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阿部1991「疑問と期待」 [論文時評]

阿部 祥人 1991 「疑問と期待」 『三色旗』 第521号、慶応義塾大学通信教育部:最終頁.

「次々と公表される、「日本最古の遺跡」発見を妬んでいるように聞こえるかもしれないが、これら宮城県の遺跡群は、国内の後の時期やほぼ同時期の外国のものと比べると人間の生活のにおいが極端に少ないように感じる。また、年代の幅が十万年以上もあるのに、石器の顔つきには一定した移り変りが、少なくとも私には見えてこない。これらの遺跡群には疑問符がいくつかついてまわる。最大の疑問は、火山活動の激しい時と場所になぜ?である。
学問と研究は疑うことで進展すると信じる。」

大学の通信教育補助教材と銘打たれた月刊誌の「激震・弱震」と題するコラムでの文章ということからか、極めて素直な意見が表明されている。今にして思えば、何のことはないのだが、発覚を遡ること9年前という時代背景を十二分に吟味しなくてはならない。
例えば、以下のような文章。

「前期旧石器の発見から10年、宮城県を中心として発見された石器群が3万年をさかのぼることを疑う研究者は、今や殆ど皆無となった。」(栗島 義明1992「旧石器時代研究の動向」『日本考古学年報』第43号(1990年度版):19.)

同じ年には、「遠い道のりの第一歩を終えるにあたり」として、共に名前を連ねた考古誌のあとがきにおいて、以下のように記された。
「刊行までの間、I 君の頑固さだけが、活動の支えになった時もあり、肩を組んで歌うことをすっかりやめている自分にも気がつきました。」(1991『お仲間林遺跡1986』)

「頑固さ」だけは20年経っても相変わらず、年末に病院で最後にお会いした時の第一声は「勘がいいな」でした。勿論、自らに残された時間を悟っての言葉と思われるのだが、私にとっては無上の、そして最高の褒め言葉として受け取らせていただいた。

「疑う研究者は皆無」とされた時に「学問と研究は疑うことで進展する」と表明する。
何でもかんでも疑えばいいというものではない。
何を疑うのか、それは何よりもその人の感性、すなわち「勘」の在り様に大きく依拠する。
こればっかしは、教わって身に付くというものではない。
持って生まれたものとしか言いようがない。
そして第2考古学にとって必須要件ともいえる、その感性についてはピカイチであったと断言しうる。
その考古学研究を、今はとても総体として評価することはできそうにない。
いや、最後までできないかも知れない。
そんな思いがしている。

「友よ
夜明け前の闇の中で
戦いの炎を燃やせ

友よ
この闇の向こうには
輝く明日がある」
(岡林信康『友よ』)

言わずと知れた故人の愛唱歌である。
受け取った「炎」を
絶やさずに
次の人々に渡していく、
そんなことしかできそうにない。

偲ぶページ」が開設された。


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sakamo

数年ぶりの書き込みになりますが、私が在学中、最強の衝撃を受けた阿部先生のコラムを目にし、思わず書き込みたくなりました。

このコラムをリアルタイム(それも、先生から手渡されて)で読めたことは本当に幸運でした。
歴史の語り方や見方には、五十嵐さんの言うとおり、「勘」や「感性」があると思います(イデオロギーとは別の次元の!)。それらのセンスを外さないことは、授業を生徒に支持してもらうためにも、文字どおり勘所になると実感しています。私にそのセンスがあるかどうかは別として、センスがないとダメなんですよ。歴史の語り手は。

阿部先生にはそれを教わりました。「同時期の外国のものと比べる」というところが違うんです。世界史的視野をさりげなく投影するセンス。簡単なようでそうではない。多くは「日本史」の枠から離れられない。「日本」がなかった旧石器時代の研究者たちだってそうだったわけですから、高校の先生たるや…。

ところで、このコラムで残念だった点、ナイーブな言い方をすると悔しかった点がありました。
それは、「なんで『三色旗』なんですか!?」ということ。
阿部先生にも直接言った記憶があります。
『三色旗』に書いたって、何の影響力もないじゃないですか! なぜ校内誌なんですか? なぜ専門誌に寄稿しないんですか? って。
先生が何と答えてくれたか…正直覚えてません(笑)。
でも、この文章が私にとって、学生時代最大級の「まなび」であった事実は忘れません。

by sakamo (2013-01-21 22:37) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

凡百の論文100本よりも、毒にも薬にもならない本何十冊よりも、「石器に一定の移り変わりが見えない」という一文は、遥かに遥かに重要でした。
なぜなら、当時なされていた緻密な型式学的研究や様々な剥片剥離技術分析、石材組成の変遷、さらには欧米の研究に基づいた「石材供給と移動・補給システム」に関する研究などは、全て空しく砂上の楼閣として消え去ってしまったからです。
それぞれは確かに「素晴らしい」研究だったのでしょう。あるいは今でも。
しかしそれでは「偽り」を見抜けなかったのです。
根本的な欠陥があったとしか思えません。
しかしその「根本的な欠陥」は、未だに解明されていません。
「一定の移り変わりが見えない」という石器研究の本質に根ざした意見は、当時阿部1991以外にはなかったのではないでしょうか?
しかしその声が聞き取られることはなく、広まることもありませんでした。
なぜでしょうか。単に発表媒体の質に起因するものではないような気がします。当時の「日本考古学」に、こうした声を聞く素地がなかったとしか言いようがありません。
問題の本質は何か、そのことを指摘すること、そして何処かでなされた小さな指摘する声を聞き逃すことなく受け止めて、自らも問題解決の営みに参画していく。周りの風潮や噂に惑わされず、自らの耳、感覚、判断を大切にする。
当たり前のことですが、「日本考古学」に限らない、日本社会に今、最も求められていることだと思います。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2013-01-22 12:45) 

sakamo

「問題の本質は何か、そのことを指摘すること、そして何処かでなされた小さな指摘する声を聞き逃すことなく受け止めて、自らも問題解決の営みに参画していく。周りの風潮や噂に惑わされず、自らの耳、感覚、判断を大切にする」ということに何ら異論はありません。
が、「発表媒体の質に起因するものではない」とは私は考えません。
「発表媒体の質」が、結果的に風潮や噂に惑わされたことの「言い訳」になることはありうるし(『三色旗』でなく『季刊考古学』だったとしても、声が聞き取られることがなかったであろうことは理解してます)、圧倒的な状況に対して問題提起をするなら、「言い訳」の余地を与えないくらいの念入りさがないと、そもそも提起になり得ないのでは、と思うのです。

ずいぶん昔、二人で通った某所でマスコミ・ミニコミ論が話題になったことを思い出しました。
マスコミをありがたかる気はありません。でも、リアルな影響力を与える「努力」をしない思想や言説の社会的意義って何? という気持ちは強くあります。
多数の読者を期待しない、さりげないコラムに真実があったということは大きな価値であり、それはよいのです。その価値と「聞く素地がなかった」側とは、私の中では結びつかないんですよね。
by sakamo (2013-01-25 00:16) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

「何を、どこに」という問題は、常に悩むところです。
あの時空間を共有した者としては、あれはギリギリの選択であったと思います。確かに問題解決という意味では、殆ど効力を持たなかったかも知れません。
しかし、あの時点で、全ての研究者が「大本営発表」をただ闇雲に信じていたわけではなかった、確かに自立した批判精神が存在していたという一点を示しえたことに、私は最大限の評価をするものです。
何よりも、殆ど影響力のない学内誌のわずか数百字の小さなコラム記事について、発表から20年以上が経過した時点で、これまた殆ど影響力のないブログにおいて言及し、それに対してこうしてコメントが示されたということこそが、あの文章の意義を示して余りある出来事ではないかと思うのです。さらに言えば、ここでこうしたやりとりがなされたということ自体が、もしかすると数十年後に、誰かが思い起こして、どこかに書き記してくれるとも限らないとも思うのです。こうしたことこそが、「炎」を受け継ぐということではないでしょうか。
そして1991年に筆者に対してなされたという貴兄の「なぜ学内誌なのですか?」という問い掛けこそが、誰も語らない、そして語りたがらない、ある遺跡の評価(阿部祥人2000「富山遺跡の『前期旧石器時代』説批判」『山形考古』第6巻 第4号)につながっていったのではないかと、今にして思うのです。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2013-01-25 12:40) 

sakamo

丁寧なコメント、恐縮です。
「ギリギリの選択」「最大限の評価」という表現、前期旧石器問題の「重み」を改めて思い知らされました。
部外者であった私などにははかりしれない「重み」であったのだと理解します。

山形県の富山遺跡…忘却の彼方でしたが、この遺跡についても阿部先生から何かの機会に、どこかで直接話を伺ったことを思い出しました。この遺跡が調査されたのって、私が卒業してから随分経ってからですよね。私が埋文にいたのは95年度までだし、なんで話を聞く機会があったのか…? でも、「前期旧石器についての自分の姿勢は変わらないよ」という趣旨のお話でした。

自分の中で整合性がつかないことは、「疑い」続ける。
これは頑迷固陋とは、まったく別の次元の態度であり、今後はまず出会うことのないエピソードとして、記憶し続けます。

by sakamo (2013-01-25 23:29) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

ある遺跡に関するある人の評価とは別個に(もちろんその人の評価については密接に結びついていますが)、本物の石器を何もない場所に突っ込んだ捏造遺跡に対して、本物の石器が本物の遺跡から出土した(但しその評価に数十万年の時間差を見出す)富山遺跡という両者には学問上の決定的な違いがあり、「日本考古学」は前者については他力を端緒としてかたち上の決着をみましたがが、後者については前者とも密接な関係を有するにも関わらず、未だに私たちにとって未解決な問題として残されたままであることを事あるごとに思い返し、打開の道筋を探らなければならないと思います。学問論から言えば、後者にこそ、より本質的な問題が露呈している、だからこそ、あの問題提起だったと認識しています。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2013-01-26 12:01) 

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