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栗原2012『20世紀遺跡』 [全方位書評]

栗原 俊雄 2012 『20世紀遺跡 -帝国の記憶を歩く-』角川学芸出版.

2010年日本考古学協会、春の総会にて文化財返還について席上より問題提起をした際に、会場で初めてお会いした。その後、新宿で親しくお話しをする機会も得たマスコミ人からの近現代<遺跡>のレポートである。

「「遺跡」といえば旧石器時代や縄文時代、あるいは弥生時代、あるいは戦国時代などのそれを思い浮かべる人が多いだろう。しかし筆者が本書で取り上げているのは、学界でもマスメディアでも取り上げられることの少ない、近現代史、20世紀の遺跡である。
歴史には、大別して二つあると思う。一つは「乾いた歴史」であり、もう一つは「湿った歴史」だ。乾・湿の境目は、当事者が生きているかどうか、あるいは同時代の息吹を伝える遺跡が残っているかどうかにある。時代でいえば、20世紀が境目になる。」(1.)

乾いた歴史は英雄史観、湿った歴史は庶民の歴史、湿った歴史があればこそ、歴史学は豊かになるとの信念で、全国各地を取材されている。

1.東京大空襲被災者の仮埋葬地 2.北九州の廃艦利用防波堤 3.舞鶴の引揚桟橋 4.小笠原・硫黄島 5.愛知の東南海・三河地震痕跡 6.三浦半島の浦賀ドック 7.福岡飯塚のボタ山 8.京都丹波のマンガン鉱山跡 9.秋田大舘の花岡事件現場 10. 渋谷ワシントンハイツ・横浜根岸競馬場跡 11. 川崎市登戸研究所 12. 大阪・愛知パンプキン爆弾投下地 13. 大連・旅順の戦跡 14. 東京台東区のはなし塚 15. 渋谷の小川 16. 関西のラジオ塔 17. 長野の文化柱、宮崎八紘一宇の塔 18. 岐阜各務原飛行場 19. 富山魚津米騒動 20. 大阪ミナミ大阪球場 21. 和歌山美浜アメリカ村 

新聞記者ならではのフットワークを生かして、国内はもとより海外にまで縦横無尽の取材を敢行する。そこに流れる共通した思いは、庶民の犠牲を踏み台にした権力者への静かな怒りである。

お昼休みに会社員たちがお弁当を食べている都会の公園、子供たちが走り回っているその地中に、かつてあるいは今も数多くの焼死体が埋められていた、埋められているということ、こうした土地痕跡、<遺跡>の上に私たちの生活が成り立っているということ、日本の近現代に刻み込まれた一つひとつの履歴を明らかにして、そのことを知るのと知らないのとでは、大きな違いがあるだろう。

「戦争を始めた国家自体が「戦争だから仕方ない」と、被害者である国民への謝罪や補償を拒否するのは、正しい日本語で言えば「恥知らず」である。
それは、電力会社が海岸線に原子力発電所を造っておきながら、津波によって原発が崩壊したときに「想定外の津波が起きたから仕方ない」と居直るのと同じくらい、みっともない。
さらに司法が、「戦争だから仕方ない」という国の態度を「戦争被害受忍論」(「戦争でみんなひどい目に遭った。だからみんなで我慢しなければならない」という”法理”)で追認するのは「恥知らずの応援」である。
その上、解決を立法府に任せて国家の不法性を指摘しない態度を正しい日本語で表現すれば、「無責任」である。」(244-5.)

乾いた考古学だけでいいのか。
湿った考古学(近現代考古学)を排除して、「わたしたちの考古学」は語れるのか。

「終わりなき帝国
「大日本帝国」はまだ終わっていないと、筆者は思っている。
敗戦後、帝国の統治者であった天皇の地位は大きくかわり、主権は国民に移った。日本政府が「帝国」を名乗ることもなくなった。それでも、「帝国」は私たちの身の回りにある。
分かりやすいのは国旗=日の丸であり、国家=君が代だ。さらには「日本国憲法」だ。」(249.)

最近の情勢を見る限り、「大日本帝国」はまだまだ終わっていないと思わざるを得ない。
終わっていないどころか、むしろその復活を射程範囲内に入れて、着実に強化されつつある。
一人一人の覚悟が問われる時代である。


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