)類型区分による比較を行う。ただし、近年その方法に関していくつかの問題が指摘されている(五十嵐1998,2002)。母岩別資料分類に関して客観的な基準を確立することは原理的に不可能であるという点(五十嵐1998)、さらに母岩単位で剥片剥離が行われたか否かという類型区分の根拠となる「砕片」の有無に関しては、石器製作だけでなく製作や廃棄後に生じる可能性や調査精度に大きく左右されることが指摘された(五十嵐2002)。特定の石器群を対象として各母岩の構成のみから剥片剥離が行われたか否かを区分する基準が事実上存在しないことが示されたといえる。本研究では、母岩別資料のデータが曖昧さを残し相対的な尺度であることを認めた上で使用する。母岩類型の設定に関しては操作上の便宜的な基準を設定する。そのため母岩別資料のみを根拠とせず、接合個体、岩石の種類といった他の要素を組み合わせて議論する。」(67.)

「剥片剥離が行われたか否かという類型区分の根拠となる「砕片」の有無に関しては」、「実際に剥片剥離作業(一次加工)によって生じる「砕片」と石器調整作業(二次加工)によって生じる「砕片」とを識別することは、ある特殊な形態の「砕片」以外には困難である。従って「砕片」の形態あるいは分布状況から「砕片」を産出するに至った作業種別(剥片剥離作業か石器調整作業か)を特定する合理的な根拠は現時点においても確証されておらず、一方の解釈のみを先験的に採用する論理構成には解釈上の飛躍がある」(五十嵐2002:51.)と指摘しているにも関わらず、相変わらず「砕片」の存在すなわち「遺跡内で剥片剥離が行われ、剥片剥離が終了している母岩であることを想定」(53.)している。ここに砕片が石器調整作業によって生じるという可能性を考慮する気配が感じられないのである。
これが、「砕片」問題である。
故に、先の文章は正確には「母岩単位で剥片剥離が行われたか否かという類型区分の根拠となる「砕片」の有無に関しては、石器製作だけでなく・・・」ではなく、「母岩単位で剥片剥離が行われたか否かという類型区分の根拠となる「砕片」の有無に関しては、剥片剥離だけでなく石器調整作業や廃棄後に生じる可能性・・・」ではないだろうか。
そもそも「母岩の構成のみから剥片剥離が行われたか否かを区分する基準が事実上存在しないことが示された」としているにも関わらず、あえて「操作上の便宜的な基準を設定」して「使用する」という必然性、学問的な妥当性が理解できない。

あえてそうした困難な道筋を採用して提示された「便宜的な基準」(「山岡類型」と仮称する)とは以下のものである。
「類型A:石核と剥片・砕片等から構成される母岩
 類型B:石核を含まず、11点以上の剥片・砕片等から構成される母岩
 類型C:石核を含まず、10点以下の剥片・砕片等から構成される母岩」(53.)

そして類型Aは「遺跡内で剥片剥離が行われ、剥片剥離が終了」、類型Bは「剥片剥離が行われ・・・石核が持ち出された」、類型Cは「搬入された」とする。
しかしなぜ石核を含んだ場合(類型A)と含まない場合(類型B・C)で、製作・搬入の基準が異なるのだろうか?
これでは、石核があれば砕片1点でも「製作」となるが、石核がなければ10点あっても「製作」とはならないではないか?
その条理は、どこにも記されていない。
普通に考えれば、以下の4類型となるのではないか?
類型A:石核と11点以上の剥片・砕片 →製作
類型B:石核と10点以下の剥片・砕片 →搬入
類型C:11点以上の剥片・砕片 →製作
類型D:10点以下の剥片・砕片 →搬入

しかしそもそも「客観的な基準を確立することは原理的に不可能」であり、「剥片剥離が行われたか否かを区分する基準が事実上存在しないことが示された」にも関わらず、何故このような類型区分をあえて設定しなくてはならないのか、私にはその必然性が理解できない。
母岩類型区分を設定しなければ、「後期旧石器時代前半期における石器素材利用形態の変化の背景」を把握することはできないのだろうか? 
「後期旧石器時代初頭における道具資源利用の特質と技術的多様性」は確認することはできないのだろうか?
欧米における「解剖学的現代人の出現と拡散をめぐる研究」「人類活動の革新性に関わる研究」(1.)でも、「客観的な基準を確立することは原理的に不可能」な研究手法が必須なものとして採用されているのだろうか?

結局は、私の関心は、「世界的に展開されている解剖学的現代人の出現と拡散をめぐる研究で明らかにされてきた現代人的行動に関する議論や、狩猟採集民の環境資源利用とそのために行使された技術に関わる研究の諸成果を踏まえ、日本列島の後期旧石器時代前半期研究における石器製作技術に関する前提を見直し、当該期の日本列島における資料を再評価する」(169.)にあたって、「遺跡間における剥片剥離の継続方法」を検討する根本的な手法が果たして学問的に妥当であるかどうかに掛っている。
単に本研究に留まらない、日本の旧石器研究全体の枠組みに関わる問題である。


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