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松田・岡村2012『入門パブリック・アーケオロジー』 [全方位書評]

松田 陽・岡村 勝行 2012 『入門パブリック・アーケオロジー』同成社.

今春に出版が予告されており、それ以来「今か今か」と待望していた書籍である。
期待通りの好著である。

「一般の人々は遺跡に多種多様の意味を見出す可能性があり、考古学的に誤った遺跡の解釈に対して考古学者が取るべき対応が明確に定まっているわけではない。誤りは積極的に正していくべきだという考え方を持つ考古学者と、誤った解釈も許容していくべきだと考える考古学者の間で論争が起こったこともある(Fagan and Feder2006、Holtorf2005a)。だが、このような論争があるということは、考古学と社会との間の関係がどうあるべきかということについての考察・議論が行なわれていることの証左でもあり、それゆえに健全であるとも言える。」(63.)

以下のようなことを記したのは、海外で論争が起こったとされるよりも以前のことである。
「調査対象から調査範囲・調査期間・調査方法まで一定の積算基準によって算出され、調査計画の策定が限られた行政官と専門家によってなされるという閉鎖的な現状に対して、調査区周辺に住む人々が調査方針の策定過程に参画する機会を得ることが新たな可能性を生み出す。困難ではあっても発掘調査・考古誌作成を含む考古学の実践過程を<より開かれたもの>にすることが、日本考古学再生の契機となるだろう。」(五十嵐2004「近現代考古学認識論」『時空をこえた対話』:344.)

このような問題提起以来、今に至っても「日本考古学」においては、こうした「考古学と社会との間の関係がどうあるべきか」という事に関する論争・議論が行われているということは寡聞にして聞かないので、「日本考古学」は「健全」でないということなのだろう。

「ほぼ無限にある「過去の人々が残した物的痕跡」の中から、ある基準をもって考古学の考察対象とする遺構と遺物を決め、それらが検出される場所を「遺跡」と定めることは、必然的に恣意的な行為ということになる。しかも、その場所はあたかも境界をもった空間として「遺跡」と呼ばれるが、そのような境界自体も作為的に定められるのであるから、遺跡は二重の意味でつくられていることになる(山2009)。」(57.)

以下のような事柄、<遺跡>化について述べたのは、2006年WAC大阪大会でのホダー氏と同じセッションであった。
「<遺跡>は、単に「そこにある」といった存在ではない。複雑な利害を調整した上で「そこを<遺跡>とする」として設定される社会的なプロセスを経た構築物である。<遺跡>化とは、濃淡様々な価値を含んだ土地を分節し、<遺跡>なるものがあたかも実体として存在するものの如く産出される過程、<遺跡>が物象化されるメカニズムをいう。」(五十嵐2007「<遺跡>問題」『近世・近現代考古学入門』:251.)

その後、山氏の文章を読んで、全く違う分野から同じようなことを考えている人の存在を知って驚き、早速私信を出したことを思い出した。

「とかく我々はどうしても賛同の声ばかりを欲しいと思ってしまいがちだが、議論を始めるためには、まず反論を頂戴せねばならない。どうか遠慮なく我々を批判してほしい。批判のないところに議論は生まれないのだから。」(184.)

全く同感である。
「日本では緊急調査は「埋蔵文化財調査」と呼ばれ、いかに考古学的手法によろうとも、文化財の保護のために行われる行政行為の一つと考えられ、「考古学」に含まれない。」(77.)

誤解を生みやすい表現だと思う。埋文行政においては「考古学」が「後景化」している状況をカギカッコ付きの「考古学」という言葉で表現したのだろうが、「現代の日本の考古学活動は、遺跡の緊急調査を抜きにしては考えられない(田中1986)。」(79.)のだから、日本の埋文行政はどう考えても考古学という学問の一部を形成しているのではないか。

「二つ目の要因としては、1980年代以降のイデオロギーの弱体化、文化相対主義の広がり、ポスト植民地主義の台頭などの世界的潮流を背景に、「過去をめぐる政治問題(politics of the past)」がさまざまな地域にて表面化したことが挙げられる。パブリック・アーケオロジーにとってとりわけ影響が大きかったのは、各地域の先住民族、またいわゆる二世・三世を含めた移民たちが自分たちの「過去」の社会的認知を求めて展開した運動、さらには、民族・宗教紛争が続く地域にてしばしば見られた文化財の破壊行為と、それに対する賛否を問う白熱した議論であった。こうした情勢の中、考古学が政治とは無縁な学究的営みである、あるいはそうあるべきだ、という主張が通用しにくくなり、ついには、そのような主張自体が社会的に無責任であるという声も上がるようになった。このようにして、考古学がどのように社会や政治システムと向き合っていくべきなのかということが根底から考え直されるようになった。」(22-23.)

これまた全く同感である。
著者たちは「他地域(引用者註:英米豪以外の地域)においても同じように適用されるかどうかの見極めを要する」(24.)とやや歯切れが悪いが、こうしたことにポストコロニアルな世界的な状況下において、英語圏と非英語圏あるいは植民地宗主国と被植民地国とで適用の度合いが異なると考えるのはどうなのだろうか? 考古学と現代政治との相互関係については、「市場主義経済の深化」以上に「世界中のほとんどの地域にもあてはまる」あるいは「あてはめるべき」事柄であり、そのことに逡巡を示すのは「日本考古学」にとっても、決して益とはならないだろう。著者自身も、結論として「過去をめぐる政治問題にどのように向き合っていくのかは、非常に興味深い」(25.)と記しているのだから尚更である。

最後に本書の「参考文献」について、やや不備(本文で言及されている論文が参考文献に見当たらない)があるようである。
気付いた何点かを記しておく。私の探索不足であれば、ご寛容下さい。

Fawcett 1995(10頁)、若槻2003(11頁)、Murata2011(11頁)、Kato2010(11頁)、Oshino and Oshino2010(11頁)、Pokotylo and Guppy1999(31頁)、Olivier and Clark2001(81頁:80頁ではOliver and Clark2001)、埋蔵文化財発掘調査体制等の整備充実に関する調査研究委員会2007(94頁、文化庁2007と同内容か?)、Bender1998(95頁)、Edwards2009(149頁)、Waugh2009(158頁)

その他、36頁のGreen et al.、Meskell、Shepherd、Colwell-Chanthaphonhについても、ご教示願えれば幸甚です。

あと気が付いた点を幾つか。
151頁の「民家調査機関」は、「民間調査機関」?
162頁の「計画的な保護砂」は、意味不明。


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上月克己

初めまして、京都大学大学院修士課程の上月と申します。とても早い書評勉強になります。

さて、184頁の文章を引用されておりますが、この場を批判・議論の場としてお借りしてよろしいということでしょうか。

そのようなつもりで、以下述べていきますが、松田氏はパブリック・アーケオロジーの包含する実践・研究活動が地域ごとに多様性を帯びていくことを第1部第1章で認めておられるのに、第2章では主に海外の研究を引用して論点を8つしかあげていないことが残念に思われます。

序章にて先行する論考として、まず月の輪古墳の発掘を掲げ、考古学研究会の活動について述べて赤松氏の文章を引用するのなら、それに見合った論点が日本のパブリック・アーケオロジーには必要ではないかと思います。具体的には、赤松啓介1956「国民的科学への考古学の歩み」『講座 歴史』第四巻(大月書店)や近藤義郎1964「戦後日本考古学の反省と課題」考古学研究会編『日本考古学の諸問題』を見ると、「歴史意識の変革」という言葉がよく出てきますが、考古学の役割をそのように捉えていることが読み取れます。もちろん、50年前のマルクス主義的に思える考え方をそのまま現代に導入しても説得力はないでしょうが、では代わりにどのような方向に人々の歴史意識を変革すれば社会に貢献できるのか、あるいは研究者が研究の際に基づく歴史意識はどのような方向に変革されるべきなのか、「正解」などないことを前提に議論する必要があるのではないかと思います。

この他、11頁の表2に分類されている議論の全てが、第2章の論点に含まれているわけではありません。ないものねだりと思われるかもしれませんが、考古学はどのように社会に貢献できるか論点を限定することなく、既存の研究を踏まえて議論されればよいと思います。そして、ここまで批判を述べてきましたが、このような議論の可能性を生んだ本書に感謝いたします。
by 上月克己 (2012-12-18 16:31) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

上月さん、ようこそ。
本書は、松田さんと岡村さんによって今まで『考古学研究』や英文論集などで簡潔に述べられていた事柄が初めて日本語でまとまって紹介されて論じられているという点に大きな意義を認めるものです。
序章で日本の事例紹介、1章で世界の動向紹介、2章で<遺跡>問題、3章で日本の埋文行政の問題点と、第1部についてみてもやや論点が行き来している観も否めませんが、何よりもこうした事柄が書籍として公刊されたという点に最大限の意義を認めるものです。
また「日本における考古学と社会との関連性」で挙げられた13の論点についても、「入門」と銘打った書籍で全てを論じることは困難であろうし、その中から「遺跡とは何か」が取り上げられたということについては、かねてより「日本考古学」および日本の埋蔵文化財行政との関わりからその中心的論題として<遺跡>問題に注意を喚起してきた身としては、納得がいくものです(個々の言及のされ方、特に山2009と五十嵐2007との相互関係について思うところは本記事中にて少し述べました)。
WAC2006会場での月の輪フィルムの上映などを横目で見ながら感じたのは、日本のP・Aの具体的事例として月の輪、見晴台そして飛んで保渡田古墳群ぐらいしか挙げることができない、その貧しさではないでしょうか。
本書が契機となって、もっと様々な「日本における考古学と社会との関連性」についての議論が様々な角度からなされることを希望します。
例えば、土壌汚染について、夜間発掘について、<遺跡>名称問題について、考古倫理について、リポジトリについて、文化財返還などなど(6年も前になりますが、【2006-11-17】記事などもご参照下さい)。

by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2012-12-18 20:52) 

上月克己

Facebookは使い方が十分に理解できておらず、メッセージを頂いたのに返信できなくて申し訳ございません。

本書の意義はもちろん認識しているつもりです。『考古学研究』やNew Perspectives in Global Public Archaeologyでは読者が限られてしまいます。日本語書籍化でパブリック・アーケオロジーへの参入者が拡大する可能性に期待できます。

ただ、多様な人を巻き込めるような注目される議論を始めるにはどうすればよいのか、難しく思います。先程の批判は<遺跡>問題に取り組んでこられた五十嵐様のブログで主張しても確かにあまり効果のないもののようです。

別の批判を試みます。パブリック・アーケオロジーを考古学の一領域として認めてよいかということです。これを認めると、日本の考古学者は自分とは関係ない分野の実践・研究だと判断して耳を傾けないのではないかと思います。パブリック・アーケオロジーは学問分野とは違った次元にあって、全ての考古学者が意識するべきであり、一方で考古学者に限らない多様な人々が参加できる試みであるようにするべきなのではないかと思います。
by 上月克己 (2012-12-18 23:33) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

まず「考古学は多様であること、あるべきである」ということを確認したいと思います。Archaeologyではなく、Archaeologiesであるということ。ですから認めようと、認めまいと(一体誰が?)、パブリック・アーケオロジーは考古学なのです。「必要が言葉を押し上げている」(181.) 社会と関連性のない考古学とは、そして学問とは一体何なのでしょうか? 社会との関係を閉ざした「日本考古学」は、古物蒐集、「古物学」とならざるを得ないでしょう。「日本考古学」がこれ以上、「世界考古学」との隔たりを広げて、「ガラパゴス化」を促進することのないよう、希望します。もちろん「考古学者に限らない多様な人々が参加できる」というのは、パブリック・アーケオロジーの大前提でしょう。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2012-12-19 07:13) 

松田陽

著者の一人、松田陽です。ご書評をして頂き、真にありがとうございます。上月さんとのやりとりも興味深く拝読いたしました。オンラインでの議論は得意とするところではないのですが、ここまで書いて下さった五十嵐さんにはやはり御礼を申し上げねばならない、という気持ちがありましたので、ごく簡潔にコメントをいたします。すべてをカバーしきれぬことをどうぞお許し下さいませ。

本書が入門書となることを意図していたということ、まさにその通りであります。その割りに私の紹介した八つの論点に偏りがあったということは、たしかに上月さんの仰るとおりです。あそこでは、私が現時点でとりわけ興味がある論点を紹介いたしました。この先、上月さんのような若い世代の方々が批判精神をもってどんどんと新たな論点をあげてきて下さることを願っております。

五十嵐さんよりご指摘を受けました「歯切れが悪い」部分は、鋭い批評だと思っております。あの部分を書きました時には、中国と中近東におけるパブリックアーケオロジーの普及状況を意識しておりました。例えば中国でありますが、私が中国の同僚たちから学びましたところでは、近年、中国にもPAは非常に積極的に紹介・研究・実践されつつあるのですが、考古学とナショナリズムあるいは少数民族との関係については議論が避けられる傾向にあり、主として、考古学の成果還元を行う、また考古学を活用して地域発展を目指す、という方向にPAは展開しつつあるとのことです。おそらくこの傾向はしばらく続くものと私は推測しております。

・・と、これが状況分析(事実論?)であるとしまして、私の願望(当為論と言えばよいのでしょうか)を申し上げますと、中国、中近東、あるいは日本などと言った地域を問わず、考古学とナショナリズム、あるいは考古学と少数民族(そしてとりわけ、いわゆる先住民族)との問題はもっと議論されるべきだと思っております。日本ではやはり、アイヌと沖縄が真っ先に頭によぎりますが、この他にもいろいろと重要な事例はあると思っております。 そして、「であるべき」論を突き詰めた後には、次には現実にそれをどう達成するかを考えねばならないわけですが、そこでは実践の作法や技術、思慮深い(したたかな?)判断力と行動力などが求められると思っております。

参考文献と校正の不備、心よりお詫び致します。岡村勝行さんと確認の上、以下の情報を出版社(同成社)に追加で伝えました。ご指摘をいただき、真にありがとうございます!

今後とも、鋭いご指摘をお願い申し上げます。批判を頂けなくなった時点で研究者としては終わると思っておりますので、決してご遠慮なくお願い致します。
by 松田陽 (2013-02-03 08:00) 

松田陽

Fawcett, C., 1995. Nationalism and Postwar Japanese Archaeology. In Nationalism, Politics, and the Practice of Archaeology, edited by P. L. Kohl and C. Fawcett. Cambridge: Cambridge University Press, pp.232-246.

若槻勝則2003「埋蔵文化財の保護と発掘調査費用原因者負担主義」『現代社会文化研究』第26号、pp.17-33.

Murata, S., 2011. The Role of Archaeology and Its Challenges in Japanese School Education: The Curriculum and History Textbooks. In New Perspectives in Global Public Archaeology, edited by K. Okamura and A. Matsuda. New York: Springer, pp.227-238.

Kato, H., 2010. Whose Archaeology? Decolonizing Archaeological Perspective in Hokkaido Island. In Indigenous Archaeologies: A Reader on Decolonization, edited by M. M. Bruchac, S. M. Hart and H. M. Wobst. Walnut Creek, CA: Left Coast Press, pp.314-321.
by 松田陽 (2013-02-03 08:06) 

松田陽

参考文献と校正の不備につき、訂正情報をこちらに記そうと思ったのですが、ほんの一部しか送信できませんでした。残りは別の方法にて五十嵐さんにお送りさせて頂きます。ご迷惑をお掛けし、申し訳ありません。
by 松田陽 (2013-02-03 08:11) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

松田さん、丁寧な応接ありがとうございます。
「歯切れ」については、Matsuda & Okamura 2011を読んだときも各国の多様性を強調するのはいいとして、松田さんの言う当為の部分にまでnon-Anglophone worldの特殊性を引き合いに出すのはどうかなと思っていたものですから。
書誌情報についても、第2版にて補われるものと思っております。
WAC京都に向けて、「日本考古学」もますます現代社会における存在性について、あるいはポストコロニアルな時代における考古学の役割と責任について議論を深めていかなければならないと思います。「当委員会の目的と外れる」などと言って、現代世界の動向に知らん顔は出来ないのです。
益々のご活躍を祈念します。

by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2013-02-03 16:00) 

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